今日で水無月も終り、明日からは文月です。文月とは、稲穂が出る頃という意味合いで「穂見(ほみ)」や「含み(ふふみ)」に由来して、七夕に願いを書いたというところからも「文」の字をあてたといわれてます。他に七夕月(たなばたづき)、女郎花月(おみなえしづき)。
(6月は雨が降るのにどうして水が無いと書くのだろうと思いませんか?『無し』はnothingではなく、ofで『の』のことなのですよ)
★凍りのくじら
(内容)藤子・F・不二雄を尊敬し愛する、有名カメラマンの父・芦沢光が失踪してから五年。残された病気の母と二人、毀れそうな家族をたったひとりで支えてきた高校生・理帆子の前に、思い掛けず現れた一人の青年・別所あきら。彼の優しさが孤独だった理帆子の心を少しずつ癒していくが、昔の恋人の存在によって事態は思わぬ方向へ進んでしまう…。家族と大切な人との繋がりを鋭い感性で描く“少し不思議”な物語。
イシは時代と時代を担う男たちの犠牲となった悲運な女だと言える。しかし、本作が月並みのフェミニズム映画にはない、寛容と許しの精神を掲げた人間ドラマとなっている点は見逃せない。中国を代表する女性監督シエ・フェイ監督は、単なる時代の犠牲となったある女の生涯を描こうとしたのではない。ここには時を越えて許しあう人間の大らかな精神性が描かれているのだ
皮肉なことに、日本語ではイシという名前から連想されるのは石のように堅固な意思です。私は孫娘よりイシの娘の世代に近いのでしょうね。日本でも過去に似たような時代を生き抜いた女性達が居たからこそ現在に至っていると思わずにはいられません。両方の生き方を対比して際立たせるには娘との葛藤を割愛するしかなかったのでしょうか。いえ、堕胎した孫娘を慰めてやれたのは娘ではなくてイシでした・・・。もしかするとイシの方が厳しい時代の動乱を生き抜いたずっとずっと強い女性なのかもしれません。
★アイ,ロボット
(内容) 2035年のシカゴ。新しい家庭用ロボットの出荷準備をしている巨大産業会社USRで、事件が起こる。事故のトラウマでロボット嫌いになっているシカゴ市警デル・スプーナー刑事(ウィル・スミス)は、現代ロボット工学の第一人者であるラニング博士(から連絡を受け、USRに向かう。だが彼はすでに死んでいた。スプーナーは、USRの主任ロボット心理学者の女性、スーザン・カルヴィン博士の案内により、犯人を捜索。すると研究室に隠れていた1体のロボットが慌てて逃げようとする。ロボットは、自分はサニー(アラン・テュディック)だと名乗る。スプーナーはサニーの博士殺しの動機に見当がつかず、捜査を続行。一方、スーザンは、サニーが他のロボットたちと違うと感じる。するとサニーは、自分が見た夢を描いた絵をスプーナーに贈る。そこにはロボットを解放する男の姿が描かれており、あなただとサニーは答えた。まもなく、人間に対するロボットたちの反乱が始まり、スプーナーとスーザンは元凶であるUSRに急ぐ。そこですべての命令を下していたメインフレーム・コンピュータのヴィキを破壊する。
口直しに昨夜観た映画。最近ウィル・スミスにはまってますが、それ以上にストーリー展開や出てくる小道具に感激しました。ロボットが胸にチカチカと点滅をしながら反逆するシーンなど面白くて手に汗を握って画面に釘付けになってしまったほどです。ウィル・スミスより翳りを帯びた青い目のロボットのサニー君に惹かれてしまいました。子供の頃にSFでロボットに征服されるというような筋書きにそんな絵空事と笑ってましたが、実際にあり得るかもと背筋が寒くなります。
(6月は雨が降るのにどうして水が無いと書くのだろうと思いませんか?『無し』はnothingではなく、ofで『の』のことなのですよ)
★凍りのくじら
(内容)藤子・F・不二雄を尊敬し愛する、有名カメラマンの父・芦沢光が失踪してから五年。残された病気の母と二人、毀れそうな家族をたったひとりで支えてきた高校生・理帆子の前に、思い掛けず現れた一人の青年・別所あきら。彼の優しさが孤独だった理帆子の心を少しずつ癒していくが、昔の恋人の存在によって事態は思わぬ方向へ進んでしまう…。家族と大切な人との繋がりを鋭い感性で描く“少し不思議”な物語。
鯨は小説や映画の題材に取り上げられるのだが、今回は捕鯨問題をまだ私が引きずっていて、たまたま図書館で見つけた『凍りのくじら』のタイトルに惹かれ選んでしまいました。鯨よりもドラエモンに出てくる小道具がたくさん出て来てくるのですが、私はドラエモンに不案内。狂言回しのような役割を担う人物、理帆子の元彼・若尾にとても不快感を持ちました。若尾はプライドが高い嫌な奴ー。大学を卒業している年齢なのに、精神的に高校生の理帆子にかなり依存していました。親からの仕送りをもらい続け司法試験を受けると言いながら勉強してる様子もなく、全てのイヤなことは周りに責任転嫁するような情けない男。そんな彼を理帆子はドラエモンの”カワイソウメダル”なるものを持っていると分析します。カワイソウメダルを持っている人間や動物を見捨てることができないらしい。DVを受けながら(小説ではストーカー)も許してしまう女たちと何だ変わらないではないかとジリジリしながら読みました。でも理帆子はまだ十代で成長していく途中なのです。理帆子は末期がんの母と失踪した父親の3人家族という厳しい家庭環境で生きていくのだから、同世代の女学生よりはるかに大人のようだけど、強がって、健気に耐えていただけでした。十代の女の子達に人気のある辻村さんだということですが、やはり現在の若い世代は自分の気持ちを素直に出せる場所に飢えているのかもしれませんね。KYとか若い頃にありのままの自分を出せないなんてあまりにも寂しい!
★チベットの女 イシの生涯
イシは時代と時代を担う男たちの犠牲となった悲運な女だと言える。しかし、本作が月並みのフェミニズム映画にはない、寛容と許しの精神を掲げた人間ドラマとなっている点は見逃せない。中国を代表する女性監督シエ・フェイ監督は、単なる時代の犠牲となったある女の生涯を描こうとしたのではない。ここには時を越えて許しあう人間の大らかな精神性が描かれているのだ
皮肉なことに、日本語ではイシという名前から連想されるのは石のように堅固な意思です。私は孫娘よりイシの娘の世代に近いのでしょうね。日本でも過去に似たような時代を生き抜いた女性達が居たからこそ現在に至っていると思わずにはいられません。両方の生き方を対比して際立たせるには娘との葛藤を割愛するしかなかったのでしょうか。いえ、堕胎した孫娘を慰めてやれたのは娘ではなくてイシでした・・・。もしかするとイシの方が厳しい時代の動乱を生き抜いたずっとずっと強い女性なのかもしれません。
★アイ,ロボット
(内容) 2035年のシカゴ。新しい家庭用ロボットの出荷準備をしている巨大産業会社USRで、事件が起こる。事故のトラウマでロボット嫌いになっているシカゴ市警デル・スプーナー刑事(ウィル・スミス)は、現代ロボット工学の第一人者であるラニング博士(から連絡を受け、USRに向かう。だが彼はすでに死んでいた。スプーナーは、USRの主任ロボット心理学者の女性、スーザン・カルヴィン博士の案内により、犯人を捜索。すると研究室に隠れていた1体のロボットが慌てて逃げようとする。ロボットは、自分はサニー(アラン・テュディック)だと名乗る。スプーナーはサニーの博士殺しの動機に見当がつかず、捜査を続行。一方、スーザンは、サニーが他のロボットたちと違うと感じる。するとサニーは、自分が見た夢を描いた絵をスプーナーに贈る。そこにはロボットを解放する男の姿が描かれており、あなただとサニーは答えた。まもなく、人間に対するロボットたちの反乱が始まり、スプーナーとスーザンは元凶であるUSRに急ぐ。そこですべての命令を下していたメインフレーム・コンピュータのヴィキを破壊する。
口直しに昨夜観た映画。最近ウィル・スミスにはまってますが、それ以上にストーリー展開や出てくる小道具に感激しました。ロボットが胸にチカチカと点滅をしながら反逆するシーンなど面白くて手に汗を握って画面に釘付けになってしまったほどです。ウィル・スミスより翳りを帯びた青い目のロボットのサニー君に惹かれてしまいました。子供の頃にSFでロボットに征服されるというような筋書きにそんな絵空事と笑ってましたが、実際にあり得るかもと背筋が寒くなります。
チベットの自然は美しかったけれど、わたしには男どもがまったく魅力的には映らなくて、しかもイシは二人の男が自分を取り合っているのを密かに楽しんでいるように思えてしまいました。(悲劇のヒロインになりきっているというか・・・)
でも、いがみ合ってた男ふたりが、時を経て別人のようになって許しあっているのはよかったかな。
大変な人生を柔軟に逞しく生きてきたイシは、確かに強い女性かもしれませんね。
あと、「アイ、ロボット」はロボットの造形がどうにも受付けなくて苦手です・・・。
やっぱりそう思えたのよね。
イシは歌もうまいし美形。この時代において取り入る男性が複数も現れるのは、おそらく貧しい農家では最大の出世だったのでしょう。両親は出来の良い娘を持てて鼻も高かったと察せられます。意地悪に云えば、モテモテ女だったからこその悲劇だったとも取れますよね。
(敢えて私が、最初に感じたそんな感想をストレートに書かなかったのは、ちょっと傲慢かなとも思えたからなのです。過酷な時代を知らないくせに、すっぱりと切って良いものかと・・・。長く生きてくると見えないものが見え始めてきます(*_*;)
>いがみ合ってた男ふたりが、時を経て別人のようになって許しあっているのはよかったかな
男同士が許しあえたのは、やっぱりイシを愛していたからと思えます。時を越えて許しあったのは、何といってもギャツォとイシかな。だから後を追うようにして死んだのでしょうね。
フートンの向日葵 も昨日観ましたがダメでした。同監督の こころの湯 は好きな作品だっただけにがっくりでした。
>「アイ、ロボット」はロボットの造形がどうにも受付けなくて苦手です・・・
今回のジャガー・ノートにしても色んな見方があって、見解が分かれて当然です。
創作する側は全部黒星をもらえない分けですから、きっと助かることでしょう