One day One smile

“笑う門には福来たる”
1日1回 笑ってそして美味しい物を食べてが
モットーのカウンセラーのHappyブログです。

自分の決めた事を守った…アメリカ本土を爆撃した唯一の日本人の勇敢さ‼️

2018-08-16 23:15:12 | 日記

こんばんは
今日も1日ご苦労様でした

昨日、8月15日
73回目の終戦記念日…
第二次世界大戦の終結の日…


1942年、第二次世界大戦のさなか…
日本はアメリカと激しい攻防を繰り広げていました。

藤田信雄さん

藤田信雄さんは潜水艦に搭載された偵察機の飛行長
として従軍。 敵を何機も撃墜し、
飛行時間6000時間を誇る
腕利きのパイロットでした。



4月18日、アメリカ軍爆撃機隊の
指揮官・ジミー・ドーリットルが日本本土に対して、
初めての空襲を行った。
東京や名古屋などを次々に爆撃。
日本はこれを国際法上禁じられている
民間人への攻撃とみなし…
国民の怒りは沸騰していた。
そこで、軍令部は報復としてアメリカ本土への爆撃を
考えていました。そこで、藤田さんに白羽の矢が
立ったのだ。 さらに…その任務は、藤田さんが
操縦する一機のみで行う…
そして9月9日、藤田さんは日本刀を持って
機体に乗り込み、目的地に向け出撃。
藤田さんは作戦通り、森林への爆撃に成功します。
 さらに、運良く敵機に発見されることもなく、
無事、帰還することができました。
すぐさま帰還したため、実際に山火事が起きたか
どうか、確認をする余裕はなかったが…
軍令部からの電報で、数人の死傷者と相当の被害が
出たとの知らせがありました。
 作戦は成功。 さらに不可能と思われた生還まで
果たした藤田さんだったが、命令とはいえ、
民間人を殺傷したという事実から手放しで
喜ぶ気持ちにはとてもなれず…
その後も複雑な思いを抱き続けます。

そして、終戦後、藤田さんは工場に勤めます。
しかし、1962年(昭和37年)5月20日、
政府首脳より都内の料亭に呼び出されて…
池田勇人首相と大平正芳内閣官房長官に面会し、
その場でアメリカ政府が藤田さんを
探していることを告げます。
行くかどうかは、藤田さんの判断に任せる
といわれます。しかし、藤田さんが渡米しても
日本政府は一切関与しないといわれます。
日本政府は藤田さんの身を守ることが
出来ないという事でした。
しかし、藤田さんは藤田さんを1人では行かせない
と決めた家族と共に…
1962年5月23日、オレゴン州ブルッキングス市に
日本政府から特別な許可を得た…
あの特攻の時の日本刀を携えて…
覚悟の上で藤田さんは爆撃した土地へ
20年ぶりに降り立ちました。

そこに待ち受けていたのは…
ブルッキングス市民の大歓迎でした。
実は…ブルッキングスでは、
毎年恒例の『アゼリア祭り』というイベントに、
毎回 特別ゲストを招いていました。
この年、開催者の中にアメリカ本土爆撃を
覚えていた人物がいて、たった一機で実行した
日本人の勇気を称えて藤田さんに決まりました。
もちろん、反対者もいましたが…
フィリピンで日本軍の捕虜となり、
終戦まで北九州で強制労働を強いられていた
ローガン・ケイ元陸軍少佐が、反対者達を説得して、
「憎むべきは藤田ではなく、
戦争そのものだ」

と言いました。

アメリカで大歓迎を受けた藤田さんは持っていた刀を
友情の印としてブルッキングズ市に贈りました。

でも、その時に…
藤田さんが恥じていた爆撃の本当の被害の状態が‼️
なんと、被害は木、一本だけだったのです。
実は藤田さんが爆撃を行った日の前日。
ブルッキング市には雨が降っており、
森林はまだ湿った状態でした。そのため、
火が燃え広がる事はなく、木が一本燃えたに
とどまっていました。
死傷者と相当の被害が出たという情報は
士気をあげるため日本軍令部が創作したものでした。

アメリカでの歓迎ぶりに感銘を受け、
藤田さんはブルッキングス市民の前で話しました。
「もし、私たちが互いをよく知る友達であれば、
そもそも戦争は起こらなかったのではないか?
そう思うのです。そこで…私は約束します。
日本のことをあなた方に知ってもらう為に…
いつの日か、必ずブルッキングス市のこどもや
学生たちを私の手で日本に招待したいと思います!」
それから藤田さんは約束を果たす為に…
ただ、その一心でお金を貯めます。
「アメリカ招待のお返しがしたい。ブルッキングスの
学生たちを未来の科学博に招待したい。」
1985年7月8日…遂につくば万博の開催に合わせ、
ブルッキングス市の高校生3名が来日しました。
決死の空爆を行ってから43年目でした。
ついに、藤田さんは生涯をかけた約束を果たした。

ブルッキングズ・ハーバー高校の生徒が日本に
滞在している際、藤田さんは
ロナルド・レーガン大統領の補佐官より
「貴公の親切と寛大さの賛美を」
との献辞を受け取りました。


藤田さんは1997年(平成9年)9月30日に
85歳で死去した。死去の数日前に
ブルッキングズ市の名誉市民となっており、
市長が死去の当日に来日して本人へ
渡すつもりでしたが、死去により
遺族へ授与されました。


戦争中に自らが爆撃した地…
戦後、その地から招待されたことにより、
日米友好のために力を尽くした藤田信雄さん。
彼は、今もこの場所から、
平和な世界の実現を願っているに違いありません。
私も戦争によって、母は父を亡くしました。
私も祖父に会えなかった…
同じような方は沢山いるかと思います。
戦争は捨てます。
平和は沢山もらいます。
頂いた命を大事に…
そして、自分の決めた事は守る‼️
私もそうしたいです‼️



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