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木山捷平『白兎、他9編』を読んで

2023-02-24 19:15:13 | 読んだ本
木山捷平『白兎、他9編』         松山愼介
 戦争が日本の敗北によって終わったとき、蔣介石は以徳報怨(いとくほうえん)「徳を以って恨みに報いよ」という有名な演説を行う。この演説が浸透したためか、大陸にいた日本人の軍民二百五十万人は一年数カ月で日本に帰国することができた。「敵は日本軍閥であり日本人民を敵とはしない」という趣旨のもので、蒋介石の人徳が称賛されることになった。
 これにより、堀田善衞や武田泰淳も曲がりなりにも上海で生き延びることができた。しかし、よく考えれば、この演説も戦後の国内での混乱を防ぐためとか、中国での国民党の支持を得るための戦術だった可能性もある。
 一方で満洲では、ソ連が侵攻してきたため大混乱となった。五十数万人がシベリアに抑留されたことは周知の事実である。軍関係者は、敗戦の情報をいち早くつかんで、家族を日本へ脱出させている。このなかで、木川は白酒(高粱酒)を売って生き延びる。ソ連兵による日本人狩りがあるので、ナー公という女の子を連れて外出する。前に読んだ『長春五馬路』では、敗戦後の生活の悲惨さや、帰国の困難さが克明に書かれていたが、『白兎』はそれほど強調されていない。
 満洲というと、農民の開拓団がすぐ思い浮かぶが、これは現地農民の農地を日本軍の威光で取り上げて入植したものであった。そのため、敗戦の事実が伝わると、日本人の入植村は現地農民の攻撃を受けている。満洲へは、軍人、農民だけではなく、木山捷平のように、満洲農地開発公社の役人になったり、満鉄、満映その他、いろんな商売で一旗揚げようという魂胆を持った人々も、渡満したと思われる。ちょとした知り会いの、親戚か父親が飛行士になりたくて軍に入ったのだが、日本は制空権がなく訓練できないので、満洲に渡ったという。まだ十代後半だったらしい。数カ月の満洲生活に過ぎなかったがシベリアに抑留され苦労したという。
 NHKのドキュメンタリーで、開拓村を現地農民の襲撃から守ってもらうために、ソ連兵に村の女性の身体を差し出したという話があった。この小説では三階がにわか女郎屋になったという話が書かれているが悲劇のようには書かれていない。
 今から考えれば、どうかんがえても満洲だけならまだしも、日本が中国大陸全体を支配しようとするのは無理だということは、まじめに考えればわかる話だ。軍の統帥権の独立を盾にして軍部が独走し中国へ侵攻する。ハル・ノートで中国からの全面撤退を突きつけられて、日本はアメリカとの全面戦争に突入する。時の勢いというのは恐ろしい。この時、アメリカは中国の範囲に満洲を含めていなかったという話もある。
 このような満洲体験に比べて、後の諸編でえがかれる日本での生活は何かのんびりしている。痩せこけけ還ってきて、胃腸が食べ物を受け付けなくても、食べ続け、十六日目に下痢が止まるというのはユーモラスでさえある。ヨーロッパ戦線で、米ソがユダヤ人収容所を解放するのだが、アメリカ軍の方は、好きなだけ食料を与えたので、多くのユダヤ人がなくなり、ソ連軍の方は、少ししか食料を与えられなかったので、ユダヤ人が救われたという話もある。
 この作品集は、満洲体験から戦後の、昭和の生活事情がわかるようにうまく構成されている。子供の頃、我が家にもクズ屋さんが来たが、あれで商売は成り立ったのだろうか。鍋の穴を塞ぐという商売もあった。『雨』に銭湯の話がある。私も学生時代銭湯に行ったが、夜の十時頃になると、お湯の表面は垢で汚れてしまう。私は垢を手で除けて浴槽に入ったものだった。大工さんの話とか、よく分かる話が出てきていた。
 なお、木山捷平は一貫して日本が名付けた新京を使わずに、もとの中国の地名、長春を使っている。これには木山の思いが込められているのだろうか。
                              2022年12月11日

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