興福寺一条院から移築された南門が寺の風格を感じさせる
大安寺は、奈良市の中心街から離れたJR奈良駅の南方に静かにたたずむお寺です。飛鳥時代に日本初の官寺(国営寺院)として創建され、奈良時代は東大寺と並ぶ巨大寺院でした。長らく荒廃していましたが、戦後から少しずつ復興が進み、現在では奈良時代の美仏と数々の行事で親しまれています。
1月23日には多くの人出で賑わう「がん封じ笹酒祭り」が行われます。竹筒でお酒をいただける奈良の冬の風物詩としてすっかり定着しています。
大安寺は、現在の桜井市に「百済大寺」として創建されました。その後飛鳥に移転して「大官大寺」となり、平城京遷都で再び移転し「大安寺」と改めました。
都の中心を貫く朱雀大路をはさんで、薬師寺と東西でほぼ対になるあたりに位置します。薬師寺も大安寺も奈良時代から所在地は変わっていません。伽藍は巨大で、発掘調査で確認された礎石跡から、高さ70mを超える巨大な七重の塔が東西ツインで建っていたと考えられています。ちなみに薬師寺の東塔は三重塔で高さ34mですので、その巨大さには圧倒されます。
平安時代半ばの大火で伽藍のほとんどを焼失しています。以降、復興の機運は長らく高まらず、明治まで待たねばなりませんでした。1940(昭和15)年に河野清晃(こうのせいこう)が住職になると、堂宇の再建と行事の復活が進んで、参拝者が増えるようになりました。
ちょうど薬師寺でも高田好胤(たかだこういん)が法話と写経で金堂や西塔の復興を果たしており、天平時代の巨大寺院が同じように昭和になって復興を進めたことはとても興味深いものがあります。
「がん封じ笹酒祭り」も河野清晃が復活させたものです。正式には「光仁会(こうにんえ)」と呼ばれます。桓武天皇が父・光仁天皇の一周忌法要を、平安京から大安寺に出向いて行ったことに因んだ行事です。
光仁天皇は当時としては超高齢の73歳で天寿を全うしました。長く続いた即位前の不遇の時代に、大安寺で採った竹に注いで酒を楽しみ、無病息災を保ったといいます。この故事にあやかって、竹筒に入れた酒を参拝者にふるまい、がんのような悪病にならないよう祈ります。竹は漢方薬にもよく使われており、健康に良いようです。
境内に入るとまず拝観・接待料500円を支払い、竹のお猪口を受け取ります。着物姿が美しい「笹娘」がずらりと並び、酒の入った青竹から竹のお猪口に酒を注いでくれます。酒は竹に入れて焚火で温められており、酒と青竹の香りが調和してとても風情があります。車を運転する場合など、お酒を飲めない人には「笹水」がふるまわれます。縁日屋台もたくさん出ています。
【公式サイトの画像】 光仁会(がん封じ笹酒祭り)
広い境内は手入れが行き届いており、見事な竹林もあります。まわりに高い建物がないことから、奈良らしいゆとりのある大きな空間が楽しめます。常時公開の収蔵庫では、「楊柳観音」が見応えがあります。観音様としては珍しい怒りの表情をしています。しかし流れるようなボディラインはまさしく天平仏で、東大寺の日光・月光像のような優雅さを醸し出しています。
【公式サイトの画像】 楊柳観音
寺では現在も復興に努力しています。笹酒祭りに訪れ、復興を応援しましょう。ちなみに笹酒祭りは6月23日にも行われます。
こんなところがあったのか。
日本にも世界にも、唯一無二の「美」はたくさん。
平城京の巨大寺院を発掘調査から徹底解剖
大安寺
http://www.daianji.or.jp/index.html
原則休館日:なし
※仏像や建物は、公開期間が限られている場合があります。
大安寺「光仁会」(がん封じささ酒まつり)(奈良県観光公式サイト)
https://yamatoji.nara-kankou.or.jp/01shaji/02tera/01north_area/daianji/event/3i3yd0pp4w/
会期:2018年1月23日(火)(毎年固定日開催)
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