枝垂れ栗方面に車を走らす。
枝垂れ栗手前に枝垂れ栗展望台の標識。
木の根や石がゴロゴロしている林道をゆっくり走る。
人一人いない静かな山の中。
一段高くなったところに鉄の展望櫓がある。
その櫓に登ると...。
眼下に諏訪湖そして守屋山、八ケ岳。
霧ケ峰、北アルプスなどが展望できる。
クリックすれば大きくなります。
峠から左手を見る。
小野地区を通り...。
山並みを越え塩尻の街並み。
塩尻から木曾方面に繋がる景色である。
"三郡の辻250m"を示す道標にしたがって進む。
『中部北陸自然歩道』の杭が目につく。
その先が三郡の辻、石祠などが祀られている。
三郡とは旧名で筑摩郡、伊那郡、諏訪郡のこと。
(現松本市、上伊那郡、諏訪市)
昔の旅人は江戸の日本橋から滋賀県草津宿までの中山道。
下諏訪宿からは木曾馬篭、妻籠を通り中津川に抜ける中山道。
下諏訪から塩尻に抜ける近道がこんな山の中にある。
"旧中山道 小野峠"の碑が建ち、『右をの 左みさは』となっている。
『右をの(現小野地区) 左みさは(現岡谷市川岸三沢地区)』
旧中山道・小野峠
日本晴れの秋の一日。
こんな景色を満喫し辺りを散策して帰路に着く。
枝垂れ栗手前に枝垂れ栗展望台の標識。
木の根や石がゴロゴロしている林道をゆっくり走る。
人一人いない静かな山の中。
一段高くなったところに鉄の展望櫓がある。
その櫓に登ると...。
眼下に諏訪湖そして守屋山、八ケ岳。
霧ケ峰、北アルプスなどが展望できる。
クリックすれば大きくなります。
峠から左手を見る。
小野地区を通り...。
山並みを越え塩尻の街並み。
塩尻から木曾方面に繋がる景色である。
"三郡の辻250m"を示す道標にしたがって進む。
『中部北陸自然歩道』の杭が目につく。
その先が三郡の辻、石祠などが祀られている。
三郡とは旧名で筑摩郡、伊那郡、諏訪郡のこと。
(現松本市、上伊那郡、諏訪市)
昔の旅人は江戸の日本橋から滋賀県草津宿までの中山道。
下諏訪宿からは木曾馬篭、妻籠を通り中津川に抜ける中山道。
下諏訪から塩尻に抜ける近道がこんな山の中にある。
"旧中山道 小野峠"の碑が建ち、『右をの 左みさは』となっている。
『右をの(現小野地区) 左みさは(現岡谷市川岸三沢地区)』
旧中山道・小野峠
日本晴れの秋の一日。
こんな景色を満喫し辺りを散策して帰路に着く。
小野峠の碑は新しいのですか。
年月がたって丸い感じに角が取れたと思いました。
余り詳しく知らない私は何処から何処までが中山道なのかと思って居ましたが 草津に通じるのは知りませんでした。
滋賀の草津も最近知りましたが 草津は群馬県だと思い込んで居ましたので。
こんな山の中を歩いて昔は通ったのを思えば水杯は交わしますね。
戦後疎開先の 稲沢 国府宮の裸祭りの有る場所ですが 其処から 名古屋の我が家 名古屋城の東でしたが乳母車に荷物を積んで 母と二人で歩いて帰って来たのを思い出しました。
この石碑は余り古くは無いらしいです。
以前この辺りにあったものは分からなくなり目印のため作りなおした様です。
中山道は江戸から京都と思っている人が多いですが滋賀の草津までと覚えた記憶があります。
草津から京都までは東海道になっているのですね。
かこさんも疎開先で心細い日を送ったのですね。
昔はみんなそんな生活を余議なくされたのですね。
でも今考えるとそんな苦しい頃の思い出。
いつまでも鮮明に覚えているのですね。
真似したいと思いつつ 山道一人では何となく
恐い気がするし 家主は 朝早いので 犬連れ散歩を
してきてるし 近所の人とも 余り近づきすぎても
いいような 悪いような、と思ったり
中山道、最近余り 耳にしなくなっていたので
懐かしいような・・。
一人で山の中 熊やイノシシには
くれぐれも気を付けてくださいね。
町に出てきた2匹の熊の事テレビでやっていました。
山で怖いのは熊。
日本鹿や狸、カモシカなどにはよく行き会います。
明るいから良い様なものですが一人で行くとガサッと音がするだけで身構えてしまいます。
クマよけの鈴をしていくのですが効果あるものかないものか分かりません。
昔もクマがいたと思いますが旅人は怖くなくて山道を通ったものですね。
この展望櫓から見る諏訪湖の景色もまたいいものです。
今の時期、特に今年は山に木の実が少なくて熊が里山まで下りて来ていますね。
クマよけの鈴を持って山に入りますが藪でゴソゴソッと音がすると飛び上がってしまいます。
街中にクマが出る今年。
キノコ採りも自重しています。
苔に覆われた山の中の石碑。
分かる石碑もありますが苔生した石碑や社もありますね。