四代目桶屋金之助の世界

おろかなるひとり言
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照れくさい話や恥ずかしい話ばかりです。

山名敏晴 『旅の終り』

2020-06-05 10:02:56 | あの頃の名古屋フォーク界
【あの頃の名古屋フォーク界 其の六】

前回紹介した高木麻早さんの『コーラが少し』の記事の中で
「作詞・作曲をした山名敏晴さん自身はこの歌を歌っていなかったかと思う」
と書きましたが、このブログを読んだ友人から訂正がありました。
ラジオ番組やライブでも歌っていたそうです。

さてその山名敏晴さん。
この人もバイタリスフォークビレッジ主催の全国フォーク音楽祭中部大会に出場している。
この時、八事裏山フォークオーケストラや北川とみさんも出場している。
まだアマチュアだったけどレベルが高かったんだな。
ここから名古屋のフォーク界が盛り上がっていったと言っても過言ではないと思う。

司会の吉田拓郎を見るのが目的で行った全国フォーク音楽祭中部大会。
振り返ってみればすごい人たちを生でみたんだなぁ。
当時、愛知県体育館に行ってよかった、よかった、よかった。

山名敏晴さんの代表曲といえばこの歌だろう『旅の終り』
1970年代初め、学生などがよく利用した格安の宿泊施設ユースホステルの
歌として全国にこの歌が広まっていったという。
作詞・作曲は舟橋俊久さん。
名古屋大学在学中に北海道旅行中にこの歌を作られたといわれている。

山名敏晴さんもラジオ番組をもっていた。
確かFM愛知だったかと思う。
FMだからAM放送と違ってしゃべりは少なく
おもにフォークソングを中心にかけていた。
この『旅の終り』はエンディングにかかっていたんじゃなかったかな。

このラジオ局主催のイベントだったか、番組の公開録音だったか
忘れたけど一度だけ見に行った覚えがある。
あの頃、ラジオ番組の公開録音などがあってよくゲストのフォークシンガーなど
見に行くことが好きだった。

『旅の終り』
何度聴いても心に響く。
今聴くと、切ない青春時代の終りを告げる歌のようでもある名曲。
悲しいことにCD化されていない。
山名敏晴さんがあの頃リリースしたアルバム「ソングブルース・ワンピース」
ぜひCD化してほしいと願っている。 

旅の終り 山名敏晴 北海道ユースホステルの歌

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6 コメント

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山名敏春さん (三代目煎餅屋店主)
2020-06-06 10:35:47
一度もライブにお伺いした事がないんですヨ・・・。
「忘れな草」を聞いた事も何時だったか忘れてしまってます。
山名さんのラジオはちょくちょく聞かせていただいてたのに・・・。
今池・ユッカでお見受けした時はライブの日ではな
く、ただ呑みに来た雰囲気でした。
「旅の終わり」は友人の兄が良くギター弾きながら唄っておりました(旅好きな人)。
「ユースホステルに行くと必ず皆で唄う歌」といっておられました。
後にこの歌を唄っておられるのが山名さんと知りました・・(ずーっと後ですが・・・)。
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三代目店主さんへ (四代目桶屋金之助)
2020-06-06 11:41:43
僕はアーティストのライブに行くよりも
ラジオ番組の公開録音などに行って
ゲストのアーティストを見ることがほとんどでした。
(お金が無かった。貧乏青年でしたから・・・)

今池のユッカ、そしてパラダイスカフェなど行きたかったけど
結局、一度も行ってない。
今、思えば心残りです。

「忘れな草」もいい歌ですね。
これも山名さんのラジオ番組でよく聴きました。
返信する
旅の終り (いら かおる)
2021-06-29 14:07:44
突然失礼します。古稀を過ぎた年金生活者です。「旅の終り」の舟橋俊久さん、山名敏晴さんとは同年齢です。ただ関東生まれですので名古屋のことはわかりません。「旅の終り」とは70年代前半のYH(ユースホステル)で出会いました。
礼文島の桃岩荘で「今年の歌」になったのが72年のこと。その後全国のYHに作者不詳の歌として広まりました。でも山名さんのLPは73年。レコードもないのにどのようにしてYHに伝わったのでしょうか。
山名さんの話では舟橋さんが作ったのが70年夏。翌71年に山名さんが北海道を訪れ、地元の若者に「旅の終り」を口づてに教えたそうです。YHとは関わりは全く、多分その若者から直接・間接的にYHに伝わったのではということです。なおこの過程で、メロディーや歌詞が少しずつ変化しています。

77年に突然事件が起きました。「旅の終り」の各社競作です。「四季の歌」の大ヒットを受けて、YHの愛唱歌がレコード会社に注目されたのです。
ただ基準になったのはYHで歌われていた「旅の終り」で、本家の山名さんのレコードではありませんでした。青木清さん、BOW、Mr.デーブマン、ダークダックスはYHバージョン。メジャーの歌手2人は歌詞をさらに手直しして発売しました。
結果は「大山鳴動して鼠一匹」というところでしょうか。
しかし全国のYHでは、誕生から約50年経った今でも、「旅の終り」が脈々と生き続けています。

ただYH運動は年々下降線をたどっています。歌い継ぐのも限界があるかもしれません。とりあえずCD化が期待されますが、歌詞を手直ししているメジャーの2人以外はレコードしかありません。
しかも多くの人がYHで「旅の終り」に接しているため、そちらが標準になってしまい、本家の舟橋さん・山名さんの歌に対して「何か違う」と思う方もいるようです。
具体的な名案はありませんが、大切な財産としていつまでも残り続けてほしいと願うばかりです。
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いら かおるさんへ (四代目桶屋金之助)
2021-06-29 14:44:51
1年前に書いたブログにコメントしていただきありがとうございます。

「旅の終り」についてかなり詳しいですね。
知らなかった部分もあり参考になりました。
山名さんが歌う「旅の終り」のレコードが貴重だということは知っています。
ぜひこの音源はCD化していただき後世に残していただきたい歌かと思っています。

もしよろしかったら今後とも私のブログにご訪問してください。
よろしくお願いします。
返信する
「旅の終り」 (いら かおる)
2021-07-19 06:35:24
ネット上では何人かの方が「旅の終り」について語っていますが、そのほとんどがYH(ユースホステル)の愛唱歌としてのみ認識しています。このため作者が当時名大生の舟橋俊久さんであることはある程度知られていますが、最初にレコーディングしたのが友人の山名敏晴さんであることについては、残念ながらあまり関心がないようです。
1960~70年代、YH協会では数年ごとに「いっしょに歌って」という愛唱歌を集めたLPレコードを制作しており、77年「第3集」の発行をキングレコードに依頼しました。
この中に「旅の終り」が収録されることになりましたが、楽譜は当時YHで歌われていたメロディーと歌詞を採譜して使用したため、オリジナルの山名さんの歌とは多少異なる曲調になりました。
この時選ばれた歌い手が、芸大卒でデビュー前の青木 清さんです。当初はLPのみのはずでしたが、そこへ各社競作という騒動が起きたため、青木さんも急きょシングルデビューとなったのです。
数年前に発売されていた山名さんのも含めて、全部で7組の個人・グループが「旅の終り」のEP・LPを出しましたが、世間の反応はありませんでした。
青木さんはその後シャンソンの世界に転身し、「青木裕史」の名で活躍されましたが、2020年暮れに脳梗塞で68歳の若さで急逝されました。
この青木さんの「旅の終り」も山名さん同様、EPとYH協会のLPしか音源が残っていません。(ネット上では紹介されています)
CD化されているのは、すがはらやすのりさんと芹洋子さんだけですが、お2人とも「補作詞」として歌詞を手直ししていますので、オリジナルやYH版とは別物になっています。
思えば1970年の誕生から半世紀が経過した「旅の終り」。YH運動も先細りで、この先どのように歌い継がれるのかは不透明ですが、個人的には山名さん・青木さんの歌声とともに残り続けてほしいと願っています。なぜなら、あの各社競作騒動がなかったら、存在したレコードはお2人の歌ったものだけだったはずですので。
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いら かおるさんへ (四代目桶屋金之助)
2021-07-20 11:15:19
長いコメントありがとうございます。
この「旅の終り」をいろんな方が歌っていることにつて、
私にとってはあまり興味がないのです。
私にとって興味があるのは山名敏晴さんというシンガーです。
山名さんの代表曲の1曲ですが、他にも名曲があります。
だから当時のLPレコードのCD化を願っているのです。
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