仲見世を抜けると宝蔵門が見えてきます。国宝・重要文化財のお経や宝物が収蔵されております。
大提灯が下げてあり、その両側に仁王尊像が建っています。
真ん中の大提灯と、その両側の鉄製提灯型のさげ物は日本橋小船町から寄進されているものです。
左に目をやると境内には五重塔が建っているのが見えます。スカイツリーから見たミニチュアなイメージと違い、実物は大きい。。
ここを抜ければ浅草寺本堂です。
その歴史は飛鳥時代まで遡るという由緒ある浅草寺。隅田川で漁をしていた網にご本尊がかかり、それを礼拝するようになったのがお寺の起りとされています。
参拝客もびっしり並んでいます。幾度かの火災や空襲による焼失があり修繕されていますが、大火の多発した江戸時代は、不思議と大雨が降り、風向きが変わって難を逃れたんだそうです。関東大震災で仲見世が全焼した時も主要堂は被害がなかったため、それこそ神がかったお寺として、信仰を集めているのでしょうね。
右側にはスカイツリーがそびえたちます。
そして本堂左前側の五重塔。地震国日本で五重塔が倒壊した例はほとんどなく、この塔も安政の大地震の時に、先端の九輪が曲がったのみです。最新技術によって設計されている先ほど登ったスカイツリーと、いまだ解明されていない1000年以上前からある五重塔の耐震構造が、どちらがすごいのかはわかりませんが、当代の最高技術の結晶であることは間違いないと思います。
お参りが済み、裏側から宝蔵門に進みます。
大わらじが両側にかけてあります。「大きなわらじを履く者が守っている」と恐れさせるよう、魔除けとして祀られています。
仁王尊像の右側、吽形(うんぎょう)像の作者である村岡氏の出身地、山形県村山市からご縁で奉納されているものです。重さは約500kgあるそうです。
(記事:2016年1月 Update:2017年3月)
大提灯が下げてあり、その両側に仁王尊像が建っています。
真ん中の大提灯と、その両側の鉄製提灯型のさげ物は日本橋小船町から寄進されているものです。
左に目をやると境内には五重塔が建っているのが見えます。スカイツリーから見たミニチュアなイメージと違い、実物は大きい。。
ここを抜ければ浅草寺本堂です。
その歴史は飛鳥時代まで遡るという由緒ある浅草寺。隅田川で漁をしていた網にご本尊がかかり、それを礼拝するようになったのがお寺の起りとされています。
参拝客もびっしり並んでいます。幾度かの火災や空襲による焼失があり修繕されていますが、大火の多発した江戸時代は、不思議と大雨が降り、風向きが変わって難を逃れたんだそうです。関東大震災で仲見世が全焼した時も主要堂は被害がなかったため、それこそ神がかったお寺として、信仰を集めているのでしょうね。
右側にはスカイツリーがそびえたちます。
そして本堂左前側の五重塔。地震国日本で五重塔が倒壊した例はほとんどなく、この塔も安政の大地震の時に、先端の九輪が曲がったのみです。最新技術によって設計されている先ほど登ったスカイツリーと、いまだ解明されていない1000年以上前からある五重塔の耐震構造が、どちらがすごいのかはわかりませんが、当代の最高技術の結晶であることは間違いないと思います。
お参りが済み、裏側から宝蔵門に進みます。
大わらじが両側にかけてあります。「大きなわらじを履く者が守っている」と恐れさせるよう、魔除けとして祀られています。
仁王尊像の右側、吽形(うんぎょう)像の作者である村岡氏の出身地、山形県村山市からご縁で奉納されているものです。重さは約500kgあるそうです。
(記事:2016年1月 Update:2017年3月)