新八往来

季節が移ろい、日々に変わり行く様は、どの一瞬も美しいが、私は、風景の中に一際の力強さを湛えて見せる晩秋の紅葉が好きだ。

余命

2004-12-14 19:01:34 | 病の記
この9月に前職を定年で全うし、個人診療所への再就職もスムーズに果たしたのだが、正直な気持ちのどこかに四季の移ろいさえ楽しむゆとりもない日常の延長に終止符を打ちたかったという悔いが疼いていた。
定年の直前、8月の下旬あたりから、身体的な気だるさのようなものを自覚し始めていたが、年齢と定年を迎える気の緩みに起因する心因性の疲れだろうと強いて気に掛けてはいなかった。
11月下旬に診療所の定期健診があり、2日後の血液検査の結果で膵臓関連の数値の異常を告げられたが、それほどの深刻な懸念も持たず、家内の掛かり付けの内科医の所へデーターを持って相談に行ったのだった。採血と検便が実施された。その時にいたって、ようやく自分の身体が何を危惧されているのか判ったのである。それからのわずか一週間たらずの間に、私と私の家族姉妹は緩慢な人生から激変する運命との対峙に直面する羽目になってしまったのである。12月9日に撮ったCTのフィルムに自分自身の死の予告をされてしまったのである。
翌10日、家内が医師に呼ばれ状況説明を受けていた。私は通常通り勤務していたのだが、午後4時半頃に掛かってきた家内からの電話で、詳細を告げない口ぶりの中から最悪の現実を直感した。その時点で私は短期で終わってしまう再就職の場を離れざるを得ないことを認識し、所持品をまとめ、何も知らない院長や職員に事情説明もせずに早退して担当医の所へ向かった。家族には、余命数ヶ月を匂わせていた医師も、流石に私に直接告知することを躊躇していた。循環器の専門医であった担当医は、最終的な結論を私の前に提示することを避け、総合病院の専門医による診断を勧めたのである。
その夜、職場の院長に事情を説明したうえ退職した前任の事務長に再登場していただき、11日の午前中に概ねの引継ぎをしたのである。日曜日を挟んだが、精神状況は比較的安定していた。その間に事情を知った家内の知人友人からは、10人10色の病院の推薦があったが、私は娘の勤務先が近いという理由を最優先して、恵佑会病院に決めた。
月曜の昨日13日に恵佑会病院の若い担当医の診断を受けたが、結果は半年ほどの余命ということであった。
私の余命日誌は、キーボードに向かう機会があるかぎり「北の風紋」へ書き込んでおきたいと思う。