国道275号線を北上し、浦臼町に入りました。市街地に入る手前の、除雪センターを横目で見ると、看板、え、坂本龍馬家の墓??
もちろん行ってみなけりゃなるまい。踏切を渡って、
小高い丘を登り、
一般の墓地内にあるらしい。
あった!
普通に坂本家と表示したら、どこの坂本さんかわからんので、坂本龍馬家の墓となっているのか。なるほどー。
龍馬の甥(姉千鶴の子)である、坂本直の奥さん、坂本留(墓碑は留子となっている)の墓があります。
坂本直の死後、ここ浦臼町に移住していた、弟の坂本直寛を頼って暮らしていました。建立者は直寛氏の娘婿である、坂本弥太郎とあります。
留の子である坂本直衛の墓。2つとも名前が「阪本」となっていますが、入植後に字が変わるというのは、よくあることのようです。(私のとこも、徳島のご先祖と、北海道一族の名字は、始めの一字が違っています。)直衛は3代目を継承しています。ちなみに、4代目は直寛の子坂本直道。
すぐそばにある武市安哉の墓。看板が建っているので、龍馬と関連があるのか?
市街の浦臼町駅に到着。
小さい駅シリーズの定番、運賃表と時刻表です。
路線は札沼(さっしょう)線が正式名称。愛称は学園都市線です。
駅舎には坂本家に関する記事が掲示されています。
甥の坂本直は、龍馬に誘われて海援隊士でした。龍馬の死後、直は命により、龍馬の養嗣子となり、家督を継いで2代目となっています。
龍馬の夢は、北海道開拓し新しい国家をつくることでした。
その夢を引き継ぎ、一族が入植した浦臼町は、龍馬ゆかりの地と称されているわけですね。
坂本家系譜。山岳画家で、六花亭の包装紙デザインで有名な、坂本直行氏は本家筋の末裔なんです。
大正時代までは、龍馬の愛刀、血染めの掛け軸などが、町内に残されており、遺品展示会を開いたこともありました。現在は京都の国立博物館へ寄贈されているそうです。それにしても、命を落とした舞台に遺品が移されるとは、龍馬はまだ歴史のうねりにいるのでしょうか。
北海道には坂本家が残した足跡がたくさんあります。
北見に合資会社北光社を設立し、開拓の礎を築いたのも、坂本直寛ら理想を追い求めた有志なのです。息子の直道も日米紛争回避のため奔走した、龍馬譲りの熱血漢でした。
龍馬の血筋と意志を受け継いだ者たちの、人生を通しての熱い想いが伝わってくるのを感じます。
駅の資料のみで、坂本家の凄さがわかちゃったかも。
浦臼駅についてですが、北海道医療大学ー新十津川間の廃線が2020年5月7日で決まっています。それにより、沿線であるこの浦臼駅も廃駅となる予定です。
この後、郷土史料館へも行ってみました。
先ほど見た墓の、故・武市安哉の生涯。北海道開拓のため聖園農場を経営していましたが、志半ば、48歳の若さで急逝しています。
一番先頭に展示されているのは、多大なる功労者だからですね。
町内史跡マップ。特産ブドウのワイナリーや、道の駅、大小の沼、背後には空知の山々もたたずみ、自然と歴史を探訪できる町であります。古い言い伝えのある社など、背筋の寒くなるスポットもあるようですよ。
館内には石狩川流域の変遷など、氾濫の歴史や、アイヌとの交流、松浦武四郎の資料、生息動物の剥製などの展示もあります。
龍馬の手紙や遺品、資料が保管・展示されている特設コーナーもあり、足跡をたどるにはとても参考になります。龍馬ファンはぜひ来てみてください。
幕末の英雄として語り継がれる龍馬。北の地に理想郷の夢を馳せ、今もなお「日本を今一度 せんたくいたし申候」と言ってるぜよ!
(記事:2018年8月 Update:2020年3月)