新八往来

季節が移ろい、日々に変わり行く様は、どの一瞬も美しいが、私は、風景の中に一際の力強さを湛えて見せる晩秋の紅葉が好きだ。

千枚通し

2005-04-22 22:57:18 | 病の記
私が入院中の後半を過ごした病室の窓から、隣接の神社の屋根がよく見通せた。
白石神社は、札幌では格式も高く古い神社である。戊辰戦争に敗れた仙台白石藩の家士が明治政府の命で開拓の鍬を入れたのが明治4年、翌5年にこの神社が建てられたと言う。白石村が現在の札幌市白石区の発祥地である。

狭い病室のテーブルに家内が真言宗のお寺から頂いてきた「病平癒祈願」の御札が4枚整然と並んでいた。個室に移ってから家内は簡易ベットを手配して四六時中私の傍らに居てくれたのだが、その家内の朝の行動は、顔を洗うとカーテンの開け放たれた窓から神社に向って手を合わせ、次にテーブルの上の御札に向って瞑目し、それが終わると私の手首に念珠を掛けさせるという順序で始まった。小心で臆病なくせに頑固な私は、神仏によって平癒されるなどと言う気休めを信じないことは家内にもよく判っているので、私に朝のお祈りを実行させるのは諦めている。
私も、家内のそういう類の行為を内心では有り難いと思い、感謝しているから、言われるままに枕の下に数枚の御守を敷き、手には念珠をしているのである。私は、それが正しいかどうかの判断に自信はないが、私の現状を現代医学以外のもので対処することには消極的である。しかし、私の病気を知った知人、友人から漢方薬、種々のお茶類を薦められたり頂いたりしている。そういう類のものについては、判断を家内に委ねて彼女が良しとするものは服用することにしている。

今日は、「千枚通し」なるものを頂いた。「千枚通し??」、私が事務屋の現役時代に机の片隅に常備していた、あの錐状のものを想像して首をひねった。
我家の宗旨は空海を弘法大師として崇める「真言宗」である。その真言宗の末寺の住職から「千枚通し」を頂いた。それは、オブラートのように薄くて細い付箋のような紙であった。千枚重ねても精々4cmほどの厚さにしかならない。その一枚一枚に「南無大師遍照金剛」の八文字が書かれていた。住職は『薬の服用ごとに「南無・・・」を3回唱えて「千枚通し」も飲み下しなさい、そうすれば「お大師様」のご利益が体内から叶ってきます』と教えてくれた。これはもう現代医学のらち外のことである。住職が帰った後、私は「困ったな」と家内の顔を見たが、彼女はいとも簡単に、住職の薦めに従ったらと言ったのである。夕食後の薬の服用前に私は「南無・・・」を三度つぶやいて、その紙片を飲み込んだ。

無為の日々

2005-04-22 10:30:09 | 病の記
3月末の退院から、瞬く間に3週間が過ぎた。余命半年を宣告された身としては、3週間は貴重な生存期間であったのだが・・・

例年になく雪の多かった冬の殆どを季節の実感もなく、病院のベットで過ごしてきたが、退院後4月に入っても庭や空地には汚れた雪がうず高く積もっていていて、芽生える前の北国の春は、まだ命の息吹も瑞々しさも感ずることのできないうっとおしい気分で私を迎えた。おまけに、私の生来の神経質な気質のためか、重い「つわり」の症状に似て喉を通すことのできる食事のアイテムが少なく、おじや・煮込みうどん・煮込みソーメン・バナナを主食としなければならない食生活の頼りなさに負けて気分は滅入りがちである。

つい昨年までの現役時代に描いていた定年後の時間は、その頃の倍くらいのテンポで緩やかに経過し、それまで見向くゆとりのなかった季節の移ろいを優しく味わうことを可能にしてくれるだろうと期待していた。しかし、この3週間の経過で私の甘い期待は、甚だしい勘違いであったことを思い知らされることになったのである。現役時代に描いていた期待を実現させるための必須条件は、健康でなければならないということなのである。入院時よりはるかに自由になったとはいえ、自宅のベットで寝たり起きたりしながら、3食後ごとの薬の服用と10時就寝、6時起床の繰り返しは入院時のテンポのままである。4月に入ってからの天候の悪さもあって、戸外を散歩できたのは2度ほどしかない。例年になくけだるい疲れに違和感を抱きながらもまだ病を知らずに庭の植木に施した昨秋の雪囲いは、見舞いに来た母や家内、娘の手を借りて取り除くことができた。あとは毎週月曜日に抗がん剤の治療を受けに通院しただけの3週間であった。このままでは、限られた命を浪費するために生きているようなものだ・・・少々焦っている。

この数ヶ月間、「積極的に生きようとする者は癌を克服し、短い余命も延命できる」という意味の励ましをあちらこちらから受けてきた。もっとも、余命を宣告された癌患者に対しては「前向きに生きて!病気に打ち勝って!」という励まし以外には適切な言葉は見つからないだろう。さて、何をなすべきか。
今は、入院時の生活リズムを意識的に少しづつ、そして具体的に変えていくことだろうと考えている。食事のアイテムの少なさは焦らない。パジャマを着てベットに横たわる時間を減らしていくことが最善策だろう。外気10度以上の雨天以外の日は戸外に出て、散歩、軽作業などの時間を確保する。現役時の事業所を訪ねて、かつての仲間と話す機会をつくる。ブログを通して時期折々の事象について、自分なりの雑感を展開してみる。とりあえず、そんなところから次の展開が見えてくるのかもしれない。