四代目桶屋金之助の世界

おろかなるひとり言
胸を張れるような自慢話などはありません。
照れくさい話や恥ずかしい話ばかりです。

僕のラジオの青春_4

2024-07-21 17:34:58 | 僕のラジオの青春
ラジオから聴こえてくるDJさんの声。
やさしく語りかけてくれる。
辛く感じたときは、元気を与えてくれた。
さみしさを感じたときは、独りではないんだと教えてくれた。
大いに笑わせてくれたDJさんもいた。

リスナーさんから届くハガキ。
DJさんが心を込めて読む。
その内容は共感することが多かった。
それがラジオの魅力なんだということがわかった。

リスナーさんからのリクエストハガキ。
メッセージと共に曲目が書いてある。
それをDJさんが読んで曲がかかる。
ヒット曲もあればアルバム収録曲も。
そこからいろんなジャンルの曲も知った。

自分自身もリクエストハガキを書いてだしてみよう。
ペンネーム(当時はラジオネームという言葉はなかった)は、何にしよう。
DJさんへのメッセージ。
そしてリクエストハガキ。

ラジオ局にはきっと多くのハガキが届く。
少しでも目立つにはどうしたらいいのか。
派手な色を使ったこともある。
ふちを赤で塗ったこともあったかな。

深夜ラジオを聴きながら書いていたこともあれば、
授業中にこっそりと書いていたこともあった。
そしてポストに投函。
ほとんどがボツになった。

そんな中、初めて(たぶん)採用された曲を今でも覚えている。
FM愛知の番組でDJは柴田チコさん。
ラジオから流れてくる自分が書いたメッセージ。
なんだかとても照れ臭く感じてしまった。
そしてリクエスト曲がかかった。
泉谷しげるさんの『春夏秋冬』

この歌を聴くとラジオっ子になったころを思い出す。
僕のラジオの青春の1曲でもある。

春夏秋冬
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僕のラジオの青春_3

2024-07-18 18:25:41 | 僕のラジオの青春
僕には姉と兄がいる。
姉は6つ上。兄は4つ上。

中学1年生のころ、まだ深夜放送というのは聴いていなかった。
狭い我が家。
布団の中に入っていると夜遅く人の声が聞こえてくる。
耳をすませて聞いていればそれはラジオから流れてくる人の声だった。

姉も兄も深夜放送をよく聴いていたみたいだ。
のちに知ったことだが、その番組は「ミッドナイト東海」
DJは、アマチン、レオ、リコタン。
深夜放送がブームになりだしたころの名古屋地区の人気番組となっていた。

自分が深夜放送を聴きだしたのは、おそらく中学1年の冬休みぐらいだったような気がする。
このころから僕は、テレビっ子からラジオっ子になったかと思う。

当時人気DJだった森本レオさん。
レコードも出していた。
『親父にさよなら』
家にレコードもあった。
小さなおもちゃみたいなレコードプレーヤーで聴いていた覚えがある。

久々にユーチューブで聴いてみた。
当時の深夜放送を思い出してくれた。
あの時代にタイムスリップ。
僕のラジオの青春である。


森本レオ/親父にさよなら/1970
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僕のラジオの青春_2

2024-07-17 17:12:43 | 僕のラジオの青春
中学生になるとテスト週間があった。
中間テスト、期末テスト。
午前中にテスト。
テストが終われば家に帰れた。
午後から家でテスト勉強。

当時「ながら族」という言葉があった。
ラジオを聴きながら勉強をする。
勉強をやりながらラジオを聴く。
自分はラジオをよく聴いていたな。

平日のラジオ番組で好きだったのが、
CBCの「ばつぐんジョッキー」
特に月曜日の板東英二さんと木曜日の上岡龍太郎さん。
中日ドラゴンズvs阪神タイガース。
二人の対抗意識がおもしろかった。
ラジオを夢中になって勉強しても頭の中に入らなかったんだな。
だからテストの点数が悪かった。

あの頃授業で覚えたこと。
今ではすっかり忘れている。
なのに当時の歌やラジオ番組は覚えている。

「ばつぐんジョッキー」から名古屋地区で大ヒットした歌がある。
板東英二さんの『燃えよドラゴンズ!』
この歌がヒットしたのが高校1年生だった。
「ばつぐんジョッキー」を聴いていたあの頃。
僕にとってのラジオの青春だったかと思う。


板東英二 - 燃えよドラゴンズ!(1974)
コメント (3)
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僕のラジオの青春_1

2024-07-16 16:07:50 | 僕のラジオの青春
吉田拓郎さんがTAKUROブログで『ラジオの青春』を
この7月から綴っている。
高校生のころの話し。
そして当時の若かりし頃の写真。

これを読んでいたら自分もあの頃を思い出しながら
自分なりの「ラジオの青春」を綴ってみようかと思った。
いつまでも続くかわからない。
拓郎さんほど文章力はないけど、
お時間があればお付き合いのほどよろしくお願いします。

『僕のラジオの青春_1』
中学入学式のあと教室に行き自己紹介があった。
クラスの中には小学校からの友だちもいれば、
他の小学校からの生徒もいる。
初めてみる顔。
なれない空気感。

自己紹介、自分の番になった。
当時テレビっ子だったから、
「テレビを見るのが好きです」と言ったような気がする。

そして後ろの席のB君。
好きなことは「ラジオを聴くことが好きです」と自己紹介をした。
あの頃、ラジオなんて全く興味はなかった。
深夜放送が流行り始めたころである。
僕にとってB君がものすごく大人にみえたのである。

B君は勉強もできるし運動もできる。
僕は勉強もできないし運動もできない。
真逆の二人だったがなぜか気が合う中になった。

席が前後ということで放課のときにラジオの魅力を聞かせてもらった。
そうかラジオってそんなにも面白いのか。
家にあったトランジスタラジオ。
そこから僕はラジオを聴くようになったのです。

ある夜、勉強をしながらラジオを聴いているとハーモニカの音が流れてきた。
耳を傾けると 
♪私は今日まで生きてみました
と歌っている。

誰の歌なんだろう。
曲が終わるとDJ(当時はパーソナリティという言葉はなかった)さんが
「吉田拓郎さんで、『今日までそして明日から』でした」
と紹介されていたことを今でもはっきりと覚えている。

なんだか自分自身の応援歌に聴こえてしまった。
一度聴いただけで好きになってしまった。
ラジオが教えてくれた1曲。

この歌を50年以上自分自身の応援歌として聴き続けることは
中学生の自分にとって全く考えてもいなかったのである。

今日までそして明日から





コメント (4)
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