
【連載】呑んで喰って、また呑んで㊶
生海老のプリプリ感がたまらん
●タイ・チェンマイ
私はタイ語が読めない。大衆食堂だと、他の客が美味そうに食べているのを指さして「あれ、ちょうだい」と注文することにしている。しかし、メニューにタイ語だけでなく、中国語や英語が併記され、おまけにその料理の写真まで載っていると、ほとんど外れることがない。
一度、チェンマイで大失敗したことがあった。しかも、素晴らしい大失敗を。何か安くて美味いものはないかと、友人U君と宿泊していたホテル周辺を探し回っていたのだが、なかなか見つからない。そのうちに歩き疲れてしまい、食欲もあまり湧かなくなっていた。
「疲れたな。ホテルの近くで食べようか」
「うん、もう、どこでもいいや」
とU君も賛同した。そんなわけで、ホテルの目の前にあった一軒のタイ料理屋へ。夕飯時だというのに、客がいやに少ないではないか。が、もう座ったので、今更引き返すわけにはいかない。天井を見ると、扇風機が静かな音を立てて回っている。けっ、エアコンもないのか。
仕方がない。簡単な料理とビールで軽く済ませて、さっさとホテルに戻ろう。で、まずはシンハー・ビールを注文する。そして、簡単なツマミを写真入りのメニューから探すことに。メニューには英語はなく、タイ語に併記されているのは中国語だけ。
探すのは私の役目だ。すぐに目に入ったのが、海老の料理である。写真を見ると、小ぶりの海老が皿一面に並んでおり、マナオ(ライム)らしきものが添えられている。多分、蒸した海老にマナオを振って食べるのだろう。
そう思って注文したのだが、出てきたのを見て驚いた。なんとえ蒸したエビではなく、生の海老だったのである。
「しまった!」
悲鳴に似た声を上げる私に、U君が無情な追い打ちをかけた。
「オレ、喰わないからな」
私の経験から言うと、タイで生ものを食べるとロクなことがない。数日間は下痢に苦しむからだ。U君も何度か経験しているので、頑なに食べるのを拒絶したというわけだ。日本円で一皿300円もしなかったが、食べないと勿体ない。
気持ちを落ち着かせようと、私はトイレへ。トイレの向こうにもう一部屋あることに気づく。テーブルが10卓以上あっただろうか。なんと客で満席だった。店員に尋ねると、エアコンの効いた部屋だと言う。私の直感が働いた。客が多いのはエアコンのせいだけではないだろう。きっと料理が美味いからだ。
トイレから戻って、その海老料理をよく観察してみると、生のニンニクのみじん切りがたっぷりとかかっているではないか。ニンニクは食中毒を防ぐと言われている。
「よし、食べるぞ!」
そう勢いよく宣言して、私は海老にナマオをしぼって振りかけた。ニンニクをたっぷり乗せたのは言うまでもない。
そのときがやって来た。目をつむって海老を口に放り込む。噛む。ん? 何だ、このプリプリした歯触りは…。もう一度噛む。うっ、美味~い。口中にいまだ味わったことのない不思議な旨味が広がった。
ニンニクとナンプラー(魚醬)、唐辛子、そしてマナオの酸味が海老にまとわりつき、絶妙な味を演出しているのだ。口中に充満した旨味をシンハー・ビールで洗い流すのも勿体ない。そこで急遽ブランデーの炭酸割を注文。このブランデー・ソーダがその料理を引き立てた。
「最高に美味いよ」
とU君にすすめるが、乗ってこない。それどころか、まるで気持ちの悪いものを見るかのように、私を凝視している。新しい料理に挑戦しようという気持ちがゼロ。つまり、食の超保守主義者なのである。こんな性格だと、本当に美味い料理や珍味にめぐり合うことはないだろう。「可哀そうに」としか言いようがない。
私は違う。同じ料理をもう一皿追加注文した。ブランデー・ソーダも。その料理の名は「クンチェー・ナンプラー」。海老のタイ風カルパッチョとでも言おうか。絶品である。
▲ニンニクとマナオが生の海老を引き立てる
それ以来、この料理を何度も食べているが、食あたりしたことは一度もないので、ご安心を。タイに行ったら、ぜひ試してもらいたい。きっと気に入るはずだ。もし食中毒になったとしたら、「運が悪かった」と諦めてもらいましょう。