こんにちは、大木です。
この辺りも、そろそろ梅雨の気配が近づいているように感じられますが、
みなさんは、いかがおすごしでしょうか?
心身が萎えそうになりがちな時節にはいってまいりますが、
どうか 踏んばっていただき、井穴刺絡療法をつづけられますように。・・
-- さて、拙いわたしのブログの書き記しですが、
なかなか ご理解いただけていない方もおられるようです。
まず、わたしのブログの主たるかんがえ方をじっくりご理解いただければ、
目線が合わない、はなしがかみ合わないといったことにはならないとおもいます。・・
人は社会からそれぞれ疎外意識を抱かされるために
その人のもちあわせるバイアスがかかった思考回路にどうしても固執しがちです。
そうした個々の自己意識・観念が、混迷する時代のなかで
いったん「社会」という共同意識・観念にしいられるように接する局面にたたされるとき、
疎外意識に見合う分のバイアスが逆バネのように転倒してはたらいて
共同観念の方に、同調や熱狂となって吸いあげられるということが、ままおこることです。
それは先の大戦のときのように、
本質的なことに ほとんどだれもが離人症のように考えがおよばず、目を瞑り、
確証バイアスのかかった美化の共同イメージに収斂されていった
あの「帝国日本の妄想・敗北」にあらわれました。
(-- 蛇足ですが、
あのとき、ああだったから、こうだったから、という御用学者の詭弁に同調するのは
典型的な解離症状の者の思考回路への感染です。・・念のため) ・・ それはさておき、
つまりいつのまにか、知らぬ間に自己観念が
ときの権力の思考回路にのせられて、
まんまと お先棒をかつがされていたりします。・・
なにとぞ、わたしの今までの語り掛けの
ものごとのとらえ方の総体をご理解いただけたらと切に願っています。
もちろんですが、
国会に巣食う護憲派であれ、去勢コンプレックスの口先き威勢のいい保身派であれ
いずれも目くそ鼻くその 幼稚な、 国を危うくするエライ方たちと呼ぶほかありません。
(参考ブログ・「戦争を問うシモーヌ・ヴェイユと現代日本」)
さて、今回も
きょうの箴言シリーズより - - -
「 - - 「子どもの犯罪について」 ・・
親たちは、子ども(幼児)をはげしく罰することによって
愛が 憎しみに変わることさえ 頓着せず軽んじる。
だが、子どもの憎しみは 抑圧された無意識となって
あとあとまで 抱え込まれてゆくことになる。・・
そしてのちのち 何かを契機に
子どもによってあらわされる犯罪は
愛の変形された形においてあらわれるために
おとなたちには けっして理解できないようなものとなる。
傷つけられた無意識の自我に 子どものほうも故なく 翻弄され
茫然とたたずんで 如何ともしがたいことになる。。- - - 」
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