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二条城・二の丸御殿「障子開放」 ~慶喜と同じ目線で庭が見える

2018年01月18日 | 城・屋敷・歴史遺産


硝子戸の向こうには大政奉還が行われた大広間

京都・二条城の二の丸御殿の障子が、冬に開放されるようになっています。閉じられていて外の庭が見えない普段とは異なり、大政奉還の際に大広間の中心に座った徳川慶喜と同じ角度で外の庭を見ることができます。

2月のとても寒い時期ですが、凛とした冷たい空気はとてもきれいで、庭がより美しく見えます。またタイミング次第で、見事な庭の雪化粧を目にすることもできます。1年の内で1か月しかありません。ぜひ足を運んでみてください。

二の丸御殿・大広間は“幕末”の大政奉還があまりにも有名ですが、“幕初”にも京都の街の文化面での繁栄を象徴する場でした。1626(寛永3)年の後水尾(ごみずのお)天皇の二条城行幸です。

この頃幕府は、豊臣に変わって徳川が天皇を凌駕する権力者であることを知らしめるために、天皇・皇族に対して莫大な御所・離宮の造営や伝統行事の復活、文化芸術の振興の援助を行っていました。本阿弥光悦、千宗旦、小堀遠州、俵屋宗達、狩野探幽などそうそうたるメンバーが登場した「寛永文化」はこの援助に刺激されて京都で繁栄します。行幸のために改修された二条城は、寛永文化の繁栄の象徴でした。

行幸の際には、現在の本丸が城域を拡張して新たに造られました。後水尾天皇は天守に登って京都の街の眺望を楽しみました。朝廷に圧力をかける幕府への対抗心が強かった後水尾天皇が、眺望に対しどのような印象を持ったのかは定かではありません。ちなみに天守跡の立て看板には、後水尾天皇が城の天守に登った唯一の天皇だと書かれています。

大広間の南には能舞台が建てられ、天皇と三代将軍・家光が大広間から庭と能を楽しみました。行幸のために建てられた建物は、行幸終了後に移築されるなどしてほとんど現存しません。二の丸御殿と庭園は、幕初の寛永文化面の繁栄を今に伝える唯一の生き証人です。そのため幕末の徳川慶喜と同じように、現在でも幕初の後水尾天皇と家光が見た同じ角度で外の庭を見ることができるのです。

【公式サイトの画像】 二の丸御殿大広間廊下からの眺め(室内→外の庭)

特別名勝指定の二の丸庭園は小堀遠州の作庭で、王朝文化の美意識とともに石組みの壮大さと優雅さを感じさせます。行幸当時は大広間から見ると天守閣が庭の借景となり、とても壮観な眺めであったことが想像に難くありません。

普段の庭の鑑賞は地上を歩きながらになりますが、障子開放時には少し高い位置から庭を鑑賞することになります。少し高いところから見下ろす“Bird’s View”では、風景の印象ががらりと変わります。庭は室内から鑑賞した目線の角度も計算されて造られています。そのため普段の歩きながらの角度では見えない石や木の表情が見え、より立体的に奥行きを楽しむことができるのです。


冬モードの庭もお見事

現在の開放では、多くの寺の庭園のように縁側に座って庭園を眺めることはできません。国宝建築への配慮があるやもしれませんが、ぜひ実現してほしいものです。それでも京都の冬の至極の眺めはこの時しか味わえません。素晴らしい眺めです。


京都の冬には吹雪もあう

こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。



江戸時代初期の名作庭家で茶人の小堀遠州、実像は案外知られていない


二条城
http://www2.city.kyoto.lg.jp/bunshi/nijojo/

二条城 冬の特別公開 ~国宝・二の丸御殿大広間障子の特別開放
http://www.city.kyoto.lg.jp/bunshi/page/0000230015.html
会期:2018年2月1日(木)~3月2日(金)
原則休館日:なし
※展示作品は、展示期間が限られているものがあります。



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