(有)大津屋 駅前本店

湖西の限定酒 ”これっきりごめん”
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可処分寿命と窮々自適 その二

2009年10月29日 17時27分06秒 | ひとりごと
 「それではあとは悠々自適ですか」と聞かれることもある。
 「いやいや、とても悠々とは参りません。窮々自適です。その自適すら
       危なかしい。と言って窮々不適になったのではたまりませんが」

 私の可処分寿命を時間になおせば十一万三千八百八十時間、  
 寝ている時間が三万七千九百六十時間で
 残り七万五千九百二十時間。
 
 今、健在で商売をしている両親も、父上八十二歳、母上七十九歳で引退も間近。
 物事は順番で、父上の面倒見は母上にやっていただき、母上が平均寿命まで
 頑張ってもらっても、その後私が面倒を見る時間が七万八千八百四十時間?
 あと残り えっマイナス二千九百二十時間?
 まてよ、平均寿命では窮々不適になってしまう。それでは呆けの五年を人並みに呆けずに踏ん張らねばならぬ。
 四万三千八百時間が取り戻せる。
 マイナスの二千九百二十時間を引いて正味四万八百八十時間が取り戻せる。ホッ

  さて呆けないためには何をしたら良いのだろう?
 ある特別医療法人の先生が言っていた。
 「生活習慣病と呆けは大いに関係がある。ビタミンE・Cは抗酸化作用があるので有効ですが、サプリメントで摂っても効果はないです。バランスのある食事と運動、呆けないためにはこの二つの要素がやはり不可欠のようですね。ちなみに少量のお酒はボケを予防するようです。」 えっ酒か・・・・・!
  適量の酒と、そのつまみを毎日自分で創ることがヒョットして呆け予防になる かもしれない。そう言えば自分の周りの所先輩も、呆けた人は皆無だ。そしてみんな自分の晩酌のアテは自らが創るか調達をしているなぁ等と考えてしまう。

 子が親より先に寿命を全うしては人生が成り立たない。
  この上は私が、両親が生きてる間だけは、「心配掛けず」「気を使い」
 天寿を全うするまで、一緒に仕事に励みましょうと、周囲の顰蹙(ひんしゅく) を買いながらも頑張らせねばと思ってしまう。

  いささか心細くなってくるが、やむを得ない。
  せめて時間と言わず物といわず、なるたけ「無駄」にしないように心掛けよう。   

 今年の二月、暖かい家の庭で梅が咲き出した。母上が植木の手入れをしていた時
「この梅は実がならないからいくら切ってもよろしい」と許可を得ていた。
 いいころを見はからって頂戴にあがった。白梅か紅梅か、それが分からぬのも楽しみであった。
 大きな枝は要らぬ。「お許しを得た者です。お言葉に甘えて頂戴しました。」と
 短冊に書いて吊るしておくことも忘れまい。
  いくつになっても親を使い、苦労させ、甘える親不孝者を演じて呆けから少しでも遠ざける。

  これで私の「可処分寿命」も増え自分の為に使えるなぁ。


可処分寿命と窮々自適 その一

2009年10月28日 16時38分32秒 | Weblog
 「自分のもらっている給料から考えて、1分間がいくらになるか。時間を無駄にするな。と家の者にいつも言っています。会合のあとで飲んだり食ったり、招待されてつまらぬ時間を費やすようなことは、私はしません」
とMさんは言う。
 私など根がグウタラなのでMさんの話には感心もし、なるほど、と思っても、そこまで突きつめて考えることはしないが、できるだけ「無為」の時間は作らない様に心掛けてはいる。

 三遍回って煙草にしょ- 昔のいろはがるたにあった。「煙草にしょ」とくると、一休み、と解釈するのが普通だが、実はそうではなくて、三遍触れまわったあと腰をすえてお客を待つー ので、外見が休んでいるように見えるだけである。
 それはそれとして、日常の中で、どれほど「無駄な時間」あるいは「無駄な行為」があるかを考えるのは「無駄」ではあるまい。

 陶侃(とうかん)という人がいた。三世紀頃の中国人だが、「大禹(う)は聖人なれども寸陰を惜しめり。衆人は分陰を惜しむべし」と言っていたという。耳の痛い話である。聖人の禹でも寸陰を惜しんだ。凡人はその十分の一の分陰を惜しめ。振り返ってみると、寸陰、分陰どころか、尺陰、間陰を迎えて、尺陰か間陰、もっとひどいことを言うと一キロ陰すら惜しまずに浪費してきたような気がする。
 但し、今の私は還暦を迎えて、尺陰か間陰ぐらいは惜しむ心境になっている。

「まあ、平均寿命なみの78歳まで生きるとしたら残りは18年でしょ。但し、どんな頭脳明晰な人でも死んだ時から逆算して3年間は頭が呆けていた、と言いますから、18年からそれだけ差し引かねばならない。私などは5年引かぬといかんでしょう。そしたらまともに頭を使え、体も動く期間は13年位しかありません。干支の一巡程度です。これが私の可処分寿命です。」

 歳を聞かれて「還暦です」「まだお若い」などとお世辞を言ってくれた時、私はそう答える。
  「可処分寿命」とは言い当て妙だと、いささか自慢でもある。
                                続く

「道歌」

2009年10月12日 16時04分02秒 | ひとりごと
 金銭は 慈悲と情けと、義理と恥
      身の一代に 使うものなり

 商人の 芸は下手こそ 上手なれ
      上手になれば 家はつぶれる

 少しずつ 盃に入れる 酒なれど
       家田畑も 遂にかたむく

 身代は 坂に車を 押す如し
      油断をすれば 下りこそすれ

 気もつかず 目に見えねど 何時の間に
       ほこりのたまる たもとなりけり

 八百の 嘘を上手に 並べても
      誠の一つに かなわざりけり

 今日ほめて 明日悪くいう 人の口
        泣くも笑うも 嘘の世の中

 身をけずり 人をば救う すりこぎの 
        この味知れる ひとぞ尊き

 朝起きて 夕に顔は 変わらねど
      何時の間にやら 歳は寄りけり

 雨あられ 雪や氷と へだつれど
        解くれば同じ 谷川の水

             永 六輔著 「商人」より