【連載】呑んで喰って、また呑んで(95)
「出版の仏様」が居酒屋を
●東京・飯田橋ほか
前回に登場した軍事雑誌編集長のМさんは直情型というか、すぐにカッとなる性格である。デパートの洋服売り場では、応対した店員の態度が悪かったのか、肩を震わせて怒鳴り散らした。が、激しく興奮したせいか、頭に血が上ってその場にぶっ倒れてしまったことも。
以前勤めていた新聞社では社会部長をしていた。ある日、「てめえ、このヤロウ!」と部下に逆上し、あろうことか、包丁を持って屋上まで追いかけたという。その部下から直接聞いた話である。
ふつうなら、こんな凶暴な人とは二度と一緒に仕事をしたくない。しかし、この部下は偉かった。なぜかМさんが編集長を務める軍事雑誌に私と同じ記者という立場で籍を置いていたのだ。その部下こそ、私にどくろ杯を預け、数年後に行方をくらますことになるSさんである。
ところで、出版界でМさんの異名は轟いていた。「出版の仏様」である。「出版の神様」ならわかる。数々のベストセラーを飛ばす辣腕編集者のことだ。しかし、「仏様」とは、一体どういう人なのか。
南無阿弥陀仏(ナムアミダブツ)、何妙法蓮華経(ナンミョウホウレンゲキョウ)を唱えてチーン。そう、関わる雑誌を短期間のうちに廃刊に追い込む編集者として有名だったのである。案の定、この軍事専門誌も3年もしないちに廃刊に。
変わり身の早さも抜群だった。次にスポーツ・レジャー雑誌の編集長に就任する。私も手伝ったのだが、1年ちょっとで廃刊。「出版の仏様」の本領を十分に発揮したというわけだ。
本人も自分の運命を悟ったのか、その後は出版界から完全に足を洗った。夏のある日、Мさんから電話が。
「親戚が経営するホテルの1階で店を開いたんだ。上野の近くだから、今度、呑みに寄ってよ」
なんと居酒屋の経営者に転身したと言うではないか。興味津々である。さっそく翌日の昼過ぎに、そのホテルへ。な、なんだ、こりゃ。現場に着いてびっくり。ホテルというが、安普請の三階建てのビルである。ホテルの看板がなければ、ずいぶん迷っていたことだろう。 その1階にある居酒屋だが、これも看板も何の表示もなし。小汚いビルに管理人室みたいな一室と思ってもらいたい。広さは6畳ぐらいだろうか。約2メートルのカウンターがあるだけ。テーブル席はない。
「おー、よく来てくれた。これから買い出しに行くんだ。つき合ってよ」
頭突きでも喰らったら困るので、「いや」とは言えない。
2人して近くのスーパーに出かけ、冷奴、蒲鉾、キュウリ、そしてトマトを購入する。
「ん、これだけですか?」
「そう、つまみはあまり置かないようにしてるんだ。おっと、サバの缶詰も買わなくゃ」
缶詰を追加して、居酒屋と称する店に戻った。
「お店は何時に開店ですか?」
「うーん、4時ごろかな。暑いから、外で呑もう」
店の外に半分壊れかけた小さなテーブルと椅子が2脚置かれていた
「まあ、座ってよ」
とМさんが笑顔で私を迎えた。
座れと言われても、その椅子がまた汚い。シミだらけである。私が座るのを躊躇していると、
「近所に捨ててあったんだ。大丈夫だよ、雑巾で拭いたから」
座らないと、包丁で追いかけられる恐れがあるので、仕方なく着席する。
「ビールにする?」
「ええ」
Мさんがビールの大瓶から汚れたグラスに注ぐ。
「まずは乾杯だ!」
買い出しで汗をかいたから冷えたビールが五臓六腑に染み渡った。
「つまみは蒲鉾でいいだろ?」
「ええ」
Mさんがカウンターで蒲鉾を適当に切る。カビの生えたようなプラスチックのまな板で。それを淵の欠けた小皿に盛り付けた。私が食中毒になる覚悟を決めたは言うまでもない。
シミだらけの壁を見ると、お品書きが貼ってある。冷奴、トマト、キュウリ、サバの缶詰。すべて200円均一である。
「料理はこれだけですか?」
「ああ、火を使わないようにしてるんだ。切るだけ。切るだけだよ」
「……」
これで客は来るのか。
「ほとんど来ないな。たまにホームレスが来るぐらいだ。ホームレスだから、タダにしてあげてるんだ」
「はあ」
風の便りによると、その店も3カ月も経たないうちに閉店を余儀なくされた。ま、当然と言えば当然だろう。しかし、3カ月もよくもったものである。それから1年ほどして訃報が入った。Мさんがあの世に旅立ったのだ。別居中の夫人が、いくら電話しても出ないので、心配してアパートを訪ねたところ、座ったまま亡くなっていたらしい。死後、2、3日は経っていたという。死因は心臓発作。カッとする性格が死期を早めたのだろう。
Мさんと親しくしていた編集プロダクションのT社長と都内にある墓を訪ねた。共同墓地である。二人とも線香を持って来なかった。どうしようかと思案していると、
「この線香でいいか」
とT社長が誰かが供えた線香を鷲掴みにした。
「共同墓地だから、いつも誰かがお参りに来てるんですよ。だから線香も買う必要なし。Мさんもきっと同じことをしていたでしょう」
へー、感心することしきりである。
墓参りが終わって、ホッとした。
「さっ、どこかで一杯やりましょうか」
「まだ2時ですね。どこか開いてる店はありますかね」
「そこの牛丼屋なら呑めます」
というわけで、牛皿をつまみにビールをぐいぐい。2時間はいただろうか。すっかりいい気分になったので、飯田橋で呑むことに。飯田橋にはT社長の会社もある。それに物書きをしている先輩の事務所も。
その先輩を誘って5時から酒盛りが始まった。お開きになったのは何時ごろだったのか、まったく覚えていない。朝、その先輩の事務所の床で目覚めたのだから。いずれにしても、Мさんのいい供養になったのは間違いない。