趣味真っ盛り!!

人生これから! 元気に趣味を楽しんでいます。

ボタニカルアート教室デビュー初日

2009年11月29日 | ボタニカルアート
日、辰野町民会館で山田恭子先生指導の下、ボタニカルアートを勉強してきました。
先生の指導で、手始めに"椿の葉"を描いて行きましたがイマイチ上手には描けていません。
葉の硬さを出す濃淡や主脈や日が当っている個所の光り具合、等々
先生に指導して頂いたら見事、葉が生きてきました。
今まで我流で描いてきましたがやはり良い先生に指導を受けると絵の上達もすると思います。
他の生徒さんも見事な腕前で圧倒されてしまいます。
まるで実物が画紙の中に有る様な錯覚をしてしまう作品を見て、
「ここまで描けるかなぁ~」。

先生に添削指導して頂いた初作品。

モレラ岐阜と墨俣一夜城・国立木曾三川公園

2009年11月22日 | 旅行
日はどこまで行っても高速道路1000円乗り放題の日
以前より家族で計画していた岐阜方面のショッピングと観光を兼ねた小旅行に行く。
朝6時頃岐阜県本巣市にある大型ショッピングセンターのモレラ岐阜に向かう。
三連休初日のためか高速道路は普段に比べ混んでいる。
モレラ岐阜へは2006年4月にオープンしてから何回も足を運んでいるがショッピングと観光を兼ね計画。
モレラ岐阜の中には約240店舗が入っていてショッピングはもちろん、映画館、グルメ、お医者さんまで有る。
本巣市は富有柿が有名で街の通りでは柿農家の人が無人販売所を出して販売している。
着いたのが9時30分頃、10時になるのを待ちかねてお客さんが並ぶ。
今日は朝から大行列2000人近くの人が並んでいる。
何の行列か聞くと"今や若者の間では大人気のHIP HOPグループのFUNKY MONKEY BABYSがモレラにやって来るとのこと。
遠くは福岡から来たそうでビックリ。



店と同時に店内に
約240店舗が入っている店内は外の行列に比べまだまだ人が少ない。
11時頃になると店内は混雑してくる。



内には2階を貫く大きなクリスマスツリーが飾ってあり購買意欲をかりたたせている。
ここでショッピング組と観光組に分かれ午後6時まで自由行動。




光組はまづ墨俣一夜城へと向かう。
国道31号線が長良川を渡る長良大橋から川沿いに行くと、犀川が2つに分かれる。その三角形の股の部分が墨俣城跡である。
金の鯱(しゃちほこ)が目を惹く五階の天守を築いて「墨俣一夜城歴史資料館」となっている。
木下藤吉郎が築いた墨俣城は木造の砦であり、この資料館とは全然違うが資料館の中には木下藤吉郎の一夜城築城の様子をはじめ、墨俣の歴史資料などが展示されている。
秀吉の「天下人」への出発点になった古き昔に思いを馳せた一刻。 



俣一夜城は小公園になっていて、ちょっと寒かったが紅葉が綺麗。
この川の流れを秀吉も見ていると思うと栄枯盛衰、時の流れを感じる。



こから美濃(岐阜)の稲葉山城(岐阜城)まで距離は12キロ。
今でも肉眼でその城のある金華山は十分見る事が出来る。
「交通の要である州俣(墨俣)を制するものは美濃(今の岐阜県)を制し、美濃を制するものは天下を制す」と...。




でこそ岐阜の街にはビルが立ち並ぶが、昔はこうだったかも
ビッ、ビルがなくなっとる



柵を境に斎藤軍と藤吉郎を総大将とする尾張方軍の攻防が続いた




ひょっとしてこんな感じだったかも...。




こでちょっと真面目に歴史談義。

永録3年5月、桶狭間で今川義元を討ち取った織田信長は、その勢いに乗じて墨俣に塁を築き美濃攻めを行うが増水のため敗退。当時墨俣は無数の大小河川・沼地・深田で囲まれており、孫子の兵法に「死地又生地なり」とある通り築城は至難の業であった。永録8年暮れ、信長は密かに秀吉を呼び寄せ「短期間に少数の兵で築城をやれ」と蜜令。秀吉は直ちに蜂須賀小六の所へ行き「この機会を失えば、この世に出る機会もなしと存ずる次第、何卒御諒承あれ」と協力を依頼、ねねの弟・小一郎の頼みが加わるが、小六暫時口を閉じて語らず、しばらくして口開き、「墨俣のこと御引き受け申す」と。かくて墨俣陣の首脳である藤吉郎、小一郎、小六、長康の命を賭けた同盟関係が成立する。
墨俣押出惣勢子
一、前野長康 312人 
一、日比野六太夫 250人 
一、稲田大炊介 656人 
一、山方衆 是は八層衆七層衆を含むものなり 河口久助 156人 梶田隼人 187人 長江半之丞 222人 
一、草井船頭衆 48人 
一、犬山船頭衆 75人 
一、大工棟梁方 26人
 一、青山新七 足軽鉄砲隊 74名 
一、蜂須賀小六 手の者 133人 
一、惣大将 木下藤吉郎 
一、メ惣勢子 2140人是有。
永録9年1月2月3月七層八層の山々で桧と松を切り出し、4月5月6月に雪解け、五月雨、梅雨前線を利用し木曽川の支流・飛騨川を筏で流す。7月8月には松倉(川島町)において2間半と1間半に製材し、組立するばかりにした。9月12日午前2時、のろしを合図に松倉瀬上より、木曽川の一大分流・境川を墨俣まで川舟・田舟を使い綱で引張る。15粁のとろこを10時間かかって正午に着く。直ちに築城と戦いの準備に入る。昼間は馬柵、夜は城作り。「至極難儀に候。生涯30の砦、50の城を攻めたが、これほど苦しいことはなかった」と秀吉は述懐している。翌9月13日、小雨の中東北より稲葉山軍の500人ばかり攻め来る。9月14日、馬柵が大略出来上がる。敵軍2000の兵が攻め来るも、馬柵と鉄砲で守り通し敵は退却、築城と戦いは成功したが、尾張方は15%の戦死者を出す激しい戦いであった。
墨俣築城の規模は下の通り。
一、高やぐら・・・・・・5棟、これは2層、高さ21尺、間口4間半、奥行2間半
一、平やぐら・・・・・・3棟、これは高さ14尺、間口7間、長屋にて武者溜まり
一、土居・・・・・・・・・250間、これは高さ6尺。
一、高塀・・・・・・・・・136間、東北に向い取付け。木組の上、ぢかべに堅固に構える。高さ5尺。
一、馬止め柵・・・・・1800間、高さ6尺。前野長康受持。昼夜分かたず働く。
一、堀切り・・・・・・・350間。幅10尺ばかり。稲田の手の者仕る。在郷百姓衆合力600人。
一、信長公座敷・・・間口3間半、奥行2間半。
一、城木戸・・・・・・・大手、搦手口2カ所。
天の時を待つばかりとなった翌年の永録10年(1567年)8月1日、信長一斉に宿願の稲葉山城攻略の陣触を出す。8月15日秀吉の組は沢井左衛門・山内一豊等の寄騎衆と共に、30余艘の舟で長良川を攻め上がり、水の手谷道より駆け登る。搦手の門より突入し、一番乗りを上げる。柴田勝家等の主力部隊は七曲道より二の丸を経て本丸へ。稲葉山城は早朝からの攻撃で、午前10時に落去。信長入城。信長は父信秀以来30有余年遠き道であった美濃攻略を果たす。
かくて天下平定の道は信長と秀吉この二人の英雄によって開かれ、戦国時代より安土桃山時代へと時は移りゆき、中世から近世へと日本史は転換してゆくことになる。

   (墨俣一夜城歴史資料館発行資料参照)


外には栴檀(せんだん)の木の実が太陽に輝いて光っている。
すごくキレイだ


俣一夜城を後にして木曾三川公園に向かう。
もうお昼を回りお腹も空いてきたので"道の駅クレール平田"で昼食
ここでウナギ卵とじ定食で舌鼓。
食事終了後、店内で深紅の山茶花と柘植の鉢植えをゲット



曾三川公園に到着
風がさむ~い
イルミネーションの飾りつけで職員は忙しそう
寒くて外には観光客はあまりいない。



上65mの展望タワー木曾三川と濃尾平野が一望できる。
展望タワー入場料 大人600円 子供300円。
ビジターセンター内では木曾三川流域の公園、名所、観光スポットを紹介している。



望タワーからの眺望はすばらし~ぃ
木曾川、長良川、揖斐川が行儀よく綺麗に三本並んでいる。
洪水の治水対策した結果だ
昔は洪水が頻繁に起きていた。堤を築き今や平静の河川になった。
それぞれの大河の水の輝きが綺麗だ


りは大垣に回り樽見鉄道沿いに海津でミカンをゲット
午後6時モレラ岐阜に到着
午後10時帰省走行距離550kmの日帰り旅行を満喫した。

街路樹の紅葉も終盤

2009年11月12日 | 日記
月の初旬、街路樹として植えられている山モミジの紅葉は真っ盛り
運転していると嫌でも緑色、黄色、赤のグラデーションに染まった木々が目に飛び込んでくる。
中には駐車をして紅葉見物をする人がいるとか?
200メートル位ある道の両側沿いを朝早くウォーキングする人たちはコースを変えて紅葉を楽しんでいる。



陽の光に照らされて綺麗な紅葉を約半月程度楽しむ
足を止めて見上げれば深紅の紅葉が眼に映る。
この辺は電線に止まっている鳥が多いので上からたまに落ちてくるものがあるので要注意



日の冷たい雨で葉っぱも耐えきれず落下
歩道は落ち葉に占領され始めている
落ち葉もまた格別の趣があり綺麗だ
見ていると綺麗だが片付けるのは大変



主頭になりかけている葉っぱも耐久レースをしているようだ
枝にしがみ付いてガンバっている。
いつ落ちようか相談しているかのよう


まだまだ見頃今月20日頃まで楽しめそうだ


県道下辰線入口から権現神社までの区間

諏訪市唐澤山阿弥陀寺の紅葉

2009年11月08日 | 日記
濃毎日新聞を見ていたら阿弥陀寺の記事が有り、いつものように午後急に行って見よーってことになり出かける。
阿弥陀寺は山の頂上にありそこまでの道のりが大変、車で登山口ならぬ獄門(たけもん)に着くまですんごい上り坂エンジンがウナル
今日は土曜日、休みのせいか駐車場が一杯
情報の力強いと改めて感じる。



備体操をしてアキレス腱を伸ばしてから九十九折れの舗装が施してある山道を手すりに掴まりながら進む。
でなければ坂が急すぎて下に滑り落ちそう
やっと平らな場所に到着
岩の屏風に根を張った木の紅葉がなんとまぁ素晴らしいこと
絶壁には5メートルを超す徳本上人と徳住上人の御名号が彫られている。
下から見上げれば首が"逆くの字"状態。長く見ていると目が回りそう



聞に載ってた景色と"おんなじだぁ~"山モミジが真っ赤に色付いている。
錦絵の世界だぁ~。 しばし、うっとり



堂に着くまでの参道際の山モミジ
大勢の人たちが歓声をあげている。「キレ~ィッ」
見事なグラデーションを作っている。
木漏れ日越しに見る山モミジはサイコー



をかきながらやっと本堂に着く
立派な本堂である。
1595年(今から414年前)念仏行者が岩窟に十一面観音を祀って念仏不断の道場とした念仏道場という。
残念ながら昭和5年に本堂、観音堂を焼失立て替えられていてとても綺麗な本堂。



の"テッペン"と言う事もあり眺望はすばらしい
紅葉と諏訪湖が一望出来る場所でもある。



一杯に広がる山モミジの枝振りまさに"照山モミジ"の風情である。



日の雪でさらに紅くなった山モミジ
古寺の貫録と古木が織りなす紅葉に眼を奪われた一日でした。





初冬の鳥居平やまびこ公園

2009年11月04日 | 日記
日、快晴の日の午前中に初雪を触りに鳥居平やまびこ公園へ
遠くから見てもいくらか雪化粧
この風が塩嶺オロシとなって諏訪湖に吹き付ける。
真冬はタマッタもんではない寒さ
凍(し)みる日には鼻毛まで氷る



に吹き付けられ木の幹は真っ白
あといく日で冬眠状態か
寒い本当にサムイ~
空は快晴にもかかわらず、風が吹いていてさむい~



蔭の土手の笹藪は雪が溶けずサラサラの雪
気温は低い
この辺はクマが出るらしい
用心のため足跡を探す。
後で考えたら「クマって冬眠するよなぁ~



マ笹に残った雪が溶けて凍っている
寒いわけだぁ~
そうだ運動すれば暖かくなる
一気に公園を駆け上がる。



が切れ"ゼェゼェ"状態
身体は思った通り暖かくなる。
誰もいない公園...。
考えてみたら平日
人がいるわけないよなぁ~
夏には大勢の子どもたちで賑わっていた公園
今はベンチには誰もいない。
この寒いのに座っていたら風邪引いちゃうもん
ただ、物好きな自分がいるだけ



々の葉も今まで楽しませてくれた紅葉も終わり枯れ葉状態
いつ落ちるか考え中らしい



まびこ公園展望台の白樺もまる裸
風が余計にさむく感じる
風は冷たいが八ヶ岳、諏訪湖、岡谷、下諏訪、上諏訪の街のチョーボウは抜群



かし、展望台から見る風景は変わらない。
見慣れた街の風景
そして、物好きが一人風景を眺めている。
平穏な快晴の一日。