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実はとても奥が深いお寺の塔:美術鑑賞用語のおはなし

2018年05月15日 | 美術鑑賞用語のおはなし



お寺の塔はその高さがゆえに、伽藍の中で最も目立ちます。寺や街のランドマークになっていることが少なくありません。新幹線で京都駅に近づくと見えてくる東寺の五重塔は、いかにも京都にやってきたことを気付かせてくれるランドマークとして殊によく知られています。

塔の流れるような建築デザインにファンも少なくありません。インスタ映えする記念撮影のモチーフとしても人々に愛されています。

「でも塔ってそもそもどんな役割なのか?」、案外知られていません。魅力的だけど不思議も多いお寺の塔について、お話してみたいと思います。

1)塔の役割と起源

塔とは?

現代の言葉としての「塔」は建物の敷地面積に比べてその高さが目立つ建造物全般を指します。西洋は古来より、バベルの塔に始まり、教会の尖塔や鐘楼、城の見張り台など様々な高い塔がありました。

日本は江戸時代まで、高い建物は城の天守閣とお寺の塔しかなく、塔と言えばお寺の塔を指していました。そのため現代では金堂を避けるため、仏教の信仰のための塔をあえて仏塔(ぶっとう)と呼ぶ場合もあります。

お寺の塔はそもそも、仏教を開いた釈迦の遺骨やその代替物である仏舎利(ぶっしゃり)を収めるために、インドで造られた建物です。

平安時代頃からは、仏舎利ではなく死者や仏像・経典を供養するため、また工事の安全など様々な祈願を行う建物やオブジェとしても造られるようになります。石造のほか、大小さまざまな大きさの塔が存在します。

塔の変遷

釈迦の死から約200年後の紀元前3c、インドを治めていたマウリヤ朝のアショーカ王は敬虔な仏教徒でした。仏教の布教のためでしょうか、アショーカ王は10基しかなかったストゥーパ(古代インド・サンスクリット語の塔)の中の釈迦の仏舎利を84,000に分割し、各地に新たなストゥーパを建設したといいいます。

この伝説がお寺や仏塔の起源と言われています。

その後紀元後1世紀までは、寺では塔が唯一の信仰の対象をまつる建物・オブジェでした。仏教は当初は偶像が禁じられていましたが、古代ギリシアのアレクサンダー大王の遠征でインドにヘレニズム文化がもたらされると、人々は美しい彫刻に目を奪われます。

仏像はヘレニズム文化の流入がきっかけとなって造られるようになったと考えられています。



仏像ができると、仏像をまつる建物が造られ始めます。中国や朝鮮半島を経由して仏教が伝わった飛鳥時代の日本では、本尊をまつる金堂も塔と並んで重視されるようになっていました。

しかし本尊を安置する金堂がより重視されるようになります。奈良時代の大安寺や東大寺では、塔は金堂のある回廊の外に造られます。

仏舎利をまつる本来の目的に変化はありませんが、いかんせん高くて目立ちます。寺のランドマークや塔を建てたパトロンの権威誇示と言った意義も、少しずつ加味されていったようです。

【Wikipediaへのリンク】 仏塔

2)塔の種類

日本のお寺の塔は背の高い木造建築が一般的なイメージですが、石造のものや高さが1mもない小さなものまで実に多様な塔があります。お寺を参拝するにあたってよく目にする塔の種類を整理してみました。

層塔

日本のお寺の高い塔のほとんどが、屋根が多数の層を形成する層塔(そうとう)で、木造です。方形の断面の建物に奇数(3,5,7,9,13)の屋根の層が造られます。最も多いのは三重塔で、五重塔と合わせて現存する木造層塔のほぼすべてを占めます。昭和以降に再建された三重塔・五重塔は、鉄筋コンクリート造りも少なくありません。


醍醐寺・五重塔

七重塔は奈良時代の東大寺の東西両塔、室町時代の相国寺の七重大塔、九重塔は平安時代の京都・法勝寺の八角九重塔がそれぞれ記録に残っていますが、いずれも現存しません。十三重塔は唯一、奈良・談山神社にあります。

日本のお寺の塔は、内部から二層目以上にのぼることはほとんどできません。展望や見張りの目的はほとんど考慮されなかったと言えます。

明治以前から現存する層塔で高さ日本一は、京都・東寺の五重塔で54.8mあります。現存しない東大寺の東西両塔は90m、法勝寺の八角九重塔は80m、相国寺の七重大塔に至っては109mあったと考えられています。どうやって建てたのか、当時の宮大工に聞いてみたくなります。

【Wikipediaへのリンク】 三重塔
【Wikipediaへのリンク】 五重塔

多宝塔

多宝塔(たほうとう)は、屋根が偶数の二層で、建物の断面が一層目は方形、二層目は円形です。単に「宝塔」と呼ぶ例もあります。空海がそのスタイルを編み出したとされており、日本でしか見られません。本尊は大日如来が多く、主に真言宗のお寺で見られます。

多宝塔のスタイルの塔を大塔(だいとう)と呼ぶ寺もあります。概して言うと“大きい多宝塔”を指します。高野山の壇上伽藍や和歌山・根来寺に見られます。

【Wikipediaへのリンク】 多宝塔

珍しい塔


奈良。薬師寺・西塔(青線の屋根が裳階)

奈良・薬師寺の塔は東西とも一見、六重に見えますが三重塔です。屋根の軒下の壁に付けられる裳階(もこし)が屋根の層のように見えるからです。

お寺の塔の屋根は通常、上から下に小さくなっていくか、すべて同じ大きさかのどちらかがです。裳階はこのルールに反する大きさですが、日本トップクラスの美しさを誇る薬師寺の塔の優美さは、裳階による演出があってこそのものです。


奈良・談山神社・十三重塔

奈良・談山神社の十三重塔は、世界で唯一の木造の十三重塔です。重要文化財です。屋根の層間にほとんど空間がなく、とてもシャープな印象を与えます。談山神社は江戸時代までお寺だったため、神社に仏塔があることになります。神社にあることも神秘的な印象を増幅しています。

【公式サイトの画像】 安楽寺・八角三重塔

長野・上田・安楽寺の三重塔は、中国の仏塔に多く見られる、建物の断面が八角形の塔です。国宝です。八角形は法隆寺・夢殿など塔ではなく一層しかない建物にはいくつか見られますが、塔はここと川崎大師(1984完成)だけです。過去には西大寺や法勝寺にありましたが現存しません。

禅宗寺院で塔がある寺もほとんどありません。鎌倉時代末期に禅宗様で建てられており、中国風の優美さが周囲の緑にとてもよくマッチしています。

【四国八十八か所霊場会サイトの画像】切幡寺・大塔

四国八十八箇所霊場第十番札所としてにぎわう徳島・切幡寺(きりはたじ)の重要文化財・大塔(だいとう)は、二層の塔です。一見多宝塔に見えますが、上層の建物断面が円形ではなく方形です。

層が偶数の層塔では、ここと比叡山・延暦寺の法華総持院東塔(1980再建)しかありません。江戸時代に大阪・住吉大社の神宮寺の塔として建てられましたが、明治になって切幡寺に移築されました。

比叡山・延暦寺の法華総持院東塔は、そもそも最澄が全国に建立を計画していたものです。ライバルの空海が上層を円形にしたので最澄は上層を方形にしたのでしょうか、真偽はわかりませんが密教黎明期の建築スタイルの違いとして興味深い話です。

【公式サイトの画像】 元興寺・五重小塔
【公式サイトの画像】 海龍王寺・五重小塔

奈良に五重塔の精巧なレプリカのような高さ4-5mの小塔が2つあります。いずれも国宝です。元興寺と海龍王寺に伝わるもので、小さいながらも奈良時代に造られた五重塔はこの2つしか現存しません。海龍王寺では高い塔の代替として金堂内に収まるサイズで造ったと伝えています。

いずれも室内にあったため保存状態は良く、美しい木目や白壁とのコントラストが見事な造形です。


塔のてっぺん


東寺・五重塔

塔の屋根には、何やら避雷針に見えるものが付いています。総称して相輪(そうりん)と呼ばれます。被雷針ではなく、装飾として付けられ、高さが塔の1/3ほどもある場合があります。

最後部にある宝珠(ほうじゅ)は、仏像の如意輪観音が持っているものです。「何でも願いをかなえてくれる宝」という意味があります。水煙(すいえん)は火除けの意味があり、様々なデザインが楽しめます。

【Wikipediaへのリンク】 相輪


石造の塔

お寺の境内や墓地には、石造の塔がとてもたくさんあります。大半が人間の背の高さと同じかそれ以下の大きさしかないため目立ちません。しかし石ならではの多様な造形美を味わえます。

木造と同じく、屋根の層が奇数しかない層塔があります。中国から伝わり、飛鳥時代から造例が見られます。平安時代以降は十三重石塔が流行します。鎌倉時代に叡尊が宇治橋収蔵の安全を祈願して建てた「浮島十三重石塔」は高さが15mあり、日本最大の石塔です。

【Wikipediaへのリンク】 十三重石塔(宇治・浮島)

五輪塔(ごりんとう)は、平安時代から造られ始めた日本独自の死者の供養塔もしくは墓石です。方形の石の上に団子状の石と屋根がのっかっているスタイルです。装飾を施さないため、シンプルな石のラインの造形美に魅力があります。

現代の一般的な長方形の墓石は、五輪塔を簡素化して江戸時代に普及したものと考えられています。

【Wikipediaへのリンク】 五輪塔

宝篋印塔(ほうきょういんとう)は、古代インドのアショーカ王が仏舎利を収めるために建てたストゥーパを模して作ったものが原型と考えられています。仏舎利や宝篋印の語源となった経典をまつるのが本来でしたが、徐々に幅広く供養のための塔として造られるようになります。

【Wikipediaへのリンク】 宝篋印塔


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