啓蟄の3月5日(土)朝から晴天で気温も20度近くなる中で我が家の梅が午前中に1輪咲き、今、庭を観ましたら5,6輪咲いています。座骨神経痛の痛みは暖かいせいかチクチク痛みがある程度です。今日の中国旅行は当時は余り日本人が行っていなかった海南島を編集しました。
実施時期 1998年2月21日~26日
訪問先 広州 海南島(海口 興隆 三亜)
2月に海南島で海水浴しました。
16名で海南島周遊。緯度はハワイと同じくらい、屋外温泉プールと海で泳ぐ
2月21日
7時30分羽田発。関西空港乗り継ぎJD011便で広州白雲空港に13時30分到着。スルーガイド陳さんが出迎え。陳さんは昨年10月「シルクロードの旅」のやはりスルーガイド。海南島への乗り継ぎ時間を利用して市内に両替に行く。広州16時35分発、海南省航空公司183便、1時間の空の旅で海南島省都、海口空港着。海南島ガイド王さんが迎える。バスの中で海南島の説明「1988年に広東省から分かれ海南省に、人口は約700万、少数民族も多く39民族」等々。今夜の宿は5つ星ホテルの環島泰得飯店。
海口空港で
2月22日
ホテルでバイキング朝食後、市内観光。先ずは明代の政治家で、悪政を憎み貧しい民衆に善政をした「海端の墓」へ、参道には、樫の木と彫刻動物が並ぶ。そして「五公祠」の見学、北宋の1097年この地に流されて来た、蘇東坡を祀った蘇公祠と唐の宰相、李徳裕をはじめ唐から宋にかけて5人の清廉な役人を祀った所を見学学習。市内のレストランで昼食、可愛い女性店員と国際交流後。高速道路を利用、興隆へ移動。途中両側の景色は2月だが、三毛作の田植え直後の苗を見ながら、景勝地東山嶺の岩山に登が小雨でガスがかかり視界不良。夕刻興隆着。ホテルはコテージの廉楽園大酒店、ここも5つ星ホテル、庭には温泉利用のプールと、真水の大きなプールがある。早速土砂降りの雨の中、何人かが両方のプールで泳ぐ。プールは隣り合って温泉・真水と気分は爽快で。夕食後、夜の自由市場を全員で散策する。
海口 五公祠
海口 海端墓で
東山嶺で
2月23日
昨夕の雨から晴天となる。朝食はプールサイドで摂る。朝食後また直ぐ泳ぐ。そして海南島最南端の観光の中心地で、典型的な熱帯気候である三亜に向かう。途中、軍の射撃場等を見学、昼食は射撃場のレストランで。昼食後、三亜の観光地である「鹿回頭公園」から三亜市内を一望後ホテルに着く。ホテルはここもコテージ形式のリゾートホテル。早速近くの真っ白な砂浜、エメラルドグリーンの海で海水浴。泳いでいる人は我々以外には数人。海藻の馬尾藻が多数浮いている。頭に被り髪にして記念撮影。中国にもこんな所があったのかと感心する。
三亜 大東海で、海藻を被る私
三亜 鹿回頭公園で
2月24日
朝食後、ホテル前の海岸を散策。珊瑚礁が岩になってしまったような所に、小さな魚、ゴカイ類が沢山」いる。今日は、三亜市内見学。先ず「天涯海角」海辺の大きな岩に、天涯・海角・南天一柱など文字が彫られている。その中の一つの岩は中国の2元紙幣に描かれている。次は「苗族村」見学、少数民族の踊り等を見る。そして「大東海」ここは砂浜。昨日泳いだ所から砂浜つづき、これでも有料、民族衣装を着た少女が有料スナップ写真の相手。ホテル到着後、飽きずに海水浴。一部マッサージに行った者もいる。夕食後、ホテルの地下のカラオケスナック?に・・・女性従業員多数。
三亜 天涯海角
苗族村
2月25日
広州へ移動のため6時に朝食。簡単な食事の筈が飲茶となり溜め息。三亜空港までの車の中で王さんが美声で「知床の岬」を歌う。9時20分広州白雲空港着。8年振りに市内見学。陳氏書院、六榕寺、中山記念堂等を見学後ショッピング。夕食は子豚の丸焼きをオーダーする。ホテルに帰り深夜まで有志で懇親を深める。
広州 中山記念堂で
広州北園酒家でスルーガイドと乾杯
2月26日
今日は雨となる。海南島に比べて寒さを感じる。午前中「鎮海楼」で広州の歴史を学習。昼食は有名な「北園酒家」で今回の旅行の締めとする。空港までのバスの中で広州ガイド女性の王さんから最近の広州事情について学習。途中8年前にあったバナナ畑はテレビ局になったとのこと。郊外にあったと記憶していた空港が街の中となったようだ。最後にスルーガイド陳さんから「サヨナラ」の挨拶で海南島の旅は終わりJD010]便で19時関西空港着。羽田迄の乗り換え時間を利用して、弁当、缶ビール等でお腹に補充し22時に羽田着。23時30分バスで藤沢着。3人で駅前の中華店で日本酒で乾杯。海南島の温泉、エメラルドグリーンの海、もう一度真冬に行きたいと思うところであった
実施時期 1998年2月21日~26日
訪問先 広州 海南島(海口 興隆 三亜)
2月に海南島で海水浴しました。
16名で海南島周遊。緯度はハワイと同じくらい、屋外温泉プールと海で泳ぐ
2月21日
7時30分羽田発。関西空港乗り継ぎJD011便で広州白雲空港に13時30分到着。スルーガイド陳さんが出迎え。陳さんは昨年10月「シルクロードの旅」のやはりスルーガイド。海南島への乗り継ぎ時間を利用して市内に両替に行く。広州16時35分発、海南省航空公司183便、1時間の空の旅で海南島省都、海口空港着。海南島ガイド王さんが迎える。バスの中で海南島の説明「1988年に広東省から分かれ海南省に、人口は約700万、少数民族も多く39民族」等々。今夜の宿は5つ星ホテルの環島泰得飯店。
海口空港で
2月22日
ホテルでバイキング朝食後、市内観光。先ずは明代の政治家で、悪政を憎み貧しい民衆に善政をした「海端の墓」へ、参道には、樫の木と彫刻動物が並ぶ。そして「五公祠」の見学、北宋の1097年この地に流されて来た、蘇東坡を祀った蘇公祠と唐の宰相、李徳裕をはじめ唐から宋にかけて5人の清廉な役人を祀った所を見学学習。市内のレストランで昼食、可愛い女性店員と国際交流後。高速道路を利用、興隆へ移動。途中両側の景色は2月だが、三毛作の田植え直後の苗を見ながら、景勝地東山嶺の岩山に登が小雨でガスがかかり視界不良。夕刻興隆着。ホテルはコテージの廉楽園大酒店、ここも5つ星ホテル、庭には温泉利用のプールと、真水の大きなプールがある。早速土砂降りの雨の中、何人かが両方のプールで泳ぐ。プールは隣り合って温泉・真水と気分は爽快で。夕食後、夜の自由市場を全員で散策する。
海口 五公祠
海口 海端墓で
東山嶺で
2月23日
昨夕の雨から晴天となる。朝食はプールサイドで摂る。朝食後また直ぐ泳ぐ。そして海南島最南端の観光の中心地で、典型的な熱帯気候である三亜に向かう。途中、軍の射撃場等を見学、昼食は射撃場のレストランで。昼食後、三亜の観光地である「鹿回頭公園」から三亜市内を一望後ホテルに着く。ホテルはここもコテージ形式のリゾートホテル。早速近くの真っ白な砂浜、エメラルドグリーンの海で海水浴。泳いでいる人は我々以外には数人。海藻の馬尾藻が多数浮いている。頭に被り髪にして記念撮影。中国にもこんな所があったのかと感心する。
三亜 大東海で、海藻を被る私
三亜 鹿回頭公園で
2月24日
朝食後、ホテル前の海岸を散策。珊瑚礁が岩になってしまったような所に、小さな魚、ゴカイ類が沢山」いる。今日は、三亜市内見学。先ず「天涯海角」海辺の大きな岩に、天涯・海角・南天一柱など文字が彫られている。その中の一つの岩は中国の2元紙幣に描かれている。次は「苗族村」見学、少数民族の踊り等を見る。そして「大東海」ここは砂浜。昨日泳いだ所から砂浜つづき、これでも有料、民族衣装を着た少女が有料スナップ写真の相手。ホテル到着後、飽きずに海水浴。一部マッサージに行った者もいる。夕食後、ホテルの地下のカラオケスナック?に・・・女性従業員多数。
三亜 天涯海角
苗族村
2月25日
広州へ移動のため6時に朝食。簡単な食事の筈が飲茶となり溜め息。三亜空港までの車の中で王さんが美声で「知床の岬」を歌う。9時20分広州白雲空港着。8年振りに市内見学。陳氏書院、六榕寺、中山記念堂等を見学後ショッピング。夕食は子豚の丸焼きをオーダーする。ホテルに帰り深夜まで有志で懇親を深める。
広州 中山記念堂で
広州北園酒家でスルーガイドと乾杯
2月26日
今日は雨となる。海南島に比べて寒さを感じる。午前中「鎮海楼」で広州の歴史を学習。昼食は有名な「北園酒家」で今回の旅行の締めとする。空港までのバスの中で広州ガイド女性の王さんから最近の広州事情について学習。途中8年前にあったバナナ畑はテレビ局になったとのこと。郊外にあったと記憶していた空港が街の中となったようだ。最後にスルーガイド陳さんから「サヨナラ」の挨拶で海南島の旅は終わりJD010]便で19時関西空港着。羽田迄の乗り換え時間を利用して、弁当、缶ビール等でお腹に補充し22時に羽田着。23時30分バスで藤沢着。3人で駅前の中華店で日本酒で乾杯。海南島の温泉、エメラルドグリーンの海、もう一度真冬に行きたいと思うところであった