白井健康元気村

千葉県白井市での健康教室をはじめ、旅行、グルメ、パークゴルフ、パーティーなどの情報や各種コラムを満載。

ぽっくり詣で 【連載】腹ふくるるわざ㊷

2023-01-20 05:35:19 | 【連載】腹ふくるるわざ

【連載】腹ふくるるわざ㊷

ぽっくり詣で

桑原玉樹(まちづくり家) 

 

 

 

 白井健康元気村のモットーは、いわずとしれた「ピンピンコロリ」。1月14日に元気村主催の終活講演会が行われた。講師は医療ジャーナリストの油井香代子さん。
 私は出席出来なかったが、このブロブのお陰で講演内容を知ることができた。その中で資料集の1番にある「長寿地蔵尊」の写真が気になった。どこだろう? 早速検索した。

ぴんころ地蔵(佐久市)

 わかった。写真は、長野県佐久市野沢にある成田山薬師寺の参道に建てられた地蔵尊だった。平成15(2003)年の建立という。
「ぴんころ地蔵」という愛称で呼ばれている。微笑みながら頬に右手を添えている姿が愛らしい。石仏作品で知られる今治市の作家「馬越正八」さんの作品であり、同じデザインのお地蔵さんはほかの地にもあるようだ。
 地元の「のざわ商店街振興組合」のホームページによると、長野県は長寿で知られるが、中でも佐久市のピンピンコロリ率は高いことが実証されているとか。そのため佐久市野沢は「長寿の里」「ピンコロの里」と呼ばれているらしい。
 また組合の名称には「のざわ商店街振興組合(ピンコロ会)」というように副称に「ピンコロ会」を付けている。きっとこのピンコロ会が地蔵尊を建立したのだろう。毎月第2土曜日にはピンコロ会を中心に市も立ち、にぎわっているようだ。

▲ぴんころ地蔵(佐久市)

 このほかにも「ピンピンコロリ」や「ポックリ」をうたい文句にして親しまれて、多くの参拝客が詣出ているお寺は多い。いくつかを紹介しよう。中には「ポックリ」の間に「タ」を入れたくなることもあるらしい。

会津ころり三観音(福島県)

 福島県にある「会津ころり三観音」は、次の3つの観音の総称だ。

・恵隆寺(会津坂下町、伝承によれば540年又は808年開山)の立木観音(鎌倉時代の作)
・如法寺(西会津町、807年建立)の鳥追観音(行基作と言われる)
・弘安寺(会津美里町、1279年建立)の中田観音(1274年鋳造)

 どれも結構古くからのお寺と仏像だ。この三観音に巡拝し、罪障消滅を祈願することにより、その苦しみが除かれ、現世においては子孫繁栄、万願成就、寿命安楽などがかなえられ、やがて大往生を遂げられるという。
 特に各観音堂内にある「抱きつき柱」にすがれば、死の床に際しても苦しまずに成仏でき、家族に余計な負担をかけずにすむということで「ころり三観音」と呼ばれるようになった。
 3つの観音を巡るツアーも多数企画されている。中田観音は、野口英世の母シカが深く信仰し、息子の火傷治療と立身出世を願い、毎月17日におこもりをする月詣りを欠かさなかったという。

▲会津ころり三観音(福島県)

 

ぽっくり寺 吉田寺(奈良県斑鳩町)

 これも古いお寺だ。「よしだじ」ではなく「きちでんじ」と読む。世界遺産である法隆寺の近くに位置し、987年に恵心僧都源信(えしんぞうずげんしん、「往生要集」を著す)が創建した。母の臨終に際し、源信が「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えながら衣を着せかけたところ、安らかに極楽往生を遂げたという。
 また母の3回忌に源信がクリの巨木から作ったと伝えられる丈六阿弥陀如来像はポックリ往生の霊験があるとされることから「ぽっくり寺」とよばれ、信仰を集めてきた。私も奈良に住んでいた時
に「ぽっくり寺」の道路案内看板に興味をそそられて訪れたことがある。

▲ぽっくり寺 吉田寺(斑鳩町)

 

ぽっくり大師 福泉寺(横浜市)

 首都圏域にもある。横浜市緑区長津田町にある福泉寺もその一つだ。「ぼけ封じ観音」と「ぽっくり大師」がある。1492年開山。しかし明治時代に失火で伽藍が全焼して以来衰退。
 しかし昭和45(1970)年、東急電鉄に敷地の一部を売った代金を元手に本堂が再建され、その後、観音像が建立された。観音像は、ボケずに長生きする健康祈願から「ぼけ封じ観音」と名付けられた。
 ところが、檀家から「ボケなくても寝たきりの長患いは嫌だ」という声が上がった。そこで観音像に続いて大師像を建立した折には「薬師さまに健康を守ってもらい、観音さまにボケ封じを願い、いつかお迎えが来るときはお大師さまと同行二人の旅にポックリと赴きたい」 という願いから「ぽっくり大師」と名づけられた。

▲ぽっくり大師 福泉寺(横浜市)

 

ぽっくり寺 常満寺(埼玉県日高市)

 保寿院石屋山常満寺は、平成3(1991)年に創建された新しいお寺だ。「日本一ぼろ寺・日本一御利益の有る寺」と自称している。
 開祖である宮木常満大和尚は、「ポックリ往生したい、ボケたくない」という人々の願いを受けて、全国のぽっくり寺を巡った末に、常満寺を創建した。境内には「ぽっくり地蔵」のほかに白寿ぼけ封じ・中風封じ・ポックリ往生を祈願する「釈迦涅槃像」、「観音像」がある。
 新型コロナが流行すると、「ポックリビエ(アマビエ)」も建立された。開祖本人も平成15(2003)年夏、ポックリと他界し、また檀家でも奥さんが買い物に行っている間にご主人がコタツの中で亡くなっていたという。
 このことから、本当にぼけず、ポックリと成仏していくお寺をう
たい文句に、観光バス誘致に力を入れ、芸能人が訪れてTVで紹介されたりしている。
 またポックリ祈願のお守りは現地だけでなく全国配送も行っており、ペットのポックリ祈願も行っているなど、現代的な経営方針のお寺だ。

▲ぽっくり寺 常満寺(日高市)

 

ぽっくり弁天(佐倉市)

 近いのは佐倉にある「ぽっくり弁天」だろうか。数年前に家内と一緒に出掛けた。車で40分だ。京成臼井駅の南側に開発された王子台や染井野の住宅街のその先に、昔ながらの農家が点在する生谷(おぶかい)という地区があるが、その一画に専栄寺がある。
 お寺の隣にある小さなお堂が「ぽっくり弁天」だ。池には亀や鯉が泳いでいる。その前に建つ石碑には次のように記載されていた。 なぜ「ぽっくり弁天」と呼ばれるかその由来はわからなかったが、年に1回10月20日のおまつりには観音様が御開帳になるようだ。

《弁天様由来記
当神社は寛文年間(1661年頃)に生谷松山一番地に霊水の湧くといわれる水源地に建立され、無病息災長生きのうえ、最期は美しく老い、長患いせずに「ポックリ」大往生するという霊験あらたかな神社として近隣の信仰をあつめておりましたが、臼井生谷土地区画整理事業実施に伴い今の王子台六丁目(記念碑あり)から当地に遷座されたもので近年特に御利やくがあると言われ評判になっており、毎月二十日が縁日で十月二十日がお祭りとなっております。》

▲ぽっくり弁天(佐倉市)

 

ポックリさん・ぽっくり寺

「天空仙人の神社仏閣めぐり」というサイト(http://tencoo.fc2web.com/jinja/xpokkuri.htm)では、全国34か所もの「ポックリさん・ぽっくり寺」が紹介されている。
 千葉県には顕妙寺(いすみ市)が、また茨城県では鹿島神社(ぽっくり地蔵、取手市)、ポックリ榎観音(取手市)、慈光寺(ぽっくり不動尊、坂東市)、泊崎大師堂(ぽっくり大師、つくば市)など車で1時間以内には結構あるようだ。暇と興味がある方はお出かけになったらどうだろう。

▲全国の「ポックリさん・ぽっくり寺」一覧

▲白井周辺のぽっくりさん

 

「ぽっくり死にたいけど、今日はイヤ」

 ところで「ぽっくり」で検索したら、上のタイトルが出てきた。第一生命経済研究所の小谷みどり主席研究員の論文だ。なんとなく皮肉なタイトルで面白そうだ。以下、この論文から引用して終わりにしたい。

《2017年にホスピス財団が実施した調査では、「ある日、心臓病などで突然死ぬ」というぽっくり死を希望する人が 77.7%にのぼった。年齢層でみると、60 代、70 代ではぽっくり願望が8割以上を占める。なぜぽっくり死にたいと思うのか、その理由については「苦しみたくないから」(67.8%)、「家族に迷惑をかけたくないから」(61.1%)が6割以上を占めた。

 一方、「(寝込んでもいいので)病気などで徐々に弱って死ぬ」のが理想だと思う人は、「死の心づもりをしたいから」という理由が 62.3%と多かった。

 実際、筆者が高齢者の人たちに講演をさせていただくとき、どちらの死に方がいいかをみなさんに考えてもらうことがよくあるが、参加者のほとんどは「ぽっくり死にたい!」という。しかし、「今夜ぽっくり逝ってもいい人は?」と問いかけると、ほとんど手は挙がらない。「ぽっくり死にたいけれど、今日明日はいや」というのが、多くの日本人の考えなのだろう。突然逝くからぽっくりと呼ばれているのに、今日はぽっくり死にたくない、明日もいやという感覚は、よく考えればおかしな話だ。覚悟を持ってぽっくり死んだという人はいないからだ。ぽっくり死んだ本人は、直前まで死ぬつもりはなかっただろう。

 結局は、死に方が問題なのではなく、いつ「そのとき」がきてもいいように、悔いのないよう、日々を過ごすということこそが大切なのではないだろうか。すべての人は、死に向かって生きているのだから。》

 

 

【桑原玉樹(くわはら たまき)さんのプロフィール】

昭和21(1946)年、熊本県生まれ。父親の転勤に伴って小学校7校、中学校3校を転々。東京大学工学部都市工学科卒業。日本住宅公団(現(独)UR都市機構)入社、都市開発やニュータウン開発に携わり、途中2年間JICA専門家としてマレーシアのクランバレー計画事務局に派遣される。関西学研都市事業本部長を最後に公団を退職後、㈱千葉ニュータウンセンターに。常務取締役・専務取締役・熱事業本部長などを歴任し、平成24(2012)年に退職。現在、印西市まちづくりファンド運営委員、社会福祉法人皐仁会評議員。


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 夢のまた夢 【連載】腹ふく... | トップ | 白井健康元気村が今年初の競... »
最新の画像もっと見る

【連載】腹ふくるるわざ」カテゴリの最新記事