「鳥は卵の中から出ようとして戦う。卵は世界だ。生まれようと欲するものは一つの世界を破壊しなければならない」との記述を見たことがある。
「一つの世界」をどう設定するのかは自由である。あるいは、それぞれが「破壊すべき世界」の存在を認識しているかも知れない。しかし、その世界の破壊に向かって行動する人は少ない。それは破壊に伴う危険への恐れと、破壊後の設計の不備による。
破壊、というと大げさだが、むずかしく考える必要はない。この対象になるのは決して大きな事ばかりではない。むしろ、ありふれた小さなことの破壊ー新設計を積み重ねることによって、大きな破壊と、再生を可能にする。
中江藤樹は「君子は日々に為すべき小善を一つ捨てず。それ大善は稀にして小善は日々に多し。大善は名に近し。小善は徳に近し」と言っている。何を破壊するかの問題とこれとは異なるが、沢山出てくる日々の小さな問題こそ大事である、という点では共通する。小さなーと考えたことが、どれだけ大きな結果につながることか。
いま酒販業界で大きな関心を持たれているのは、生ビ-ルの取り扱い問題である。
これまでのメ-カ-の特約店・酒販店・料飲店への販売という一つの世界を破壊して、新しいもの、つまり流通業者(メ-カ-特約店・異業種)でその販売権を握ろう、という動きは「生まれ出ようと欲するもの」の戦いでもあるが、残念なことに破壊後の設計が出来ていない。
卵は中のヒナが十分に成育すると、内からヒナが、外から親どりが互いにからをつつき合って破る。生ビ-ルの問題などは、ヒナが十分成育していないのに、からを破ろうとするのに似ている。それに、からの中に詰まっているものは、消費者には何の関係もないそれぞれの利欲だけである。利欲がからまると、問題の本質が見通せなくなる。
事業活動の中で利欲を離れることは難しいが、利益の付加は自らの手で自らの公正な努力により行なうべきであり、他から奪うべきでない。これが分からないと過当競争が起きる。
その意味では市場の値引き競争も、生ビ-ルの取り扱い権の争奪も本質的に変わりない。
現状の破壊つまり生ビ-ルの取り扱い形態の変更を望むなら、内部の十分な成育がなければならないし、それには綿密な料飲市場の調整と、料飲業者の意思の把握がまず行なわれねばならない。
そして、それにどう応えるか、という事になれば、一業者の片々たる利欲の入り込む余地はない。そうではなく、「まず業者の利害ありき」であるところに、この問題をこじらせる原因がある。
さる日曜日、店前の公園でバサバサ音がすると思っていたら、花をつけはじめたばかりのザクロの木が、見るも無残に坊主にされていた。
近所の方いわく、「あまり茂り過ぎて、そばを通る人のジャマになりますから」。
切られた枝から花を折り取って花瓶にさした所で冒頭の言葉が浮かんだ。
「生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない」。
来年、新しい芽が出るのを待つほかあるまい。
「一つの世界」をどう設定するのかは自由である。あるいは、それぞれが「破壊すべき世界」の存在を認識しているかも知れない。しかし、その世界の破壊に向かって行動する人は少ない。それは破壊に伴う危険への恐れと、破壊後の設計の不備による。
破壊、というと大げさだが、むずかしく考える必要はない。この対象になるのは決して大きな事ばかりではない。むしろ、ありふれた小さなことの破壊ー新設計を積み重ねることによって、大きな破壊と、再生を可能にする。
中江藤樹は「君子は日々に為すべき小善を一つ捨てず。それ大善は稀にして小善は日々に多し。大善は名に近し。小善は徳に近し」と言っている。何を破壊するかの問題とこれとは異なるが、沢山出てくる日々の小さな問題こそ大事である、という点では共通する。小さなーと考えたことが、どれだけ大きな結果につながることか。
いま酒販業界で大きな関心を持たれているのは、生ビ-ルの取り扱い問題である。
これまでのメ-カ-の特約店・酒販店・料飲店への販売という一つの世界を破壊して、新しいもの、つまり流通業者(メ-カ-特約店・異業種)でその販売権を握ろう、という動きは「生まれ出ようと欲するもの」の戦いでもあるが、残念なことに破壊後の設計が出来ていない。
卵は中のヒナが十分に成育すると、内からヒナが、外から親どりが互いにからをつつき合って破る。生ビ-ルの問題などは、ヒナが十分成育していないのに、からを破ろうとするのに似ている。それに、からの中に詰まっているものは、消費者には何の関係もないそれぞれの利欲だけである。利欲がからまると、問題の本質が見通せなくなる。
事業活動の中で利欲を離れることは難しいが、利益の付加は自らの手で自らの公正な努力により行なうべきであり、他から奪うべきでない。これが分からないと過当競争が起きる。
その意味では市場の値引き競争も、生ビ-ルの取り扱い権の争奪も本質的に変わりない。
現状の破壊つまり生ビ-ルの取り扱い形態の変更を望むなら、内部の十分な成育がなければならないし、それには綿密な料飲市場の調整と、料飲業者の意思の把握がまず行なわれねばならない。
そして、それにどう応えるか、という事になれば、一業者の片々たる利欲の入り込む余地はない。そうではなく、「まず業者の利害ありき」であるところに、この問題をこじらせる原因がある。
さる日曜日、店前の公園でバサバサ音がすると思っていたら、花をつけはじめたばかりのザクロの木が、見るも無残に坊主にされていた。
近所の方いわく、「あまり茂り過ぎて、そばを通る人のジャマになりますから」。
切られた枝から花を折り取って花瓶にさした所で冒頭の言葉が浮かんだ。
「生まれようと欲するものは、一つの世界を破壊しなければならない」。
来年、新しい芽が出るのを待つほかあるまい。