心理カウンセラーの眼!

孤立無援の・・君よ、眼をこらして見よ!

悲劇の母親という仮面の裏に

2006-07-17 11:22:31 | 心の闇と重大事件
秋田男児殺害容疑者の女性が、わが娘も突き落としていたと供述を始めた。

みんながうすうす感じていた悪夢のような犯罪に、
「やっぱり! しかし、なんで?」という
強い疑問が頭にこびりついて離れないこととおもう。

「いったいなぜ?」
「なんのために 殺したの?」
「あの不可解なパフォーマンスはどういうつもりなのか?」
「何もかもが矛盾だらけで 理解できないよ!」
「狂気であるというには、あまりにも落ち着いた振る舞いだし?」

この事件について、精神科医の見解を拝見することがあまりないのが、
寂しいかぎりです。

唯一、元警視庁刑事の方が優れた事件プロファイリングを示されていたのが印象に残っています。

沈黙する精神科医より余ほど卓越した能力をお持ちの方のようにお見受けいたしました。
それは、容疑者の「心の闇」を、
全般性不安障害(ソシオパス)であることを見抜いておられたことにあります。

全般性不安障害では、
「自分に迫る生き難さの恐怖」という強迫観念が日増しに競りあがってくることによって、
自分は「もういつでも暴発・破壊行動に走るしかない!」と思い込む瞬間が来る。

破壊行動によってしか心の闇を脱出できない、というよりも、

破壊することで「爆発的な快感を手にする!」ことができるのだ。

ただ破壊することに欲求があるわけで、
その行動の理由や意味はすべて後付けに過ぎないのである。

だから、それらしい理屈には矛盾点がいっぱい出てきます。

そこには、容疑者の精一杯の社会性の言葉がならべられますが、
その言葉が彼女の無残な生育暦を露呈するばかりなのですね。

そして、その彼女の生育暦ゆえに、
社会へのうらみの感情と嫉妬や憧れが、ない混ざったバッドイメージが起こす付加行動が、
この破壊行動にさらに複雑な印象を与えるのである。

すなわち、「悲劇の母親を演出する」行動に出るわけです。

この行動は、まぎれもなく「ミュンヒハウゼン症候群」の代理行為をあらわしています。
日頃から周囲の人たちの中で、自分の評価が低いことへの鬱憤と
生育暦で記憶するバッドイメージがショートして
美化の妄想が起こされます。・・・


わたしたちは彼女の行為から、
生育暦の悲哀に思いをやる事は出来ます。・・

だがしかし、ある時期だけでも、
社会性を無視して、自我の欲求にまかせた生き方をした人は

「大きな心の闇を抱え込む」ことを覚悟しなければならない
という戒めを肝に銘じておきたい。・・


そうでなければ、マスコミの騒がしいだけの報道に終わってしまったら、

亡くなられた二人の子どもが例えようもなく不憫におもいます。






コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。