25年連れ添ったパートナーの肺癌/進展型小細胞癌闘病看病日記(診断確定時病期T2b、N3、M1b)

2012年11月21日に夫/啓保が胸椎への骨転移を整形外科で発見され、翌10日より入院し抗がん剤治療スタートからの記録

2012年11月、病の告知から 2013年12月 在宅での看取りまで

2012年10月中旬、肩の痛みと腕のしびれを訴える。 近くの整形外科では五十肩くらいに思われたのか、レントゲンも撮ってもらえず、しばらくリハビリ通院。 11月中旬、腰のヘルニア、脊柱管狭窄症でかかっていた中堅病院にて頸椎ヘルニアかもという事でMRI検査。 11月21日、癌の骨転移と解る。 翌日内科にかかり直し、肺癌である事が判明。 2012年11月24日、大きな病院に転院。小細胞肺癌と解る。ステージ4。 11月末より骨転移部分放射線緩和治療開始、 2012年12月~2013年3月までシスプラチン+イリノテカン抗癌剤標準治療、 2013年4月予防的全脳照射、 2013年4月~9月、標準治療終了後の維持療法イリノテカン単剤投与(臨床試験)、 2013年10月初旬、胆管炎で入院、 2013年11月初旬、左首のリンパ節に癌が転移し、神経を巻き込まれ嚥下障害、誤嚥性肺炎になり入院。 2013年11月末自宅に帰る。 2013年12月7日、自宅にて永眠。脳転移はなし。

早いもので今日は百箇日

2014-03-16 21:24:09 | 夫が亡くなってからの日々
庭にフキノトウが出ていてもうだいぶ大きくなっていた。春を感じる。



今日は啓保の百箇日。春の陽気で気持ちよくうれしい。

啓保の姉と私の母がきてくれて3人で昼ごはんを頂いた。

私の母は啓保が逝ったその瞬間に一緒にいてくれたし、病院から帰って約2週間ばかり我が家に泊まって私をフォローしてくれた。

姉は私達が病院から家に帰った日も一緒に在宅医を迎えてくれて啓保のそばにいてくれた。

在宅療養2週間の間の後半には私も母も体がきつくなっていたので 夜中に啓保を診てくれた日もあった。

亡くなる当日は啓保が逝く30分くらい前まで我が家にいて啓保のまわりで3人でおしゃべりしていた。

最後の啓保と私の状況を一番理解してくれている2人なので、私も心が落ち着く。

2人がいてくれたので私も啓保を在宅で看取ることができた。


3人で夕方まで楽しくおしゃべり。啓保もきっと喜んでいるに違いない。

私も振り返って啓保の病気の話をしても、前ほど涙ぐまなくなった。

奈落の底から少しは這い上がってこれているのか?


去年の今頃は何をしていたかな?と、よく振り返ってみるが

昨年は3月20日ごろに桜がすでに咲いていて、2人で都電に乗って神田川/面影橋付近でお花見。楽しかったな・・・。

もう2人で桜も見れないのか、と思うとやっぱりさびしいね。涙・・・・。

●昨年の3月23日のブログ↓↓

http://blog.goo.ne.jp/20121121kokuti/e/0fbbbf9f76baa24148102169134ddb0e



庭の白つばきも咲き出した。二枝ほど切って啓保の両脇の花瓶に挿した。


今日はひなまつり

2014-03-03 10:07:01 | 夫が亡くなってからの日々
10月に入院したときにそれまで自分からあまり言わなかったのだが、急に「2人で旅行に行きたいね。」と言い出したので 

旅行会社にダイレクトメール送付依頼をして その後ずっと送られてくるパンフレット。

止めてしまうのも淋しいのでそのままにしてある。




早いもので今月の16日に百箇日を迎える。

これまで白っぽい花が多かった啓保のまわりだったが 春らしい、ひなまつりらしい花にしてみた。

仏壇もあれこれみたがいまいちピンとくるものがなく、まだ購入していない。

2人でよく行った信州安曇野の木工所がオーダーで造ってくれるようなのでそこにしようか、と考え中。

墓もいろいろ考えてまだそのまま。遺骨もしばらくそばに置いておきたい心境。



まだまだ涙がでちゃう。一日3回くらいかな?

バスに乗っていても、電車にのっていても 歩いていても、涙がこぼれちゃうから 

坂本九の 「上を向いて歩こう!」をなぜか思い出して、そうかこんな時の歌だったのか、と改めて納得してみたり。

亡くなったそのことよりもこれまでの数々の思い出や言葉を思い出すと涙があふれてくる。

もうおしゃべりも口喧嘩もできなくなってしまったと思うと涙がでる。

11月の中旬ごろ、病室で啓保に 「どんな夫婦にもいつか別れがくる、そんなに悲しむな。」と言われたが悲しまないなんて無理だよ・・・。

「悲しいのは、涙がでるのは、自然なことだから いいんだよ、泣いて・・。」とまわりからも言われるが しかし辛いもんだ・・・・。

この文章を書きながらまたまた号泣。

家にいると泣いてばかりになってしまうので年明けから資格試験の受験講座に通っていて、少しは気が紛れているが・・

病気でもなんでも啓保が生きているということがどんなに私の心の支えになっていたのか、亡くなって解った。





病気の告知をうけてから啓保も私もたくさんのことに気づかされたと思う。

2人で病気に向き合って歩んだこの約一年は、振り返るととても幸せな時間だった。

この経験を仕事に活かせたら2人で以前よりもっといい仕事ができたかもしれないね。




意識があるうちにもっと ハグしてあげればよかった。

もっともっと寄り添って話をすればよかった・・・・・・。

もっともっと写真を撮っておけばよかった・・・・。

あの時 もっと違う言葉の返し方があったんじゃないか・・・・・・。

もっとつらい気持ちに寄り添ってあげればよかった・・・・・・。

食べられなくても お蕎麦を口元に運んでやればよかった・・・・・。

食べられなくてもおいしいお肉を焼いてやればよかった・・・・・・。

痛かった足や腰のマッサージをもっとしてやればよかった・・・・・。

あのとき 早く気付いてやればもう少し長く生きられたのではないか・・・?

もっと日頃から啓保の体を気遣ってやればよかった・・・・・。大失敗。



2人で抱き合って泣いた日もあったね。

トイレが間に合わなくて下着などを汚してしまって私が怒っちゃったこともあったね。本当にごめんね。

一生懸命してきたつもりだったけれど後悔ばっかり。何もできなくて本当にごめんね。




11月25日に病院を退院してからの記録もつけてあるが 読み返してもつらい内容で 公開するのも躊躇している。

コメントをくださった方のご家族にはまだ頑張っている方もいるし。



2月の中旬に 「がんで大切な人を失った方へ」 という公開市民講座が、

かかっていた病院で開かれる予定になっていたので 申込をしておいたが 大雪で中止になってしまった。残念。

話しを聞けば心が少し軽くなるかな?と思ったのだが・・・。また計画してほしい。



ここのところ、東北震災の特集をTVでよく流しているが 津波で流されてしまった人、そのご家族にくらべれば

一年も2人で過ごす時間ももてたし 幸せか・・・、とも思ったり・・。そうだよね。




●40年連れ添った奥様を小細胞肺癌で亡くされた国立がん研究センターの総長でいらした医師/垣添忠生さんのグリーフケアのお話し↓↓

癌を知り尽くした方でも悲しみは同じようである・・。亡くなってから3ケ月酒びたりだったらしい。私よりひどい・・。

https://medical.nikkeibp.co.jp/leaf/all/cancernavi/report/201306/531004.html