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ミシェル・フーコの「言説」とは何か?

2023-09-15 21:14:00 | 西洋哲学

【言説、ディスクール】 

 言説「ディスクール」とは「会話」「テキスト」など、歴史的に集積された「言語表現の総体」のことです。それは、日常生活で実際に実現した「言表」が作り出しています。言表とは、一回限りの出来事としての「発話」という行為のことです。そのため、まったく同じ反復はありません。言表が集積されて、言説を構成しています。例えば、日本人は、これまで日本語を話してきました。それが集積されて、日本の社会に内在しています。日本で生活していれば、日本語を使って会話することができるのは、言説が存在してるからです。

【地層】 

 言説は、言表が積み重なって出来た「地層」のようなものです。それが、あらゆる言語活動の土台になっています。その地層は、歴史のようなものではありません。歴史とは、権力者によって、特定のものの見方が、決められたものです。そこには、一つの連続的なストーリーがあります。しかし、実際の現実というものは、一つの目標へ向かって連続的に進んではいません。地層とは、その非連続性をあえて強調した表現です。

【特定の時代】 

 言表とは、一つ以上の文からなる言語の連鎖です。それは、特定の「時間」と「空間」の中で起こります。特定とは「具体的にいつ何処で」という意味です。言説は、ある特定の時代や社会を特徴付けています。言表とは、その時代に特有な話し方です。例えば、現代では江戸時代のような話し方はしていません。通常、現代的な話し方をしています。人々にそのように会話させているのが言説です。  

【テキスト】 

 言説とは、言語表現の総体です。そのため会話だけではなく「書き言葉」も含まれています。ちなみに話し言葉と、書き言葉は、厳密には同じものではありません。言説とは、テキストの膨大な蓄積です。それがテキストを支配しています。支配するとは、書き言葉が言説の規則に従っているからです。テキストは、1連の諸記号を適切な場所に配置することによって意味を持ちます。ただし、文法的な規則には、完全に支配されていません。それだけでは、全てを包括しきれないからです。

 【権力との関係】 

 言説には「抑圧的」「強制的」な性格があります。それが権力と結び付いてきたからです。言説は、権力の道具として、人々を服従させようとします。その権力は、有無を言わせない強制的なものではありません。例えば、人々を教育し、社会化させるなどです。言説は「制度」として人々に影響を及ぼしてきました。例えば、日本人なら、国家機関から日本語教育を受ける義務があります。それは、本人のためという形で、実質的に半ば強制的なものです。 

 【種別化の格子】 

 ディスクールは「種別化の格子」として働いてます。種別化の格子とは、対象を分類することです。それは、特定の「会話」「思考」「行為」などを可能させますが、それ以外の可能性を排除します。言説とは、ある一定の方向を示すものです。しかし、実際の出来事は、相互に非連続的に進んでいます。そのため、言説によっても、完全に支配することが出来きません。そういう意味では、言説の規則からも自由な部分があります。



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