江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

私と「道」の関係(1) ー遊び場だった道路ー

2024-05-03 | 随想
私は道路や鉄道に、幼い頃から興味関心が強かった気がする。

田舎で生まれ育った私の家の前は今でこそ舗装されているが、子どもの頃は砂利道と言うより砂道であった。
その道は、北から南にかけて緩い傾斜の坂道の終点の様な位置にあり、雨が降る度に上から流れて来る砂が堆積したのだ。

私たちは、そこで砂遊びをしたり相撲をしたり、陸上競技会ごっこで走り幅跳びや三段跳びをして楽しんでいた。
ローマオリンピックから東京オリンピックに続く頃だったように思う。

当時は車など滅多に通ることはなく、時々馬車がやって来るのどかな田舎道だった。
道の両側は生垣があり、その幅は3メートルにも満たないものだった。

因みにその道路が緩いカーブを描く場所に木製の黒塗り電柱があり、電気工事をする際に切り落とされた銅線を拾い集めるのも楽しかった。
こうした工事は結構あちこちで行われ、私たちはその場所を求めて銅線拾いに歩き回ったこともある。
集めたものは鉄屑屋さんが買ってくれた。

時代はちょうど日本経済の高度成長に拍車が掛かり始まった頃で、電気の需要も急速に高まりつつあったのかもしれない。
それを象徴するかの様に車の往来も次第に増えてきて、子どもたちの遊び場所だった道路も失われていったのである。

もっとも、その頃には遊んでいた私たちも中学・高校生になり、後輩たちの遊びも別のものに変わっていったようだ。

(つづく)



<すばる>

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