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梅崎春生『狂い凧』を読んで

2022-05-14 00:00:49 | 読んだ本
         梅崎春生『狂い凧』          松山愼介
 梅崎春生の父は陸軍士官学校出の歩兵少佐で、昭和十三年に脳溢血により五十八歳で死亡している。長男の光生は陸軍中尉としてフィリピンへ行き、ルソン島で捕虜となり、昭和二十一年帰国した。三男の忠生は中国で戦死(後、睡眠薬自殺と判明)、春生(次男)は昭和十七年、召集を受けるが気管支カタルを肺疾患と誤診され即日帰郷、十九年、再度召集され佐世保海兵団に入隊、暗号特技兵となる。弟(四男)の栄幸は高専にいっていた。春生は内田百閒に傾倒していた。春生は敗戦の日から十日ほどで帰郷、母の前で正座し、両手をつき、「戦争に負けて、申し訳ありません」と頭を下げた。
『狂い凧』は次男・栄介が語る、双子の弟・城介の物語である。栄介と春生、白介と忠生が対応している。『狂い凧』では、長男・竜介は赤化して捕まり、監獄で肺病を悪化させて死んだことになっている。
 城介の死は、城介の戦友・加納から聞いた話という体裁をとっている。城介は昭和十七年八月十七日に病死している。中田という部隊長から「内地帰還を旬日に控えて、矢木城介は急に病死した。我々も残念に思うし、肉親の方々には気の毒に思う」という手紙が来たのだった。また、終戦から五年ほどしてから、戦友・加納からハガキが来た。返事を出すと、蒙古地区の厚和(綏遠)という所で写した〈故陸軍衛生曹長矢木城介之墓〉という木の墓標の写真と、睡眠薬による自殺という文面の手紙が送られて来た。曹長は召集兵がなれる最高の地位・下士官である。
 矢木栄介は大学の講師だが、夫人は美容院を経営しているので生活には余裕がある。栄介はある日、バスの階段からズリ落ちて腰を痛めて伏せっている。見舞いに「私」が行くと、栄介は今、自分は動けないから加納を探して欲しいと頼まれる。新聞社へ行って、尋ね人欄に掲載してもらいたいという、勤めている大学の関係で栄介の名前は出したくないので「私」の名前で出して欲しいということだった。
 加納は養子になっていて姓がかわっていたが、三カ月後に返事がきた。加納は釣船の船宿を経営していて、客が置いていった古新聞で、偶然、尋ね人欄を見たということだった。
 加納によると、城介は中国奥地の乾燥した気候のため喘息の発作をおこすようになり、それを抑えるためにパビナールを射ち、中毒になったとのことであった。パビナールやモルヒネは麻薬の一種でケシから作られる。日本軍が満州で組織的に、大杉栄虐殺に関与した甘粕らによって組織的に栽培されていたことは周知の事実である。城介の自殺はベロナールという睡眠薬によるものだった。この自殺の原因はよくわからない。戦争という状況下では何が起こっても不思議はないが。
 終戦時に日本陸軍は中国大陸に百五十万人の兵隊がいたという、確か犠牲者も五十万人くらい出しているはずである。更に内地には総動員すれば百万人くらいの兵力があったのではないか。そうだとすれば、陸軍の一部が鈴木貫太郎による、昭和天皇の「聖断」という形でポツダム宣言を受諾したことに対して、畑中少佐らが玉音盤の奪取によるクーデターを策略しても不思議はない。
黒木和雄の映画『美しい夏キリシマ』で、宮崎にアメリカ軍の上陸に備えて兵を訓練しているシーンがあった。日本軍は宮崎又は、房総に十月頃、アメリカ軍の上陸作戦があると考えていた。
 鹿児島県の知覧は陸軍の特攻隊が出撃した基地であるが、海軍は鹿屋に基地があった。そこからも海軍の特攻機が出撃したようである。大岡昇平と同じ年生まれの私の父は、幸い海軍に召集され鹿屋基地にいた。普通、召集は陸軍になるらしいが、梅崎春生も陸軍が肺疾患と誤診され召集解除となった後、海軍に暗号手として召集されている。私の父も、もし陸軍に召集されていたら南方送りとなり、私が生まれていたか微妙である。
                             2022年4月9日

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