白井健康元気村

千葉県白井市での健康教室をはじめ、旅行、グルメ、パークゴルフ、パーティーなどの情報や各種コラムを満載。

世界一美味いビーフステーキを食べた! 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(68)

2024-09-14 05:30:20 | 【連載】藤原雄介のちょっと寄り道

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道(68)

世界一美味いビーフステーキを食べた!

 

サン・ジミニャーノ(イタリア)

 

 


「世界で一番美味いビーフステーキは?」
 そう訊かれたら、私は迷うことなくフィレンツェ名物のビステッカ・アッラ・フィオレンティーナ(Bistecca alla Fiorentina)だと答える。フィレンツェ風のTボーンステーキと言ったほうが分かりやすいだろう。Tボーンとは、サーロインとフィレに挟まれ中央にT字型の骨がある部位である。

 勿論、私は世界中のビーフステーキを食べたことがある訳ではない。それでもステーキ大国と言われる米国、豪州、アルゼンチンなどのステーキがかすむほどビステッカ・アッラ・フィオレンティーナにはブッチギリで感動する。世界一と言っても差し支えないだろう。

 ビステッカ・アッラ・フォレンティーナと名乗るためには、いくつか条件がある。まず肉はトスカーナ原産のキアニーナ (Chianina) 牛の仔牛肉でなければならない。それに低温で少なくとも20日間熟成したTボーンを使うこと。とは言え、キアニーナ牛は流通量が少なく高価であるため、トスカーナ地方以外の地域では普通のTボーンステーキをフィオレンティーナと呼んでいるらしい。

 カットの最小単位は約1~1.5kg、厚さは5~6cmだが、フィレンツェでは、「指何本」と呼ぶ。基本は、「指4本=quatro dita」だ。
この分厚い肉を室温に戻してオリーブオイルを塗り込んだら、強火の炭火かオリーブの木の薪でサッと炙り焼きにする。味付けは塩と胡椒のみ。焼き加減はレア以外にない。が、外はカリッと焦げているのだ。
 肉の切断面はまるで鰹のたたきのように表面だけが焦げ、中はきれいな赤色で肉汁が滴っている。噛めば至福の肉汁が口内にあふれ出る。
 ああ、肉肉しい! Mamma mia(マンマ・ミア)!

 トスカーナ地方の小さな世界遺産の街サン・ジミニャーノ(San Gimignano)に合弁会社があるので、何度か出張で訪れたことがあった。
 サン・ジミニャーノは、フィレンツェの南東約60kmに位置するブドウ畑が広がる美しい丘陵に囲まれた人口7500人ほどの小さな街である。ルネサンス期に金持ちたちが財力を誇示するために、争って建てた美しい塔が立ち並んでいることで有名だ。

 相手方の社長ベンチーニ氏は、陽気な人なつっこい人物で、妙に気が合った。彼は全く英語が理解できない。そんなわけで、彼はイタリア語、私はスペイン語で話していた。それで大体半分くらいは意思疎通ができたのだが、お互いに理解できないところは、笑ってごまかしていた。
 しかし、ビジネスの話は、副社長と英語で話せるので問題はなかった。ベンチーニ氏は、高血圧、糖尿病で医師と奥方から厳しい食事制限を申し渡されていたのだが、ビステッカの誘惑に勝てるはずがない。
 下の写真をご覧いただきたい。4本指どころか、5本指のビステッカと対面し、しばし病気を忘れて恍惚の表情を浮かべている。

 

▲ビステッカ・アッラ・フィオレンティーナを前にワクワクしているベンチーニ氏。この肉の塊を6人で食べた

▲日本への帰任挨拶のためベンチーニ氏を訪れ、トスカーナのワインとグラッパを記念に戴く

▲フィレンツェのドゥオーモ大聖堂


 さて、フィレンツェとサン・ジミニャーノの中間点に La sosta di PioVII(教皇ピオ7世の滞在)という名の Osteria(小さなレストラン或いは居酒屋)がある。 店の名前は、19世紀のローマ教皇 ピオ(ピウス)7世が移動中に尿意を催し、立ち寄ったことに因む。
 辺鄙な田舎の居酒屋にローマ教皇が来るなど想像もつかないコトだったので、「教皇様がお立ち寄りになった」とちゃっかりそのまま店の名前にしたという話だ。


▲罰当たりなことに、店の名刺には、放尿する教皇の絵がユーモラスに描かれている。

 

 地元の人たちが集う居心地の良い店で、ベンチーニ氏に何度か連れて行ってもらった。この店のビステッカもなかなかのもので、大きな肉にむしゃぶりついている写真があったのだが、残念ながらいくら探しても見つからない。
 ネットでたまたま私たちが座ったテーブルの写真を見つけたので貼っておく。ああ、もう一度行きたい!

 
▲La sosta di Pio VIIの思い出のテーブル

 

            

  

【藤原雄介(ふじわら ゆうすけ)さんのプロフィール】
 昭和27(1952)年、大阪生まれ。大阪府立春日丘高校から京都外国語大学外国語学部イスパニア語学科に入学する。大学時代は探検部に所属するが、1年間休学してシベリア鉄道で渡欧。スペインのマドリード・コンプルテンセ大学で学びながら、休み中にバックパッカーとして欧州各国やモロッコ等をヒッチハイクする。大学卒業後の昭和51(1976)年、石川島播磨重工業株式会社(現IHI)に入社、一貫して海外営業・戦略畑を歩む。入社3年目に日墨政府交換留学制度でメキシコのプエブラ州立大学に1年間留学。その後、オランダ・アムステルダム、台北に駐在し、中国室長、IHI (HK) LTD.社長、海外営業戦略部長などを経て、IHIヨーロッパ(IHI Europe Ltd.) 社長としてロンドンに4年間駐在した。定年退職後、IHI環境エンジニアリング株式会社社長補佐としてバイオリアクターなどの東南アジア事業展開に従事。その後、新潟トランシス株式会社で香港国際空港の無人旅客搬送システム拡張工事のプロジェクトコーディネーターを務め、令和元(2019)年9月に同社を退職した。その間、公私合わせて58カ国を訪問。現在、白井市南山に在住し、環境保全団体グリーンレンジャー会長として活動する傍ら英語翻訳業を営む。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« なぜ日本企業は衰退したのか... | トップ | 海外出張で見た欧州の余裕 ... »
最新の画像もっと見る

【連載】藤原雄介のちょっと寄り道」カテゴリの最新記事