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日常のあれやこれや

日記ブログでございます。内容は多岐にわたります。

新平家 心にきた💓 最終回

2024-01-22 05:48:00 | 読書

吉川英治さんの新・平家物語2周目、七ヶ月ほど前から眠る前にチマチマ読み進めて、やっと終わりました。

私の印象に残ったシーン
最終回です。

平家が滅び、安徳帝の御母君、建礼門院は海に飛び込んだけれども源氏の兵にひきあげられ、助けられました。
子である安徳帝がいないのに生き延びてしまい、自分も後を追いたかった建礼門院の辛さはいかばかりか。

建礼門院の夫君、高倉天皇は早くに亡くなってしまいました。
高倉天皇のお父様、後白河法皇は建礼門院の舅君にあたります。

建礼門院は出家して、大原の寂光院で勤行三昧の日々を過ごしています。
後白河法皇はそんな建礼門院に会いに寂光院を訪れます。

女院(建礼門院)はお留守でした。
法皇様は庵室にあがりお待ちになります。


(人形スペクタクル 平家物語より)

内裏で煌びやかにときめいていらした女院には、あまりに寂しく粗末な生活よと、哀れに思いながら眺めていますと、誰かがじっと見つめている気がされました。
気がつくと、童子の絵がかけられていたのです。
これこそ、源平合戦で海の藻屑と消えられた安徳天皇、ご自分の孫なのです。

法皇様は、平家を倒すように言ったのはご自分である後ろめたさから、孫に対する愛や憐憫の情は湧いてこず、逆に何か背筋へ寒さをお覚えになったらしく、目をそらしてしまいます。

そのうちに女院はお戻りになりました。
女院はびっくりされて、外でへたりこんでしまいますが、法皇の随身に助けられて庵室にあがります。


(人形スペクタクル 平家物語より)

最初はお互い言葉もありませんでしたが、
法皇は近況などを問いかけますと、そのうち女院も少し微笑んでお答えします。

こちらへ来た当座は心細さ、いいようもありませんでしたが、生活するにはいく人かの助けもあり、物欠く事もございません。
今は逆にこの生活が有難いのだとお答えします。

ただ、いつまでも忘れえないのは先帝(安徳)のおいたわしさや、面影ではございますが…

法皇は安徳の話しになると何もおっしゃれなくなります。

法皇は女院に小箱の香木「無憂華」をお渡しになります。
「無憂華」は女院の父、平清盛が愛した香なのです。
女院はその薫を抱きしめると、白いおん頸をふるわせた。そしてついには、耐え難くなられたか、がばと、泣き伏してしまわれた。父の面影の香が、とつぜん、女院を幼な子に引き戻していたのである。


(無憂華をきく二人
   人形スペクタクル 平家物語より)


このシーンが私の琴線にふれまして、ご紹介しました。
無憂華のくだりは吉川英治さんの創作です。

この後女院は亡くなり、古典の平家物語は終わりです。

新・平家物語では源義経のその後や、源頼朝の死を書き上げ、架空の人物である医師の麻鳥一家の大団円で終わります。

ふぅ〜😮‍💨
終わっちゃってなんか淋しい〜😢

何年かしたらまた読み直したい、平安時代末期から鎌倉時代前期の物語でした。

吉川英治さんの、
私本太平記も一度読みました。
これは鎌倉幕府の滅亡から南北朝時代を書いています。
こちらは私には平家物語ほどの楽しさは感じられなかったけど、また二回目を読んだら理解が深まりますので、そのうち読んでみようと思います。














光る君へ 紫式部 楽しみ😄

2024-01-06 05:41:00 | 読書

5日朝、NHKのニュースで大河ドラマ出演者の
柄本佑さんへのインタビューがありました。
「光る君へ」

藤原道長と紫式部が幼なじみの設定かな?
新しい解釈の台本で楽しみ😊

私が源氏物語を初めて読んだのは高校生の時。

母が持っていた、与謝野晶子さんが訳した本です。
おそろしく汚れた古い本。
なかなかの厚さがある本ですが、
定価750円ですって。安!


与謝野晶子さんが昔の方だからか、少しわかりにくい訳。

その後、円地文子さんの訳で読んだり、田辺聖子さんの新源氏物語を読んだり。
円地文子さんのはわかりやすかった。
田辺聖子さんはとてもわかりやすいように
創作を入れつつ小説に仕立てていて、
これも良かったです。

マンガの「あさきゆめみし」も読みましたし、藤原道長の小説で永井路子さんの「この世をば」を読んだり。


変わったところでは
外国の方が書いた「紫式部物語」の日本語訳も読みました。


私、本読んでるよーと自慢しているわけでは無いの。

今はさっぱりだけど、
昔は源氏物語にハマっていた時期がありましたので、日曜日から始まる大河ドラマが楽しみなのです〜🎶

私が好きな章
「若紫」の挿絵














百年も 歩ける膝を ゲットだぜ🦵

2023-12-09 04:05:00 | 読書

↑12月1日と5日にアップしていた
情熱の赤い薔薇がついに開き切った。
長く楽しませてもらいました🌹

朝の神社から月が見えた


その神社の前にベンチが置いてあって、
なにやら文が書いてある。

寝たきりになったら……
嫌じゃ!
歩かなきゃ。

ところで、
ニ年前にお正月にお風呂に入ったあと
お風呂を掃除していたら、急に右膝を壊したみたいで痛くなっちゃった💦
一カ月くらい整骨院に通ってだいぶ良くなったんだけど、
それから右膝がおかしい。
ラジオ体操でジャンプしたら痛くなったり
スロージョギングしても痛くなる。

YouTubeで膝を治す運動とか見ていたら、
巽一郎さんの脚をブラブラさせる膝の治し方がありました。

そしてつい最近、この方の著書
「100年ひざ」
が新聞の広告に載っていた。
読んでみたいなと思ったけど、それ以降忘れていた。

でも、たまたま寄った本屋さんで目に入って、買ってみました。


この方2020年まで
湘南鎌倉総合病院にいらしたって。
鎌倉と繋がっているな〜♪


・足放り体操で軟骨を増やす。
・正しい歩き方で増えた軟骨がへらないようにする
・内転筋を鍛える
・体重を減らす
等々。
YouTubeでは出てこなかった巽先生の日常なども書いてあります。

やっぱり本はいい。
もう一度知りたいと思った事が手軽にさっと調べられます。
私はYouTubeだと、つい他の楽しいチャンネルを見てしまうから本の方が真剣にむかいやすいんですよ。

息子は本もネットで読むと言っていました。
私は、寝る直前にベッドで読書をします。
眠る前に携帯を見ると、ブルーライトの影響で眠れなくなりますし、他のコンテンツが気になって読書が疎かになりそうなので、
やはり紙の本は私の必需品なのです。


ではまた明日〜バイバイ👋

















敦盛を 心ならずも 討ちにけり 直実悔ゆる  息子想いて😭

2023-10-28 05:28:00 | 読書


吉川英治さんの新・平家物語
敦盛
の続きです。

源平合戦、一ノ谷の戦いが始まります。
有名な鵯越の坂落としの場面ですね。

後白河法皇は、
源氏と和議せよ。
二月八日までは源氏に攻撃するなと
伝えてある。
八日に和議の院宣を出す
と平家に嘘を言ってきます。

平家は、八日までは戦は無し
と油断していますが、
後白河院は、
七日の朝に総攻撃をかけよ
と源氏に言ってあるのです。
ひどいわ〜
日の本一の大天狗!

はたして、源氏の攻撃に
慌ててたじたじになってしまった平家。
次々と平家の公達は討たれてしまいます。
敦盛を温かく迎えてくれた
兄の経正も、敵に囲まれて
自害してしまいました。

安徳天皇を乗せた御座船は
屋島へと退却していきます。
敦盛は、叔父の忠度に
御座船を追って船に乗り、
安徳帝をお守りしなさい
と言われて、海岸へ出ました。

味方の船がもう出発していますが、
馬に乗り泳げば間に合いそうに思って
海原を泳ぎ始めます。
でも、近くに見える船にぜんぜん追いつけません。
そうしている間に
源氏側の武将、熊谷直実に見つかります。
直実に
おーい!返せ 返させ給え
と呼ばれ、
敦盛は諦め陸に上がってきます。
熊谷直実は木曾義仲退治からこちら
武勲を挙げていない事に焦っており、
これは良い敵とばかりに
名のりをあげます。
そして敦盛に名のれとせまりますが、
敦盛は名のりを返しません。

そして一騎打ちが始まりますが、
直実に勝てず、
敦盛は首を掻き切られそうになります。
でも、敦盛の顔を見たとたん、
直実は切る事ができなくなりました。
敦盛の余りな可憐さ、美しさ。
「あわれ、まだうら若さよ」
と、同じ年ごろのわが子を
思い出してしまったのです。

直実は
助けて参らせよう。おん名を名のらせい。
と、敦盛に言うが、
敦盛は
「あなたは源九郎義経殿の家来か?」
と聞きます。
そうだと答えると、
敦盛は
「ならば、我が名はお主の九郎殿に問い給え」
と。
「えっ、九郎殿と、お知り合いか」
「いや、知らぬ、敵の大将、親しいはずはない。けれど、義経どのの侍に討たるるは、いささか本望。なんじにとっても、このわれは、よい敵ぞや、首を取って、義経どのの前に供えよ」

そうこうしている間に
源氏の味方がやってきてしまい、
直実は敦盛を斬らざるを得ず
敦盛の首級をあげました。

熊谷直実は敦盛の着ていたひたたれの袖と
大事そうに持っていた一管の笛も取って、
武勲をあげたにもかかわらず
全く闘い疲れた容子で
得意な風などどこにもなく
引き上げました。

九郎義経は、
この首は敦盛殿であろうと思ったが、
捕虜になっている
敦盛のいとこ、平重衡に確認しました。
やはり敦盛でありました。

後に熊谷直実は義経に願い出て、敦盛の袖と笛を請い受けました。
そして、敦盛の父の経盛に
手紙と共に送りました。

「私も人の子の親であるのに、
親ある人の子を討ってしまった。
敵とは言え、あなたも子をなくして辛いでしょう。
息子殿の形見を受け取ってほしい。
そしてあなたの手でお弔いをしてもらえれば乙子の君も喜びましょう。
南無阿弥陀」

敦盛の父、経盛は
「ありがたい情けだ。
そのような侍に討たれたなら
せめて我が家の乙子が倖せと申すもの」
と涙ながら経盛も、
直実の好意を心から喜んだといいます。

熊谷直実は
ほとほと武門に嫌気がさして、
出家したのでした。


平家の若き美しき公達が
戦場に散るだけでも悲しいのに、
そこに父子の情愛を投影したこの場面、
能や浄瑠璃、歌舞伎で
この『敦盛』が続々と作られました。

なんとも切ない情景に胸をかきむしられた
新・平家物語の一場面でした。

まだまだ新・平家物語は続きます。
また私の心に刺さる場面が出てきたら、
みなさんにご紹介しようと思います。


また明日〜バイバイ👋





嗚呼哀し 敦盛の君 新・平家🥺

2023-10-27 07:00:00 | 読書

吉川英治さんの新・平家物語
心に刺さったシーン
第二弾です。

平家の公達
平敦盛は
平清盛の弟、経盛の乙子(末っ子)
です。
兄に経正と経俊がいます。

敦盛は四国の屋島でとどまっいる平家の陣を抜け出して
もうこれが最後の逢瀬になるだろうと、
無理をして都にいる恋人の元を訪れます。

人に見つからないよう、
女物の被をかぶって姫の屋敷を出たところで、源義経に見つかってしまいました。
敦盛はまだ十六、七の美少年。
平家の人間だとは知れましたが、
名前を名乗りません。
恋人に会いに来たと正直に答えるこの少年を哀れと思い、
九郎義経は逃してあげます。 
敦盛は恋人の手紙と女物の衣を置いていってしまい、
九郎は
平家の敦盛殿と知ります。

弁慶たちに船着場まで送られながら、
敦盛は
あの方はどなた?
と聞くと
かの殿こそ、鎌倉殿のおん弟九郎の君ぞ
との答え。

屋島では敦盛がいないと大騒ぎになっています。
父の経盛は優しい人。
他の平家一門の手前、
苦渋の選択でしたが
陣抜けした敦盛は勘当。
家に入れるなといい残し、
摂津に向けて出発してしまいます。
次男の経俊は
根っからの武将魂を持った人。
「乙子、乙子と甘やかすからこんな事になる」
と、にべもありません。

平家が屋島を出て、淡路はるかな戦陣に向かってしまったとは知らない敦盛。
帰宅したら家来どもが家に入らせません。

長男の経正は父に後陣に加えてほしいと頼み込んで、
残って敦盛の帰りを待っていました。
今なら二位ノ尼君のお船を守護していく
後陣に間に合います。
敦盛は兄に死んでお詫びを
と言いますが、
兄はそれを許さず連れていきます。
その時に詠んだ歌

ひとはみな、いくさにいでし、仮の屋に、
 梅ばかりこそ

ここまで兄の経正が詠み、
敦盛に続けさせます。

「春を知るかな」

梅ばかりこそ、春を知るかな

哀しい響きです。


二月四日は平清盛の命日。
平家一門が輪田ノ岬(今の神戸市兵庫区)
みな集まり、
法要をとり行いました。

清盛は管弦が好きだったので、
二位ノ尼(清盛の正妻)の主導で
管弦を催す事になりました。

一門の各楽器の名手が選ばれます。
建礼門院(清盛の娘で安徳帝の御母君)
お琴を
経正の君(敦盛の兄)には
琵琶を
薩摩守忠度(清盛の一番下の弟)
笙を
門脇中納言教盛(清盛の2番目の弟)
ひちりきを
三位中将重衡(清盛の五男)
鼓を

そして笛は清盛のすぐ下の弟で
経正や敦盛の父
修理大夫参議経盛殿は笛の家とも言わるる
お家柄なれば
と人々にいいはやされたが、
経盛は
私はもう年老いて息も続かぬ。
末子の敦盛の方が笛はよくいたしまする。
敦盛にお命じください
と言います。
敦盛は、はっとした容子であった。
父のことば、また人々もすすめるまま、
鎧下から一管の笛を取り出して管弦の座に連なった。

これをもって敦盛は
一門と父から許された形になりました。
あー良かった🥹

続きはまた明日にします。


娘が私の誕生日の日に
LINEギフトを頼んでくれていたものが
届きました〜🎶


よなよなの里
エールビール醸造所の
ビール詰め合わせです。
これは嬉しい😊

一本一本大事にいただきましょう♪


また明日〜バイバイ👋