goo blog サービス終了のお知らせ 

雑記帳

豊田市在住 あきたんの日記風ブログ 様々なジャンルのブログです。

真宗大谷派 38 現如

2014-01-07 14:57:34 | 日記
真宗大谷派
【歴代】
*大谷派における歴代の正式呼称に関する注意
歴代の留守職・法主・門主を「歴代門首」と呼称し、「大谷派御歴代」と総称するのが正式である。
 親鸞のみ「宗祖」と呼称、「聖人」と敬称する。
 宗祖親鸞以降の歴代は、「第○○代」と漢数字を用いて「代」で呼称し、「第○○世」と呼称しない。敬称は、「上人」を用いる。なお在職中は、「上人」の敬称を付さない。
 例…「第八代 蓮如上人」・「第二十五代 大谷暢顯」
 「※」は、大谷廟堂留守職・本願寺留守職のうち歴代に数えない者と、真宗大谷派門首代行である。
------------------------------------------------------------------------------------------------
【現如】大谷 光瑩(おおたに こうえい)は、明治から大正時代にかけての浄土真宗の僧。法名は「現如」(げんにょ)。東本願寺第二十二代法主。真宗大谷派管長。伯爵。
=生涯=
・嘉永5年(1852年)7月27日、東本願寺第二十一代 嚴如(大谷光勝)の第五子(四男)として誕生。
・明治3年(1870年)2月10日、東本願寺が明治新政府から請け負った北海道開拓事業の責任者として、百数十名の随員を従えて北海道へ渡る。その道中は、教化をしながら工事費などの寄付を募り、また北海道への移民勧誘をおこなう。
・同年7月7日、函館に到着する。本願寺道路の建設など開拓を指示し、札幌へ向かい朝廷より下賜された土地を視察する。
・明治4年(1871年)9月、その地に布教の拠点として、その地に東本願寺管刹(寺)を建設する。 明治9年(1876年)、その官刹を東本願寺札幌別院と改称する。
・明治5年(1872年)9月から翌年7月にかけて、ヨーロッパ各国を歴訪し宗教事情を視察、教団の近代化に寄与した。
・明治22年(1889年)10月7日、父・嚴如(ごんにょ)の隠退により、第二十二代法主に就任。 明治28年(1895年)4月、東本願寺両堂竣工。
・明治29年(1896年)6月、北海道開拓事業の功績を受け、伯爵号を授かる。
・明治34年(1901年)5月、宮武外骨の「滑稽新聞」上で風刺の対象となる。
・明治41年(1908年)11月、第2子・彰如(大谷光演)に法主を委譲し、退隠する。院号を「荘厳光院」とする。
・大正12年(1923年)2月8日、東京霞が関の別邸にて示寂。享年72(満70歳没)。
・昭和9年(1934年)札幌市の北海御廟に分骨される。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 詩;『ちょいと、振り返る』 | トップ | 愛知県宅建協会豊田支部 新年会 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。

日記」カテゴリの最新記事