江戸川教育文化センター

「教育」を中心に社会・政治・文化等の問題を研究実践するとともに、センター内外の人々と広く自由に交流するひろば

「キャリアパスポート」について考えてみた

2020-08-27 | 随想
先日、このブログに「キャリアパスポートは何のため」という文章が掲載された。

筆者は、「私が子どもだったら『キャリアパスポート』なんて絶対いやである。なんでこんなに管理されないといけないの?!と思う」と述べているが、全く同感である。

こんなバカバカしいことをいったいどこが始めたんだ?と思って調べてみた。
すると出処は、文科省。
去年の3月から「キャリア教育の一環」として事業が始まったらしい。

片方で「学校現場の働き方改革」と言っておきながら、またまた余計な仕事を学校に押し付けているわけだ。
文科省は「学校現場の働き方改革」には、まともに取り組む気持ちがないことがよくわかる。

文科省の姿勢は今更なので、ちょっと別の角度からこの問題を考えてみた。
それは、「子どもの成長」をどう考えるか?という視点である。

「キャリアパスポート」なるものを考えた御仁は「成長」とは、少しずつ進んだり大きくなったりと「緩慢」なイメージで捉えているとしか思えない。
しかし、学校現場で教員が出会う「子どもの成長」はもっとダイナミックなものだ。
そこには、もちろん停滞もあるが、逆に飛躍というのもあるわけだ。
言うなれは「脱皮」であろう。
「脱皮」してしまえば、脱ぎ捨てた皮など無用である。
さっさとオサラバ出来るからこそ、未来に向かって進めるのではないだろうか?

「キャリアパスポート」なるものは、まるでカタツムリやオムガイの殻のようではないか!
正しく「こんなものいらない!」と私も考えた。

ブログによれば、「キャリアパスポート」の研修には受講後レポート提出を求められるとのこと。
だったらこんなレポートを提出してみたいと思うのは私だけではあるまい。


-K.H-

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「キャリアパスポート」はいらない (今を生きる)
2020-09-03 21:33:36
教職員の管理も強化されているように感じます。

教員の研修履歴も近年は「マイキャリアノート」というもので、コンピューター上で一元管理されるようになっています。

他県では認められる民間教育団体の行う研修が承認研修として、東京都では認めらないというようなこともあります。

一定年数教員経験がある者は、主任試験を受けるように管理職から話をされています。東京都人事委員会が出している給料表をみると、職階により私たちの給料に大きな差があります。職階により大幅に給料に差があることには、不公平感を感じます。職場にもよるでしょうが、上の立場の人の方が仕事をたくさんしているというわけではありません。管理職がいつも早く帰っていて、教諭がいつも遅くまで残業しているという職場も存在します。仕事を断われない人や仕事ができると思われた人に仕事が偏ることもあります。同僚が研修に行くために補教を頑張っている人の存在が学校を支えているということもありますが、補教を頑張った人はあまり評価されません。みんな超過勤務前提の仕事を強いられ、毎日残業しています。

職階別の給料制度に疑問を感じる教職員も多いです。しかし、多くは主任試験を受けた方が給料が上がるから受ける選択をしています。そして、主任になったらなったで、若手教員へのOJTを強いられることになります。「主任だから」「主任なのに」と責任ある仕事を押し付けられたり、自分の能力以上の仕事をこなすことを求められることもあるでしょう。私たち教職員の関係にまで、教育委員会による管理が入り込んでいるのです。

私たちは、経験をして得るものも多いですが、経験だけに頼ることもできません。目の前の子どもを見て、その都度考えて行動しています。判断に迷うこともあれば、初めてのことでは、わからないことも出てきます。だから、同僚に教えを乞うこともあります。
若手教員がベテラン教員に学ぶことも多いでしょう。逆にベテランと言われる教員が若手教員から学ぶこともあルでしょう。教員にも色々な人がいるのですから、そんなことは当たり前のことです。助け合い、学び合える教師集団こそが、様々な家庭的背景をもち、様々な個性をもつ子どもたちには必要です。職階制度や自己申告制度、上から強制されるOJTは、同僚間の横の繋がりが大切だと思っている私たちにとっては、邪魔でしかありません。

私たちと子どもたちとの関係で、大切なのは今であり、過去ではありません。子どもが過去を細かく知るための資料を学校が握っていることは、危険なことです。偏見や差別に結びつく可能性もあります。

現在の日本社会は、個人の今ではなく、過去をも評価する社会であるが故に、希望の会社の面接を辞退せざるを得ない人もいます。差別を受ける人もいます。現場で働く私たちにとって、「キャリアパスポート」は必要ありません。私たちは、今の子どもたちとの関係を大切にしています。誤解を恐れずに言えば、子どもたちの過去を詳しく知る必要はありません。子どもたちが自分で書いた「目標」や「振り返り」は、担任が本人に返して終わりです。何年も保管して、引き継ぐ必要はありません。

学校で買ったキャリアパスポートを保管するファイルがあちこちに積んであります。どこに保管するのだろう・・・
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