江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

道と言えば思い出したこと(すばるさんにインスパイアされて)

2024-05-06 | 随想
自分が子どもだったころ、近所の道は「遊び場」だった。

家の前がアスファルト舗装になったのは小学校に入学するかしないかのことだから、あっちこっち未舗装の道も多かった。
断わっておくが、子どものころに住んでいたのはれっきとした東京都内、それも「区内」なのだが。

1960年ころの東京都世田谷区の西部の、道路状況はそんなものだった。
家の前や近所には畑が広がり、畑の中の道や、雑木林の中の獣道のようなところは、格好の遊び場だった。
家と家の間の路地なんかも、かくれんぼや缶蹴りにはうってつけだった。


さて、以前勤務していた学校で、新年度のPTA便りに載せる記事のためにアンケートがあった。
子どものころどんな場所で遊んでいたか?というような質問だったと思う。

この質問に、自分が小学校高学年の頃の思い出を書いた。
そのころ、子どもたちの間で「ローラースケート」が流行っていた。(ローラーゲームとかありましたね)
今どきの車輪がストレートに並んでいるものではなく、四輪車の様に配置されて、運動靴に装着するタイプのものだ。
車輪が鉄製から合成樹脂のものに代わって、少し騒音が提言されたものを、お小遣いをためて買ったのだと思う。

さて、ローラースケートで遊ぶには、舗装された道路であって、かつ自動車が来ないことが、必要条件だ。
そんな都合のいい場所があるか?というと、あったのだ。
それは、まだ建設途中で供用されていない「環状八号線」だった。

今どきの建設現場の様に、フェンスや策で囲まれ「立ち入り禁止」になっていなかったから、子どもにとってうってつけの場所だった。
放課後になると、そこでスケートに夢中になっていた。
少し先には、甲州街道をオーバーする陸橋部もあって、そこはゲレンデのようなものだから、カチャカチャと登って行っては、スラロームをしながら下って行った。
坂を下りながら風を感じるのは爽快だった。

という思い出を回答したら「道路で遊ぶというのは危険なので掲載できません」と、PTAの広報員会から書き直しを、指示されてしまった。
ちゃんと読めば何も危険なことはないはずだとは思ったが、おとなしく別の話を書いたが、それは、思い出せない。



-K.H-

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