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ニーチェの「運命愛」について

2024-03-16 21:21:00 | 西洋哲学

【運命愛】

 運命愛とは、たとえ運命が初めから決まっているものだとしても、別のあり方を望まないことです。もし運命が既に決まっているものだとしたら、人生の選択肢というものはありません。たとえどんな選択をしても、結果が同じになるからです。ニーチェは、世界が永遠に同じことの繰り返しだと考えていました。それを「永遠回帰」と言います。永遠回帰の世界では、決して運命に逆らうことが出来きません。そのため、ニーチェは、世界をニヒリズム的だとしました。ニヒリズムとは、目的がないという意味です。しかし、運命愛では、それをそのまま肯定する立場をとります。なぜなら、運命愛とは、たとえ人生が永遠に同じものだったとしても、それにも関わらず「これが生だったか、よしもう一度」と考えることだからです。ニーチェは、それこそ哲学者が到達しうる最高の状態だとしました。運命愛とは、たとえ、運命が決まったものであったとしても、あえて創造的に生きていこうとすることです。ニーチェは、それこそ、存在との大いなる和解であり、自己を超克することだしました。

 【永劫回帰】 

 永遠回帰とは、永遠に円運動を反復することです。そこに目的はありません。しかし、運命愛では、あえてそれを欲します。円運動には、過程しかありません。その一瞬一瞬は、無限回達成されています。各瞬間は、相関関係にある特定の位置でしかありません。永遠回帰で生起する全行程は、常に同じ順序に従っています。また、その行程は、経過し終えることがなく、究極の完成状態というものを持ちません。もしそれがあるのなら、既にその状態は達成されていたはずだからです。ニーチェは、世界には、無際限に新しいものを創る力もないとしています。そのため、永遠に同じものを創らざるを得ないのだとしました。また、存在しているのは、ただ一つのだけのこの世界だとしています。 その総体的歩みには、何一つ孤立しているものがありません。

 【力への意志】 

 ニーチェは、この世界の実体をエネルギーのようなものだと考えました。物理学のエネルギーは、いろいろ姿を変えても、その全体の量は恒常不変です。それをエネルギー保存の法則と言います。ニーチェは、このエネルギーを「力への意志」という言葉に置き換えました。力への意志は、疲れを知らない力だとされています。それは、凝固停滞することがない変化の形成力です。その力の量は、固定しており、常に一定の量が協働で作用しています。力への意志には、起源がありません。それは、初めも終わりもない一つの巨大な力だとされています。ニーチェは、この世界は、それ以外の何ものでもないとしました。

 【ディオニュソス】 

 力への意志は、踊り戯れながら永遠に世界を創造するものだとされています。ニーチェは、それを古代ギリシャの神ディオニュソスに喩えました。ディオニュソスは、舞踏と酒神です。酒神として、陶酔による忘我のうちに根源的な全一者と合一する神だとされています。ディオニュソスは、自身自身も人間となり、個体化の苦悩を体験する神でした。人間というものは、個体化によって束縛されています。それを解放する者が、ディオニュソスでした。ディオニュソスは、死んで蘇る神です。そのため、永遠に破壊と再生を繰り返しているとされています。ディオニュソスだけは、変転する世界にあっても、変わることがありませんでした。ニーチェは、世界の無尽蔵な創造力を「生」に喩えました。ディオニュソスとは、その生の象徴です。




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