白井健康元気村

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雪の思い出(前) 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆㉜

2022-01-06 06:49:26 | 【気まま連載】帰ってきたミーハー婆

【気まま連載】帰ってきたミーハー婆㉜

雪の思い出(前)

岩崎邦子 

 

 

「雪の日に傘を差すなんて……内地の人だね」
 そう小馬鹿にされたのは、札幌へ転勤した最初の冬のできごとだ。ポカンとする私に、「内地」とは本州のことであることも教わった。北海道の雪はサラサラしているので、帽子や服に積もる雪もポンポンと手で払いのけるだけでよいのだという。
 ついでに、こうも言われ、笑われた。
「まぁ、なんて色黒な人だと思っていたけど、そうでもなかったね」
 夫の転勤で札幌に来たのは夏だった。やんちゃな息子は2歳を過ぎたばかり。勝手気ままに動き、走り回るので、危なくて仕方がない。引っ越しの荷物を一人で片付けながら、「日焼けに注意」なんて、構っていられなかった。
 札幌に転勤を命じられた際、夫に私が要望したのは、住まいが平屋の家であることだった。冬は雪に閉じ込められるだろうから、子供の外遊びが出来ないことを懸念したからだ。
 古い家屋であったが、襖を外せば、家の中が広々と使えた。室内用のブランコに乗ったり、子供自動車も乗り回したりが出来た。
 当時はまだまだ石炭ストーブが主流であったが、大きな石油ストーブがあったことは、何よりであった。残念ながらお風呂だけは、石炭だったことで、その着火には手を焼いたものである。
 余談だが、内地に戻ってからも、寒くて暗い石炭小屋に行かねば……。ハッと目が覚める。ああ、夢で良かった。そんなことが何度も。
 石油を入れる大きなドラム缶が前庭にあって、冬を前にして業者が灯油を配達してくれた。裏庭の石炭小屋には、石炭が定期的に配達されてくる。10月に入ると、「雪虫」と言って、小さな白いものが風に乗って舞うようになり、いよいよ冬も本格的になってくる。
 市場ではキャベツを始め、いろいろな野菜が大量に売り出される。保管場所としては、玄関やベランダなどの気温が冷蔵庫と変わらない所や、土にも埋めて保存をするのだという。
 私には戸惑うばかりだが、松前漬けやニシン漬けをする、ベテラン主婦たちがいた。その一人に夫の会社で社員の賄いをしてくれている小母(おば)ちゃんが。札幌の二条市場に行っては、食材を上手に見繕ってきてくれる。頼る友達もいなかった私だ。彼女に親切にしてもらったことが、嬉しかった。
 家は二重窓になっていることもあり、石油ストーブの威力で内地より暖かく過ごせた。夜の間に雪が降り積もる。真っ白になった窓をそっと開ける朝。カップに雪を詰め込み、コンデンスミルクをかける。雪を食べるなんて、内地では出来なかったが、暖かい部屋での醍醐味でもあった。
 札幌での住まいの地は、丸山と藻岩山の間の双子山町。我が家の前は、リンゴ畑になっていて、その向こうに双子の山が。家の前の道を登って行けば、丸山動物園に通じていた。近くには旭丘高校があって、冬になると生徒たちが家の前を、スキーを抱えて登って行く。近くのスキー場で体育の時間があるのだろう。
 子供にとっては、やはり友達ができることが一番である。家から少し離れた所に少しお兄ちゃんになる子がいることが分かった。泣かされてくることもあったが、懲りずに出かけて行く。 
 家の庭と道路の間の側溝は、内地よりかなり広くなっていて、道路の雪はここへ投げ込む。気温が少し上がれば、融けた雪が勢いよく流れ下って川のようになり、小さな子供には危ないこと極まりない。
 降る雪はサラサラとしているが、融けだした雪道で転べば、下着までグショグショになる。日々の生活で息子は頻繁にやらかしてくる。元気なのは良いとしても、もう、着替えが無くなるほどだった。
 4月末、長女の出産で入院したが、玄関脇のクロッカスがほんの少し芽を出し、やっと春の兆しだった。3歳になったばかりの息子もいることで、会社時代の友人のTちゃんが我が家に応援に来てくれた。
 札幌転勤前の市川にいた頃から、我が家に遊びに来ていたことで、息子はすっかりTちゃんが大好きになっていた。出産後の1週間は入院をしていることが当たり前の時代だったので、大助かりであった。 
 5月の連休に退院となったが、我が家への道から見る家々の景色は、すっかり様変わりをしていた。梅も桜も水仙もチューリプもサクラソウも、ありとあらゆる花が咲き乱れ始めていたのである。春は一度にやって来ていた。花の咲く順番なんてありゃしない。 
 札幌での生活の間に、夫はゴルフやスキーも楽しむようになったが、私はもっぱら子育てばかり。「さぁ、これから少しは遊べるか」と思っていた途端、内地に転勤となって、また市川の住まいになった。
 その後、札幌冬季オリンピック(1972年2月3日~同月13日)に行われた。会場や交通機関が整備されたので、私達が住んでいた所は、もちろん跡形もないだろう。半世紀以上も前の事だが、まだ若かった時の雪景色、そして百花繚乱の景色の素晴らしさは忘れられない。(つづく)

 

【岩崎邦子さんのプロフィール】 

昭和15(1940)年6月29日、岐阜県大垣市生まれ。県立大垣南高校卒業後、名古屋市でОL生活。2年後、叔父の会社に就職するため上京する。23歳のときに今のご主人と結婚し、1男1女をもうけた。有吉佐和子、田辺聖子、佐藤愛子など女流作家のファン。現在、白井市南山で夫と2人暮らし。白井健康元気村では、パークゴルフの企画・運営を担当。令和元(2018)年春から本ブログにエッセイ「岩崎邦子の『日々悠々』」を毎週水曜日に連載。大好評のうち100回目で終了した。


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