小学校では市の音楽祭があって、毎年どこかの学年が出場することになっていた。
参加するのは大抵5年生で、音楽の先生が指導してくださる。
私の学年も5年生の時に合唱で音楽祭に出場することになり、曲が決まった。
正確には覚えていないが、「さよならの箱」みたいなタイトルだったと思う。
さよならの箱があったらいいな
ちいさな箱があったらいいな
今日のけんかはさようなら
流した涙もさようなら
心の痛む思い出は
ひとつひとつ箱にしまって
バラの茂みなどに隠しておけたら
ほんとにいいな
音楽の先生は年配で生真面目な厳しい先生だった。
私達の学年は、どうもあまり歌が上手くなかったらしく、
先生をイライラさせ、たくさん叱られた。
そしてある日、これはもうダメだと思われたのだろう。
先生は怒ってこの曲の楽譜を破り捨ててしまった。
音楽祭の曲は他のものに変えることになった。
新しい曲は、きれいな夕焼けにありがとうって拍手する明るい歌だった。
練習を重ねて、おそらくそれなりの合唱ができて、本番では楽しく歌えた。
終わった後は先生も一番上手かったと褒めてくださって、音楽祭は終わった。
でも私は、市内で一番大きい小学校の同じ5年生の歌にショックを受けた。
絶対その小学校の方が上手かった。
声がきれいでなんだか開放感があって楽しそうだった。
それから6年生になって、音楽の先生は若い男性の先生に変わった。
新しい先生は楽しくて自由で、目からウロコが落ちるようだった。
それまで私達は緊張して縮こまっていたことを知った。
歌が苦手だから音楽は嫌いだと言っていた友達が、音楽が楽しくなったと教えてくれた。
大きい小学校の子ども達はきっと、こんなふうに教えてもらって合唱したんだなとわかった。
一つ下の学年は新しい先生の指導で、のびのび個性的で楽しい合唱をした。
先生としては、そりゃあ新しい先生が好きに決まっている。
でも、厳しい年配の先生も私は嫌いになれなかった。
叱られて、私達ってダメなんだろうなと思っても、
先生が音楽が大好きだったことだけは疑いようがなかった。
さよならの箱は未完成。
隠すことができなかったちいさな箱。
私はずっと持っていて、忘れられないでいる。
参加するのは大抵5年生で、音楽の先生が指導してくださる。
私の学年も5年生の時に合唱で音楽祭に出場することになり、曲が決まった。
正確には覚えていないが、「さよならの箱」みたいなタイトルだったと思う。
さよならの箱があったらいいな
ちいさな箱があったらいいな
今日のけんかはさようなら
流した涙もさようなら
心の痛む思い出は
ひとつひとつ箱にしまって
バラの茂みなどに隠しておけたら
ほんとにいいな
音楽の先生は年配で生真面目な厳しい先生だった。
私達の学年は、どうもあまり歌が上手くなかったらしく、
先生をイライラさせ、たくさん叱られた。
そしてある日、これはもうダメだと思われたのだろう。
先生は怒ってこの曲の楽譜を破り捨ててしまった。
音楽祭の曲は他のものに変えることになった。
新しい曲は、きれいな夕焼けにありがとうって拍手する明るい歌だった。
練習を重ねて、おそらくそれなりの合唱ができて、本番では楽しく歌えた。
終わった後は先生も一番上手かったと褒めてくださって、音楽祭は終わった。
でも私は、市内で一番大きい小学校の同じ5年生の歌にショックを受けた。
絶対その小学校の方が上手かった。
声がきれいでなんだか開放感があって楽しそうだった。
それから6年生になって、音楽の先生は若い男性の先生に変わった。
新しい先生は楽しくて自由で、目からウロコが落ちるようだった。
それまで私達は緊張して縮こまっていたことを知った。
歌が苦手だから音楽は嫌いだと言っていた友達が、音楽が楽しくなったと教えてくれた。
大きい小学校の子ども達はきっと、こんなふうに教えてもらって合唱したんだなとわかった。
一つ下の学年は新しい先生の指導で、のびのび個性的で楽しい合唱をした。
先生としては、そりゃあ新しい先生が好きに決まっている。
でも、厳しい年配の先生も私は嫌いになれなかった。
叱られて、私達ってダメなんだろうなと思っても、
先生が音楽が大好きだったことだけは疑いようがなかった。
さよならの箱は未完成。
隠すことができなかったちいさな箱。
私はずっと持っていて、忘れられないでいる。