【言表】
特定の「時間」「場所」において、偶発的に言われた一回だけの言葉の出来事を言表「エノンセ」と言います。言表とは、発話と言う日常の出来事を一つの行為としてとらえた概念です。それは、言葉という個々の表現として目の前に現れます。言表は、有限な長さの語群であり、一つ以上の文からなる言語の組み合わせです。言葉というものは、まったく同じことが二度と起きません。一回限りの反復不可能な出来事です。言表とは、物質的な存在ではありません。それは、独特な存在様式を持っています。言表とは、言葉という出来事を言語学的に表現したものです。
【言説との関係】
言表は、言説「ディスクール」の基本単位であり、その要素だとされています。言説とは、歴史的に「集積」「編制」された個々の言表の総体です。その総体は、一つの時代を特徴づけています。時代ごとに、言葉遣いが違うのは、そのためです。例えば、現代では、江戸時代のような喋り方をしてません。言説は「一時代」「一定の場所」で、会話が成り立つ基本的な土台となっています。その土台がなければ、会話は成立しません。言表は、その言説によって囲い込まれ「制約」されています。制約とは、言説による「強制」や「抑圧」のことです。それによって、特定の「語り」「思考」「行為」が可能になりますが、それ以外は予防されます。ただし、制約されるとは言っても、文法的な規則には完全には支配されません。そのため、ある程度の柔軟性はあります。例えば、特定の地域では、特有の話し方をしていますが、完全に同じ話し方ではありません。それは、人によっても、違ってくるからです。また、言説には「非文法的なもの」や「無意味なもの」まで含まれます。
【日本で例えると】
例えば、現代の日本と言う場所で、ある日本人が日本語を発したとします。そのある日本語が言表です。正確には、話した個々の言葉と言う「出来事」が言表と呼ばれています。その言葉を発することが出来るのは、日本語と言う言語の総体が存在しているからです。そうした言語の総体を言説「ディスクール」と言います。もし、それがなければ、日本語を話すことが出来ません。
言説とは、日本語の話し方の「習慣」や「規則」のことです。この言説があるからこそ、日本人は、日本人的な話し方をすることが出来ます。日本人という人種だから、日本語を話せるわけではありません。例えば、アメリカで育った日本人は、英語を話しています。日本語というものは、社会に内在しているものです。そのため、日本で生活していないと、うまく使うことが出来ません。日本語という言説は、日本人がこれまで日本語を話してきたから、出来上がったものです。それは、日本語を話すことを可能にしますが、それ以外の話し方は抑制されてしまいます。また、それには個人差があり、誰が使っても完全に同じではありません。そのため、日本語の規則からは自由だとも言えます。
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