江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

私と「道」との関係(3)―鉄道―

2024-05-08 | 随想
子どもの頃、私も例にもれず自動車や電車(といっても地元を走るのはSLや気動車)という乗り物に興味関心があった。

一度だけだが、危険な悪戯に参加したこともある。
いや、正確に言うと、先輩たちの悪戯を一緒になって見学したことがあった。
田んぼの中を一直線に延びる線路上を疾走する国鉄の気動車を眺めるのは楽しかった。

私たちが、田んぼより一段高くなっている線路を下から見上げるようにしていると、ブーンという警笛を鳴らして気動車は通り過ぎて行った。
きっと、運転士は悪ガキどもに不信感を抱き警告を発したに違いない。

蒸気機関車の時は、その迫力と言ったら半端ない凄さで身震いするほどだった。
ちょうど列車が短いトンネルを抜けてしばらく走った辺りに私たちは陣取っていた。
ポーッ!と鳴る機関車の警笛音は、その蒸気の白さと合わせて脳裏にしみ込んでいる。

先輩たちはこの線路のレール上に何やら載せてその場を離れ、列車が通り過ぎた後に再びやってきてその結果を見るのであった。
たまたま私が行った時は失敗に終わったようで、うまく「加工」できなかったようだが、鉄くぎを平らにした物や一円玉が大きく延ばされた物を見せてもらったことがある。

石などの明らかに運転士から見えるような物は絶対置くことはなかったようだ。

「路傍の石」という物語があるが、その中で主人公の吾一が度胸試しに川に架かる鉄橋の枕木にぶら下がるという場面がある。
結果的には直前で列車は止まり、吾一は気を失ってしまうとう話だったが、私たちも鉄道にはワクワク感と怖さを併せ持っていたように思う。

その後、私は同年代の仲間たちと試みようと決めていたのだが、どいうわけか、学校で「線路の上に物を置くようなことは絶対にやってはならぬ。もし、それが原因で脱線でもしたらどうなる? これは犯罪で警察に捕まる」という講話を聴くことになった。
もしかしたら、私たち以外の場所でも同じ行為を重ねていた悪ガキどもがいたのかもしれない。

お陰で私は犯罪者にはならずに済んだが、五寸釘を平べったく加工することもできず、果たして本当にそうなるのかも確かめることなく過ぎてしまった。

私は鉄道に対してある種の畏敬の念を持っているのであるが、それは少なからずあの当時の体験が影響しているのだと思う。


(つづく)


<すばる>



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