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50歳の新米パパ

子供のおもちゃと育児のイロイロ
ママへの不満、家庭菜園、親の介護

ありきたりで慌ただしいけど面白い毎日を綴ります

選挙運動、街頭で頭を下げるより・・・・

2024-01-19 16:23:57 | 日記
何の選挙かわかりませんが、最近、近所で通勤時間帯に旗を立てて通行する人や車に頭を下げている人を見かけます

『辻立ち』と言われる運動と思いますが、まだ名前を出せない期間なのか、どこの誰かも、主張もわかりませんが

私の地域は、この時期、雪や冷たい雨の毎日
傘もささずに、ただただ頭を下げる続ける日々のようです


大変だな、どこの誰かな、先輩や偉いさんにあれこれ言われてんのかな、など思うのですが、じゃあ投票してあげようかとなると・・・
どこの誰だかもわからないしね・・・

頭を下げてるすぐ近くに、歩道の除雪が間に合わず、登校で苦労をしている小学生の列
頭を下げるより、スコップ持って通りやすいように除雪してあげるほうが、地域のためになるんじゃない
と思ったりもします
どうせ、頭を下げるのは、選挙までなんでしょうから・・・


もっとも、そう思うなら、
親のお前が車から降りて除雪してやれよ!
と言われそうですが・・・

能登半島地震(その2)

2024-01-19 15:15:14 | 日記
地震関連の仕事がひと段落
子供たちも新学期の準備もあるので、1/5に家族を迎えに
ママの実家に戻りました

『戻ったよ~』とママの実家に
子供たちが気が付き、次男くんが飛ぶように駆け寄ってくる

『お兄ちゃんと2人でお風呂入ったよ~』
『ママと3人で寝たよ~』
とパパ不在の生活を、廊下を歩きながら報告してくれましたが・・・

次男くん、急に泣き出してしまいました

パパを心配させないように、不安と寂しさを一生懸命ガマンしててくれたんだな・・・・と思うと、とても愛おしくていっかり抱っこしてあげました


ママの実家のご家族に、私の不在のお詫びとお礼を言って
今度は家族全員でわが家に帰りました
途中、高速道路のSAでお昼ご飯を食べたり、車中で他愛のない
話をしながら、家にたどり着きました

家は被災しておらず、学校も休校の連絡も無いし
日常の生活に戻るのかな、と何となく思っていましたが・・・

まだ小1の次男くんは、やはり地震がトラウマとなったようで、
ときどき『地震こわ~い』と訴えるように
さらに、学校やスポーツクラブ等に行くのをとても怖がりようになってしまいました
『みんな、いるよ~、大丈夫だよ~』となだめても
やはり家族、特にパパが一緒にいないのがとても不安のよう


夜中、いつもパパは家事や仕事で夜中に起きるのですが
それも許してはくれません
次男くん、毎日夜中に起きるわけではありませんが、
目が覚めた時に、パパが隣にいないと、翌朝怒りながら悲し気に抗議してきます

こちらも、用があって起きているのですが、突き放すわけにもいかず
『そうだね、じゃあパパが居ない時間をできるだけ少なくするよ』
『隣にはお兄ちゃんもいるし、パパも家の中にいるから探しにきてね』
と、なだめながらの毎日です


今回の地震では、私の地域は大きな余震はかなり少ないほうだと思うのですが、1/9に震度4の地震
わが家で感じた地震では最大規模でした
夕方で家族全員が家にいましたが、緊急地震速報が鳴り響き
子供たちの不安と恐怖が再びマックスに・・・
どんなに頭で理解していても、余震がくるかもと心の準備をしてても
恐怖と不安は抑えきれないんだなと感じました


ママも、東日本の震災の時、当時の勤務先の東京の高層ビルが
ありえないくらい揺れて(机が動くほどだった)、それから
しばらく地下鉄に乗るのも勇気がいるほど怖がっていたっけ・・・もちろん、今でも、子供たちよりパニックになりそうなくらい怖いままのようです


私はというと、2008年岩手宮城沖地震後に仕事で2週間ほど現地にいて、頻繁に震度4くらいの地震に遭遇して以来、多少の地震に対する耐性が増したような気がします
もっとも、東日本の時は、私は仕事で名古屋駅に震度3、今回の能登沖でもママの実家で震度4
震度5以上の揺れも避難生活も、家とかが被災した経験もないからかもしれませんが・・・


地震で思いま出すのが、長男くんが幼稚園のころ、長男くん喘息気味で点滴を受けていた時に緊急地震速報が鳴り響いた時のこと

わりと冷静に、まず長男くんと針をしっかり押さえ、待合の小さい子供やママたちにも聞こえるくらい大きめの声で
『地震来るよ~、落ち着いて~』
『揺れるけど怖くないよ~、みんないるよ~』
と、言い続けました。

幸い大した揺れではなく、長男くんも怖がることはありませんでした
小さい子供たちがいる時こそ、まず大人が冷静にならなくちゃと思ったものでした


最後に、先日、次男くんの近所の友達家族が遊びにきてくれましたが
友達の弟くん、幼稚園年少さんだけが、地震のとき迷わず机の下に避難したそうです
怖がる前に、まず避難!”訓練の賜物ってことですかね

近所の浜辺。津波で海の家がみんな流されていました
津波は大したことないと聞いていましたが、被害をみると呆然としてしまいます





能登半島地震(その1)

2024-01-19 12:25:01 | 日記
正月から大変な地震が起きりましたね
被災された皆さんの日常が、1日でも早く戻ることを祈るばかりです


北陸地方で暮らす我が家も、ほんの少しですが影響を受けました

わが家のある地域では、震度5強
『これまでに無い揺れ』『過去最大の揺れ』だったそうです
わが家は、地震発生の当日、妻の実家に帰省中だったので
『過去最高の揺れ』は経験しておりませんが、それでも震度4
長く続く揺れに、『これは普通の地震じゃないな』と感じました


災害が起きると忙しくなるのが私の仕事
1/2に緊急招集で、私だけ会社に戻り仕事を始めました
大きな余震が予想され、子供たちより地震が怖い妻だけでは
子供たちがパニックになりかねないと思い、家族は妻の実家に残してきました


子供たちも、私だけ仕事で先に帰ることに
4年前の大みそかに、私の両親が倒れて同じように私だけ帰ることになった時、泣き叫んでした子供たちも理解してくれました(成長したんだね)

でも、いよいよパパが帰るという時に
2人とも走ってパパに飛びついてきました
次男くんは泣くのを必死にこらえているようでした

ゴメンね、少しでも困っている人の役に立ちたいから仕事に行くね
と、説明しながら抱っこしてあげました


家に帰ってみると、特に何も異常が無さそうでした

寝室のCDラックが倒れてCDケースが破損したこと、
リビングの本だなの1番上の段の本が落ちたこと
(地震対策の突っ張り棒が落ちていました)ことが、
一番大きい被害

電気、水道、ガスのライフラインも異常無しで、少しホッとしました


CDケースの一部が割れて飛散
寝室なので、足に破片が刺さるのが一番怖い
誰もいなくてよかった

本棚がかなり揺れたのか、一番上の本が全部落下
本棚を止めていた突っ張り棒も落ちていました
本棚の前にはストーブ。ストーブが付いている時に
落ちてきたら、ストーブ自体は消えたしても、余熱で本が焼けたりして
火事になっていかも・・・とちょっと怖くなりました
本もCDも落ちたものは、余震でまた落ちると思ったので、
段ボールに入れて別の部屋に仮置きしました

扉の無い棚の食器、大きな鉢植えの乗ったイスなど重いものとか、重いものは落下せず全部無事でした
空や軽いものが入った引き出しは、全部飛び出していました
全部かたずけて、入浴して、さて寝るかと思った2時頃、
思い立って扉付きの食器棚を確認すると・・・・
ガラスボウルが、1つだけ割れていました・・・
慎重に片づけて、結局就寝は深夜3時
でも、ひとりでよかった・・・・・・


それから朝7時出勤、帰りは深夜11時、12時でしたが
まずは、2、3日がんばれば終わりそうなのと
ひとりだけで生活すればよかったので、精神的には
むしろ、かなり楽でした

それでも、コンビニは弁当や総菜パンの入荷が滞っていて
商品棚はガラガラ
カップラーメンと、菓子パンは、3日目に食べ飽きてしまいました
被災された方のことを思えば、罰当たりですね