80k700m タイトルはまだ考えてない(旧 安全靴をはいたタヌキのホームペヱジ)

自称“流川市民”の、鉄道橋梁&トンネルと北海道の国鉄(JR)廃線跡が好きな人間がブログに挑む。(最近は迷走の日々…)

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なぞのアルバイト・富士山安全指導センター編

2011年06月11日 | 個人
 運転免許を取得して、北海道へ1か月バイクで旅行するのに大量の資金が必要となり、大学の掲示板でさがしてみた。すると、富士山の山小屋での泊り込みのアルバイトが目にとまった。すぐさまこれに飛びついて、連絡を入れてみた。
 後日、連絡があり、山小屋ではなく安全指導センターでできないかどうか打診があったので、承諾した。後に、この選択が自分の運命を変える事になるとは、夢にも思わなかった。
 その次の日に富士吉田市の担当者から連絡があり、仕事の内容を再確認した上で日程の最終調整をして、待ち合わせの時間等を決定した。そして、荷造りを始めて、出発の日に備えた…。
 6月30日、高田馬場で留学生の知人に会ってから新宿に向かい、中央線で山梨に向かった。八王子で列車を乗り換えると、辺りの風景ががらりと変わって森ばかりとなった。
 列車は、いくつもの川を渡ってトンネルをくぐり、順調に進行している。もうこれで、コギャルの類にしばらく会う事もあるまいと思っているうちに、乗換駅の大月駅に到着した。だが、富士急行のホームにたどり着いた瞬間、多数のコギャルの姿に愕然とした。
 富士急行の富士吉田駅に到着した私は、役場の担当者の車に乗って1時間程走り、富士山の5合目に到着した。そこから、登山道を車で登り、問題の富士山安全指導センターに辿り着いた。さて、これからどうなる事やら…。



 翌日、山開きが行なわれ、慌ただしかったが、この日は仕事の内容を色々と教わった。私の日課は、早朝に自家用発電装置に燃料を補給し、便所や事務所の掃除をして、自炊をしながら本来の業務である登山指導(含 登山者数確認)と怪我人の救助活動をするというものであった。
 まあ、救助活動はあって欲しくないのだが、仕方がない。ここだけの話だが、登山者が怪我をするのは、登山中よりも下山中が多かった。やはり、目的を達成した事で安心するのだろうか?
 登山者の怪我の唯一の例外として、酒に酔って山小屋内で大怪我をしたので担架に乗せて下山させるという山小屋からの通報で、朝4時前に出動準備をした事例があったが、高所では平地よりすぐ酔うから酒はやめてね。
(私の場合には缶ビール1本が平地での中瓶1本に相当)

 私の勤務体制だが、普段は4時と16時の2回、それぞれ2時間ずつ登山者数の確認と登山指導を行い、2週間に1回、入浴の為に下山した。この入浴の日だけが、娑婆に行く事の出来る日だったので、余った時間でふもとのスーパーで買い物をしていた。
 このお風呂の日は別の意味でとても楽しみだった。とは言っても、特殊浴場に行く訳ではないのだが、とにかく、庶民にはとても縁のない風呂に行った、という事だけ申し上げよう…









 さて、ある日、早朝の当直を終えて、交代の当直と一緒に外でぶらぶらしていたところ、ロバを引き連れた3人組が山を降りてきた。
 ロバを引き連れていた彼らは何となく見覚えのある顔だったが、いつものように、「お疲れさま!」と声をかけた。だが、彼らはうつろな表情で、無反応のまま5合目へと下っていった。
 彼らの姿がだいぶ離れた時に、相棒がいきなり「あ、今のはドロンズや!」と声をあげた。道理で2人とも見覚えのある顔だった訳だし、1人がハンディカメラをまわしていた訳だ。だが、時すでに遅し。
ちくしょ~!
 後日、雷波少年を見た私は、もう少し早く登山者数の確認を始めていたら…と悔やんだ。この日に限って、少々寝坊をしていたのだ。
(早朝からカウントしていたら、花小屋のおやじではなく俺の姿が全国ネットで公開されたはずなのに)

 山を降りる1週間位前に、例によって登山指導を行なっていたところ、またまた何となく見覚えのある顔が先導する団体があった。
 その方から急に声をかけられ、一瞬何事かと思ったが、何と、北海道でいつもお世話になっている宗谷本線美深駅駅員(※当時)の諸岡様であった。
 今回はJR北海道旭川支社の企画で来ているとの事であった。まさか、北海道の知人と富士山で会うとは思いもよらなかった。実に奇遇である。知っている方が率いている団体だったので、全員が無事に登山できるように祈りながら、途中まで見送った…。

 いよいよ、山を降りる日が近づいてきた。そこで、せっかくだから頂上まで行ってみようと思い立ち、巡回と称して(もっとも、いざという時に対応出来るように無線機を携帯したので、全くの遊びではないのだが…)出かける事にした。
 救助の際に色々とお世話になった全ての山小屋へ挨拶に回って、山小屋の連中(本当は女性アルバイトが目当て)と色々話をした。とても良い思い出が出来たのに、女性アルバイトと仲良くなる前に先に山を降りるのがとても残念だった。
 その日は事故の報告も入らず、頂上まで登る事が出来た。天気も良く、とても幸運だった。六合目で体を慣らしていたからこそ楽に登れたのであって、そうじゃなかったら、確実にリタイアしていた。











 この後は大した事故の報告もなく、7月31日には最後の勤務を終えて、下山すべく撤収準備に取り掛かった。
 8月1日、入浴で下山する仲間と共にふもとに下った。その日もとても涼しくて霧がかかっていたのに、ふもとに下るとやたら暑かった。
 最後の仕事として富士山から出るゴミを処理施設に運び終えると、職員の人に食堂で食事をおごってもらい、ここで仲間と別れた。
 職員の人に富士吉田駅まで送ってもらって、1か月に及ぶ富士山での生活を終えた私は、富士吉田駅から富士急行の電車に揺られながら、遠ざかってゆく富士山に別れを告げて、一路、百人町のなじみの食堂へと向かった…。

 なお、アルバイト代金は、ホンダのプレスカブ(新聞配達バージョンのカブ)購入費用と、北海道渡道費用その他に化けたのであった。
(当時は夜の百人町は凄かったし、溜まっていたし…)

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