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お寺の行事はたくさんあってワクワク:美術鑑賞用語のおはなし

2018年06月11日 | 美術鑑賞用語のおはなし



お寺は仏教を信仰する場ですが、その運営や活動は多岐に渡っています。運営の一環として様々な宗教行事が行われており、たくさんの人々の信奉を集めています。お寺が行う“コト”について、探ってみたいと思います。


寺の運営実態は時代に応じて変化 <基本的な収入源>

仏教寺院の寺の運営は、日本に伝来した飛鳥時代以降、時代背景に応じて大きく変化しています。運営を支える主な収入源がどこにあったのか、をまずは整理してみたいと思います。

飛鳥~平安時代

  • 仏教や学問の研究と国家・貴族の鎮護が主な活動です。
  • 官寺は国家、私寺は貴族がオーナーで、造営費用(イニシャルコスト)を負担します。
  • 運営費用(ランニングコスト)は、オーナーが所有する荘園の租税収入があてがわれます。平安時代には物流や商業の利権を押さえ、絶大な経済力を持つ寺も現れます。


鎌倉時代~室町時代

  • 学問の研究、僧侶の養成と上流階級の鎮護に加え、庶民への布教の拠点にもなっていきます。
  • 造営費用とランニングコストは、平安時代までの形態に加え、鎌倉新仏教では市井の信者による寄進も行われ始めます。


戦国時代

  • 京都の大規模寺院は、法華宗を除いて軒並み運営難に陥ります。荘園収入は安定せず、戦乱で焼失した伽藍の再建もままなりませんでした。法華宗は富裕な町衆に支えられ、復興も早かったのです。
  • 浄土真宗の本願寺のように、戦国大名に代わって特定地域のすべてを支配する寺も現れます。生き残るためには、寺も手段を選べない時代でした。


安土桃山時代~江戸時代

  • 安土桃山時代は寺の新設より復興が優先され、江戸時代には新設そのものが幕府に禁止されます。
  • 天下人によって荘園制度は終わりをつげ、大規模寺院は荘園を手放す代わりに、天下人から俸禄をもらうシステムが確立します。また秀吉の刀狩りで武装解除され、以降は寺が実力行使をすることはなくなります。
  • 江戸時代には寺請け制度が確立します。禁教のキリスト教・不受不施派を締め出すために禁教でない寺の信徒であることを寺に証明させる制度です。すべての人は寺の檀家となることを義務付けられ、寺は戸籍の管理を担います。現代と同じく、檀家からの葬儀・法要の手数料収入が見込めるようになります。
  • また庶民階級の生活が安定し、著名寺院では参拝・巡礼・開帳・興行といった事業収入も確立します。



江戸時代に一大興行拠点となっていた浅草寺

明治以降

  • 明治維新直後、大規模寺院はお上からの俸禄を絶たれ、境内地や美術品を手放してしのがざるをえなくなります。葬儀・法要や参拝・巡礼・開帳などの興行といった、現代のような経営形態に一層ウエイトを移すようになります。



勧進 <臨時収入の確保>

勧進(かんじん)とは、はじめは僧侶による宗教行為や浄財の勧め全般を指しましたが、中世以降は浄財を求める行為だけを意味するようになります。

勧進帳とは浄財を集める趣意書のことです。北陸・安宅関で弁慶が勧進帳を読み上げ、義経を無事に通過させたシーンは、歌舞伎の名場面としてよく知られます。

寺社の造営・回収費用を浄財として集める勧進の最古の例は、奈良時代の東大寺大仏の造立です。国家予算でもまかなえない事業だったことから、聖武天皇が民衆に絶大な人気のあった行基(ぎょうき)に勧進を依頼しました。

勧進は時代が下るにつれ、寺の臨時収入を得る手段としてイベント興行の形をとり、頻繁に行われるようになります。鎌倉時代には盲目の芸人・琵琶法師による平家物語の講演が流行します。江戸時代には各地で秘仏の開帳、また江戸では相撲興行や富くじ(現代でいう宝くじ)販売、が一般的になります。

【Wikipediaへのリンク】 勧進


秘仏と開帳

仏像は永らく姿を見せないものとされてきました。いわゆる秘仏(ひぶつ)です。現在国宝・重文に指定されている数々の仏像がその美しい姿を保つことができているのは、閉ざされた厨子の中で光や湿度などの劣化要因から守られてきたことが大きな要因です。

江戸時代以降、勧進目的で秘仏の開帳(かいちょう)が行われるようになり、現代にいたっては開帳頻度がより頻繁になる傾向があります。秘仏は、天台宗・真言宗のような歴史のある密教系の寺で多くみられ、鎌倉新仏教の系の寺では少ない傾向があります。


出開帳に積極的だった京都・清凉寺

秘仏をその寺で公開する場合は居開帳(いかいちょう)と呼ばれ、江戸の浅草観音が著名でした。大都市に出張する場合は出開帳(でかいちょう)と呼ばれ、江戸で行われた京都の嵯峨清凉寺や成田山新勝寺が著名でした。

秘仏の開帳頻度は少ない順から、絶対秘仏→全く不定期→住職一代限り→33年毎→12年毎→6年毎→毎年→季節毎→毎月、であるのが一般的です。

「絶対秘仏」は、何代にもわたって住職ですら見たことがなく、姿形がわからないため、文化財指定もされていません。極論すれば本当に存在するのかもわかりません。「全く不定期」は開祖1,200年忌のように、大きな節目にあわせて行われます。

【Wikipediaへのリンク】 秘仏
【Wikipediaへのリンク】 開帳


霊場巡礼

遠隔地や複数の霊場(れいじょう)と呼ばれる霊験あらたかな社寺を訪れる慣習は、平安時代後期に貴族階級において成立したと考えられています。花山(かざん)法皇による西国三十三所巡礼、白河法皇による熊野詣が、その先例です。

三十三所巡礼は観音信仰の定着に伴い、「坂東三十三箇所」など全国で巡礼ルートが造られていきます。また弘法大師信仰でも巡礼ルートが造られます。江戸時代に一般的になった「四国八十八ヶ所」がその代表例です。

庶民階級の生活が安定した江戸時代は仏教寺院だけでなく、「お伊勢参り」のような遠距離の神社参拝も定着します。いわゆる観光旅行のはしりです。遠距離巡礼するためには、所属する寺から通行手形(つうこうてがた)、現代でいうパスポートを発行してもらわないと、街道の関所を通過できませんでした。

【Wikipediaへのリンク】 霊場
【Wikipediaへのリンク】 西国三十三所
【Wikipediaへのリンク】 熊野三山


御朱印

霊場を参拝した記念として定着したのが朱印(しゅいん)です。寺社双方にありますが、本来は写経を納めた証となる印でした。霊場巡礼の興隆に伴い、著名寺院では現代のように、写経を伴わなくても有料で朱印を行っていました。なお浄土真宗のお寺は朱印を行いません。

【Wikipediaへのリンク】 朱印


法要、法会、年中行事

お寺では年間を通じて様々な宗教行事とそれにちなんだ祭が行われ、それぞれの地域ですっかり定着しているものが多くあります。お寺の宗教行事は法要(ほうよう)もしくは法会(ほうえ)と呼ばれますが、両者に厳密な意味の違いはありません。

地元で愛されているお寺のイベントに行ってみると、活気があって実にすがすがしくなります。また秘仏や美術品の特別公開が行われる場合も少なくなく、仏教美術の鑑賞には貴重な機会となります。

広く行われているものでも様々な名称と種類があります。日程については、新暦・旧暦のどちらを採用するか等により、開催する寺によって異なります。

【Wikipediaへのリンク】 法会


修正会(しゅうしょうえ)

  • 毎年1/1から1-2週間行われる場合が多い。
  • 最終日(=結願(けちがん))には火祭りの「左義長」がよく行われる。

【Wikipediaへのリンク】 修正会


後七日御修法(ごしちにちみしほ)

  • 毎年1/8-14に東寺・灌頂院にて、非公開。
  • 幕末までは宮中で行われていた。真言宗で最も大切な法会。

【Wikipediaへのリンク】 真言宗、後七日御修法


左義長(さぎちょう)

  • 毎年1/15の小正月前後。
  • 木や竹をくみ上げた大きなやぐらで、正月の門松やしめ縄を燃やす。灰を持ち帰って自宅にまくと病除になると信じられている。
  • 全国で見られ、「とんど、どんど」など地方によって呼び名が異なる。

【Wikipediaへのリンク】 左義長


節分(せつぶん)

  • 毎年2/3頃、太陽の位置で日付を判定するためわずかにすれる年もある。
  • 季節の変わり目に現れると信じられた邪気(鬼)を、季節の始まりの前日に追い払う行事。本来は四季ごとに行われていた。鬼を追い払う行事を追儺(ついな)と言う。
  • 全国の寺社で、豆まきなどのイベントが広く行われている。

【Wikipediaへのリンク】 節分


興福寺の追儺会


涅槃会(ねはんえ)

  • 日本では毎年2/15もしくは3/15頃、釈迦の祥月命日の法要。
  • 巨大な涅槃図を開催中に公開する寺が多い。

【Wikipediaへのリンク】 涅槃会


修二会(しゅにえ)

  • 毎年3月(旧暦の2月)。
  • 奈良の寺で多く見られ、有名な東大寺の「お水取り」は修二会の行事の一つ。

【Wikipediaへのリンク】 修二会


灌仏会(かんぶつえ)

  • 日本では毎年4/8もしくは5/8、釈迦の誕生日を祝う。降誕会(ごうたんえ)、仏生会(ぶっしょうえ)、花祭(はなまつり)とも呼ばれる。
  • お堂を花で飾り、小さな誕生仏に甘茶をかけて祝う寺が多い。

【Wikipediaへのリンク】 灌仏会


彼岸会(ひがんえ)

  • 毎年の春分(3/20頃)と秋分(9/21頃)を中日とした前後各3日間、太陽の位置で日付を判定するためわずかにすれる年もある。
  • 先祖供養の法要で、ぼたもち(おはぎ)を供えることが一般的。

【Wikipediaへのリンク】 彼岸(春秋)


盂蘭盆会(うらぼんえ)

  • 毎年7/15頃もしくは8/15頃
  • いわゆる「お盆」で、先祖の霊が現世に戻ってくる際の法要。施餓鬼会(せがきえ)と呼ばれる、あの世で飢えに苦しむ霊に食物を供えて供養する法要が合わせて行われることが多い。
  • 七夕、送り火、灯篭流し、盆踊りなど、お盆にまつわる著名な祭りも多い。
  • 毎年7/24頃もしくは8/24頃に畿内で盛んに行われる地蔵盆は、先祖供養ではない。子供の守り神である地蔵を、お盆に近い時期に大々的に祀る地域の行事。

【Wikipediaへのリンク】 盂蘭盆会


成道会(じょうどうえ)

  • 毎年12/8、釈迦が悟りを開いた日の法要

【Wikipediaへのリンク】 成道会


宗祖の祥月命日(=年忌)法要

  • 3/21、空海の正御影供(しょうみえく)、真言宗
  • 4月下旬、法然の御忌大会(ぎょきだいえ)、浄土宗
  • 11月下旬もしくは1月中旬、親鸞の報恩講(ほうおんこう)、浄土真宗
  • 6/5、栄西の開山忌(かいざんき)、建仁寺
  • 10/13もしくは11/21、日蓮のお会式(おえしき)、日蓮宗
  • 3/23頃もしくは4/23頃、聖徳太子のお会式(おえしき)、聖徳太子ゆかりの寺



西本願寺


縁日(えんにち)

  • 仏様や開祖・高僧に縁(ゆかり)のある日のことで、その日に参拝すれば特にご利益があると信じられる。日付で固定され、毎月行われるものが多い。
  • 参拝者が多いことから祭りや露店で賑わうことも多い。
  • 一年の最初の縁日を「初○○」、最後の縁日を「終い□□」と呼ぶことが多い。京都では北野天満宮の初天神(はつてんじん)、東寺の終い弘法などが著名な縁日。
  • 観音菩薩の毎月18日も全国的に著名で、秘仏開帳がこの日に行われることが少なくない。

【Wikipediaへのリンク】 縁日


落慶法要/開眼供養

  • 落慶(らっけい)とは、寺社の新築や修理の完成(落成)を祝う行事。
  • 開眼(かいげん)とは、新造した仏像・仏画を堂宇に安置する際に仏に魂を入れる儀式。

【Wikipediaへのリンク】 落慶
【Wikipediaへのリンク】 開眼


寺の音楽

法要や巡礼の際に歌われる楽曲がいくつかあります。

声明(しょうみょう)

  • 法要の際に僧侶が経典に節をつけて唱える楽曲。独特のトーンが近年人気を集め、京都の大原声明は鑑賞会も開かれている。
  • 天台宗と真言宗を中心に多くの流派がある。

【Wikipediaへのリンク】 声明


御詠歌(ごえいか)

  • 仏や教えを称える五七五七七の短歌形式に節をつけて、在家信者や巡礼者が参拝時に唱和する楽曲。
  • 三十三所巡礼の寺で始まったと考えられ、多くの宗派で多くの流派がある。

【Wikipediaへのリンク】 御詠歌


和讃(わさん)

  • 仏や教え、経典を称える短歌をつなげた長歌形式に節をつけて僧侶や信者が唱和する。
  • 奈良時代からあったと考えられ、全国の民謡や浪曲などの源流と考えられる。

【Wikipediaへのリンク】 和讃


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