こんにちは、テツせんです。
台風一過なのに雨が降ったりして、気象に変調がみられるようにおもえるこの頃ですが、
みなさんは、いかがお過ごしでしょうか?
まず、前回からのつづきのお話に入る前に、あらためて言っておきたいことなのですが、
民主主義思想や国家ナショナリズムという、人びとの共同幻想について語ることが、
市井の人の、背中にかげる思いよりも高尚だとはけっしてかんがえていないということです。
ここのところをゆめゆめ勘違いしないでおきたいところです。
たとえそれが日々の生活の、なんでもない買い物を倹約しつづけることであっても、
なにも軽んじられてよいとはいえないわけです。
あの竹中・小泉政権が市民大衆を「B層」と蔑称したことはまったくのまちがいであって、
市民社会と《 国家という共同幻想 》 との
逆立した関係構造に無知であることをしめしているだけのことなのです。
竹中・小泉勢力の「B層」発言には、
倫理の問題すらお呼びでないほど、低次元なたくらみと差別意識しかみられない。
この問題についてはまた日をあらためてしっかりお話したいとおもいますので、
今回は前置きにとどめておきましょう。・・・
さて、前回のおしまいの方で、名古屋市長と阿久根市長のたたかいについてふれましたが、
御用マスメディアが責めたてるように「独裁、独善的」行動なのか、「民主主義の危機」であるのか?
わたしたちはこのような戦後の教科書的正義の欺瞞にいつまでつきあわねばならないのだろうか!
- 河村名古屋市長が多くの市議会議員と対立することになったいきさつは、
公約の「市民税の恒久的な減税化」を訴える河村氏に対して、
「財源がない」というどこかで聞いたような議会側の反対意見にあったために、
それではと、
「市の議員定数半減を、政務調査費廃止、議員報酬半減と合わせて「議会改革」条例案として提出した」
ことによると報道されています。
河村氏の考えは、市民から見れば、まことにもっともな改革案だと歓迎されて当然なことでしょう。
ある前衛を名乗る新聞の論調では、
「これらのねらいは、「議会改革」の名で議会の役割を決定的に弱め、
市長の強権体制を確立することにあります。」
「議員定数削減を批判する声があがり、民主主義を守る運動をいっそう強めていく機運が高まっています。」
という記事がみられます。
まるで御用マスメディアの論調とおなじであることにおどろかされます。
この党派にかぎらず多くの議員らが、似たような理屈を叫んで反対しているようですが、
議員定数を温存することが民主主義を守ることになるなどという意見は、あまりにも瑣末で短絡的で、
ただ自己保身だけが丸見えの考え方にすぎないことはあきらかです。
いっそのこと、
議員数を十倍にして合計報酬総額をいまの半分以下にするという提案なら評価できるのだが。
-- 「民意は天に通じる。リコールは本当の大衆運動だ」。名古屋市議会の解散を求める直接請求(リコール)で、河村たかし市長を支援する「ネットワーク河村市長」が4日、約46万5千人分の署名簿を提出。河村市長は晴れ晴れとした表情で、リコール運動に賛同した市民に感謝の言葉を繰り返した。
1カ月にわたり、署名に駆け回った河村市長。同日午前の記者会見では終始、上機嫌な様子。「驚くべき民意。市民が具体的に権限を行使できるのは素晴らしい」と運動の成果を評価した。--
名古屋市のこの光景こそは、前回のブログに書いたように、
「すなわち、民主的議会制において多数が絶対であるというとき、
いつでもあらゆる議会や議員を無記名投票で市民側がリコールできること。
また、法令の異議申し立てが直接できうること。
さらに世界史的な視点からいえば、
政権にたいする市民の異議申し立てを「弾圧」するような、法律はもとより、
軍や警察や公共メディアはもたないことなどのすべてが
前提でなければならない。」 という《 本当の民主主義の原則・前提 》が、
まだ日本では、ひっそりとだが、正当に生きていることの証明だとよろこぶべきことのはずだ。
つまり、民主主義の本当の軸足は、
いつでも《 個として》の市民の側になければならないのである。
-- つづいて、阿久根市長のたたかいについてみてみましょう。
2010/10/06 (水) 支えあう阿久根のために 1
「議会の有様を本当にわかっていただきたい、一番権力を持っているのは議会ですよ。」このように名古屋の河村市長が言いました。
橋下大阪府知事は「議会には本当に苦労しています。議員は市民のためではなく、首長が好きか嫌いかで物事を決めています。」と言っています。
市民の皆さんで議会のルールを知っている人はほとんどいません。皆さんは議会の仕組みを知らないまま、「日本は議会制民主主義の国だ」と信じています。仕組みを知らないのに信じているわけです。
変ですね、恥ずかしながら私もよく分かっていませんでした。私は議員を2年半、そして市長を約2年させていただいています。合計4年半も体験して、やっと真実がわかりました。
それは、「責任の無い議会多数派が最高権力者である」ということです。これを理解するために先ず、議会の不思議な仕組みを知ってください。
議会運営のきまりごと
1 議会を開くのは議長、市長は招集するだけ。
2 市長は質問に答えるだけ、議員への質問はできない。
3 議員間の議論はできない。発言者の意見を聞くだけ。
責任
4 議員の多数決で決めるが、議員は責任を負わない。
5 議決を執行したとき、市長だけが責任を負う。
つまり、議会は多数派の独裁です。議決にも発言にも法的責任がありません。
だから議員は好き嫌いで勝手に物事を決められる。おかげで責任者の市長は議員の機嫌取りをしなければならない。
普通の市長は、市民全体のためと言うよりも、
体裁を保ちながら議員と取引と妥協をします。それで波風が立たない。
ところが私は取引をせず、
阿久根市民全体の公益を最優先させるので利益を損ねる者たちが騒ぎ立てるのです。
私が専決したことで公益に反するものはひとつもありません。
市長自身はもちろん、議員や職員に損をさせてでも市民の願いを叶えようとするものばかりです。
■2010/10/06 (水) 支えあう阿久根のために 2
私は2年半、阿久根市議会議員をさせていただきましたので、阿久根市議会多数派の方々の能力と気持ちが理解できます。なぜ彼らが議員になりたかったのかも、なぜ私が提出する議案に反対し続けるのかもよくわかります。
その理由は単純です。「彼らもごく普通の人間」ということです。
皆さんとの違いは、「議員は楽して儲かる」のを良く知っているということです。
その上、多数派にいれば安心して世間の目や皆さんの願いを無視できてしまう。
しかし、「竹原は、議員定数削減を言い出したり、議員報酬を日当制にするなど、
既得権益の邪魔ばかりするので憎くてしょうがない」
それで、
「市長自身の給料カットや職員ボーナスを半減して税金を下げるのも竹原の人気取りにしか見えない」
だから、「竹原を早くやめさせて自分たちが笑い合える阿久根市に早く戻したい」
でも、「市長不信任を出しても自分たちが議員に再就職できる自信は無い」この様に考えています。
予定(楽な儲け)を狂わせてしまったことは気の毒だと思います。 しかし、
阿久根市には収入が極端に少ないなど、様々な理由で生活に苦労をしている方がたくさん居ます。
そういった方々の痛みや苦しみに寄り添い、支える議員に変わっていただきたいのです。
そして、多数派議員の皆さんがお持ちの大きな権力を阿久根市の将来のために使っていただきたい。
議会で多数の皆さんが本気で取り組めば、
将来にわたって阿久根市をすばらしいまちに変えていくことが本当にできるのです。
阿久根市長 竹原信一 --
この阿久根市長の竹原氏のお話は、議会制民主主義の実相をたいへんよく示していると思えます。
(次回につづきます。)
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