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青年は荒野をめざ…したのか 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(96)

2025-05-03 05:30:44 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(96)

青年は荒野をめざ…したのか

 

▲五木寛之の『青年は荒野をめざす』は数多くの若者を海外に向かわせた

 

 今回は、他愛もない雑談です。読んでいただいても何の役にも立ちません。いくら考えても書きたいテーマが絞りきれないので、思いつくまま適当に書いてみようと思います。

そうだ、スペイン、行こう!

 子供の頃から外国相手の仕事がしたかった。今では、英語が国際語としての地位を確立しているが、50~60年前の国際社会では活動分野によって ‘dominant language’ と呼ばれる優先言語が使われていた。
 今ではちょっと想像しづらいが、例えば、外交にはフランス語、医学・科学・工学にはドイツ語、そして貿易・商業にはスペイン語といった具合だった。
 私は、特にスペイン文学やラテン音楽が好き、と言うこともなかったのだが、世界を相手にする仕事がしたかったので、迷うことなくスペイン語を学ぶことにした。
 しかし、スペイン語に限らず、大学で4年間外国語を勉強しても、まともにその言語を操れるようになれるとはとても思えなかった。
(では、どうする?)
 と煩悶する日が続いた高校3年のある日、「そうだ、スペイン、行こう!」と突然決心したのである。当時、五木寛之の『青年は荒野をめざす』という本に夢中になっていた。
 主人公の「ジュン(北淳一郎)」は、トランペットが好きな高校生。彼が、「外国に行こう」と決めたのも、高校3年の時だった。
 巷では、単行本『青年は荒野をめざす』と共に、ザ・フォーク・クルセダーズの歌う『青年は荒野をめざす』(五木寛之作詞、加藤和彦作曲)が流行っていた。こんな歌詞だ。

ひとりで行くんだ 幸せに背を向けて
さらば恋人よ 懐かしい歌よ友よ
いま青春の河を越え
青年は青年は 荒野をめざす

もうすぐ夜明けだ 出発の時が来た
さらばふるさと 想い出の山よ河よ
いま朝焼けの丘を越え
青年は青年は 荒野をめざす

みんなで行くんだ 苦しみを分け合って
さらば春の日よ ちっぽけな夢よ明日よ
いま夕焼けの谷を越え
青年は青年は 荒野をめざす

ひとりで行くんだ 幸せに背を向けて
さらば恋人よ 懐かしい歌よ友よ
今青春の河を越え
青年は青年は 荒野をめざす

 私は、『青年は荒野をめざす』の本と歌に強く背中を押された。と言うより、そそのかされて日本を飛び出したようだ。改めて思い起こすと相当軽薄なお調子者である。
 でも、もしその経験がなかったなら、今の自分は多分違った人間になっていたはずだ。昔は、この歌に強く感情移入してしまい、一人口ずさんでは旅立つ自分に酔っていた。
 ジジイになった今でも時々、突然印象的なイントロに続く「一人で行くんだ…」という歌詞が突然頭の中で流れ、胸が熱くなってしまうことがある。未だに単純で幼稚な自分に、一人赤面してしまう。

 

▲筆者を横浜からナホトカまで運んだジェルジンスキー号

▲シベリア鉄道(iio.org.ukより)

 

 1973年3月、横浜からソ連の貨客船ジェルジンスキー号でナホトカに向かい、シベリア鉄道と飛行機を乗り継いでヘルシンキに辿り着いた。ヘルシンキからは、フィンランド人の団体ツアーに紛れ込み、格安便でパリに飛んだ。
 パリからスペインまでは、ユーレイルパス(欧州主要国の鉄道乗り放題のパス)の旅。およそひと月にわたって、サラマンカ、ヴァレンシア、マドリッドの大学を巡り、最終的にUniversidad Complutense de Madrid (マドリッド・コンプルテンセ大学)に入学し、落ち着いた。私は当時、21歳。以下の写真のような顔、していました。

 次回は、この旅について書いてみたい。


 

▲マドリッマドリッド・コンプルテンセ大学の学生証
 

▲国際学生証

 

 

                

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


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