大学時代のサークルで一緒だった友人を空港で出迎え、彼の旅に付き合いました。
彼もサラリーマン経験があり、今は家業を継ぎ会社経営をしています。外見は対極的なのですが、時間があれば全国の神社巡りをしているそうで、ブーム物とは異なるのですが、何故か共鳴するモノを感じています。(海外の街の話題で、「ドコソコの河を渡って、〇〇を曲がった所にあった店。」で通じてしまう程、お互いの行動パターンも似ています。)
そのような次第で、マイカーは、手取川沿いに白峰から谷峠を越えて、勝山へと入り、九頭竜川沿いに油坂峠から白鳥へと抜けるルートを進みました。残念ながら、他の用事が入っていたので、そこから先の長良川沿いは同行できませんでしたが、気分が昭和の頃に戻りました。
また、昼食をと入ったレストランは、店員さん達が多民族混成チームで、私達のテーブルをセットしたウェイトレスさんは、まるで人形のような白人の娘さん(おそらくスラブ系?)でした。昔の満鉄あじあ号の食堂車は、かくの如しだったのかも、などと思ってしまいました。
写真は、白山ヒメ神社の古宮付近です。かっては、この辺りから、北陸鉄道の金名線が延びていました。確か、中学時代に買った鉄道趣味誌に、越前大野が十字路になっている鉄道計画図が掲載されていたと記憶しています。ちなみに、バブルの頃にオープンした和泉スキー場へは、レオマークの近江鉄道バスが乗り入れていたとも聞いています。
彼もサラリーマン経験があり、今は家業を継ぎ会社経営をしています。外見は対極的なのですが、時間があれば全国の神社巡りをしているそうで、ブーム物とは異なるのですが、何故か共鳴するモノを感じています。(海外の街の話題で、「ドコソコの河を渡って、〇〇を曲がった所にあった店。」で通じてしまう程、お互いの行動パターンも似ています。)
そのような次第で、マイカーは、手取川沿いに白峰から谷峠を越えて、勝山へと入り、九頭竜川沿いに油坂峠から白鳥へと抜けるルートを進みました。残念ながら、他の用事が入っていたので、そこから先の長良川沿いは同行できませんでしたが、気分が昭和の頃に戻りました。
また、昼食をと入ったレストランは、店員さん達が多民族混成チームで、私達のテーブルをセットしたウェイトレスさんは、まるで人形のような白人の娘さん(おそらくスラブ系?)でした。昔の満鉄あじあ号の食堂車は、かくの如しだったのかも、などと思ってしまいました。
写真は、白山ヒメ神社の古宮付近です。かっては、この辺りから、北陸鉄道の金名線が延びていました。確か、中学時代に買った鉄道趣味誌に、越前大野が十字路になっている鉄道計画図が掲載されていたと記憶しています。ちなみに、バブルの頃にオープンした和泉スキー場へは、レオマークの近江鉄道バスが乗り入れていたとも聞いています。