10月に入院したときにそれまで自分からあまり言わなかったのだが、急に「2人で旅行に行きたいね。」と言い出したので
旅行会社にダイレクトメール送付依頼をして その後ずっと送られてくるパンフレット。
止めてしまうのも淋しいのでそのままにしてある。
早いもので今月の16日に百箇日を迎える。
これまで白っぽい花が多かった啓保のまわりだったが 春らしい、ひなまつりらしい花にしてみた。
仏壇もあれこれみたがいまいちピンとくるものがなく、まだ購入していない。
2人でよく行った信州安曇野の木工所がオーダーで造ってくれるようなのでそこにしようか、と考え中。
墓もいろいろ考えてまだそのまま。遺骨もしばらくそばに置いておきたい心境。
まだまだ涙がでちゃう。一日3回くらいかな?
バスに乗っていても、電車にのっていても 歩いていても、涙がこぼれちゃうから
坂本九の 「上を向いて歩こう!」をなぜか思い出して、そうかこんな時の歌だったのか、と改めて納得してみたり。
亡くなったそのことよりもこれまでの数々の思い出や言葉を思い出すと涙があふれてくる。
もうおしゃべりも口喧嘩もできなくなってしまったと思うと涙がでる。
11月の中旬ごろ、病室で啓保に 「どんな夫婦にもいつか別れがくる、そんなに悲しむな。」と言われたが悲しまないなんて無理だよ・・・。
「悲しいのは、涙がでるのは、自然なことだから いいんだよ、泣いて・・。」とまわりからも言われるが しかし辛いもんだ・・・・。
この文章を書きながらまたまた号泣。
家にいると泣いてばかりになってしまうので年明けから資格試験の受験講座に通っていて、少しは気が紛れているが・・
病気でもなんでも啓保が生きているということがどんなに私の心の支えになっていたのか、亡くなって解った。
病気の告知をうけてから啓保も私もたくさんのことに気づかされたと思う。
2人で病気に向き合って歩んだこの約一年は、振り返るととても幸せな時間だった。
この経験を仕事に活かせたら2人で以前よりもっといい仕事ができたかもしれないね。
意識があるうちにもっと ハグしてあげればよかった。
もっともっと寄り添って話をすればよかった・・・・・・。
もっともっと写真を撮っておけばよかった・・・・。
あの時 もっと違う言葉の返し方があったんじゃないか・・・・・・。
もっとつらい気持ちに寄り添ってあげればよかった・・・・・・。
食べられなくても お蕎麦を口元に運んでやればよかった・・・・・。
食べられなくてもおいしいお肉を焼いてやればよかった・・・・・・。
痛かった足や腰のマッサージをもっとしてやればよかった・・・・・。
あのとき 早く気付いてやればもう少し長く生きられたのではないか・・・?
もっと日頃から啓保の体を気遣ってやればよかった・・・・・。大失敗。
2人で抱き合って泣いた日もあったね。
トイレが間に合わなくて下着などを汚してしまって私が怒っちゃったこともあったね。本当にごめんね。
一生懸命してきたつもりだったけれど後悔ばっかり。何もできなくて本当にごめんね。
11月25日に病院を退院してからの記録もつけてあるが 読み返してもつらい内容で 公開するのも躊躇している。
コメントをくださった方のご家族にはまだ頑張っている方もいるし。
2月の中旬に 「がんで大切な人を失った方へ」 という公開市民講座が、
かかっていた病院で開かれる予定になっていたので 申込をしておいたが 大雪で中止になってしまった。残念。
話しを聞けば心が少し軽くなるかな?と思ったのだが・・・。また計画してほしい。
ここのところ、東北震災の特集をTVでよく流しているが 津波で流されてしまった人、そのご家族にくらべれば
一年も2人で過ごす時間ももてたし 幸せか・・・、とも思ったり・・。そうだよね。
●40年連れ添った奥様を小細胞肺癌で亡くされた国立がん研究センターの総長でいらした医師/垣添忠生さんのグリーフケアのお話し↓↓
癌を知り尽くした方でも悲しみは同じようである・・。亡くなってから3ケ月酒びたりだったらしい。私よりひどい・・。
https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cancernavi/report/201306/531004.html