先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
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未曾有の海上争議。郵船の貨物船・客船の料理人など1,600人一斉下船、48日間のストライキ 1927年の労働争議(読書メモ)

2023年06月28日 07時00分00秒 | 1927年の労働運動


写真上・郵船海上ストライキ天洋丸(1927年)
写真下・「日本海員組合の罷業妨害に対する抗議」決議日本労働組合同盟第一回全国大会

未曾有の海上争議。郵船の貨物船・客船の料理人など1,600人一斉下船、48日間のストライキ 1927年の労働争議(読書メモ)
参照 「日本労働年鑑第9集/1928年版」大原社研編
   「社会・労働運動大年表Ⅰ」大原社研編

日本郵船株式会社司厨部下船ストライキ
 1927年3月3日、日本郵船株式会社の客船や貨物船の司厨部員3,200人(料理人、ベーカー、給仕、洗濯人、司厨見習い)で組織された郵司同友会は、神戸海岸通り郵司同友会本部で幹部会を開き、以下の嘆願書を会社に提出した。
嘆願書
一、退職手当の増額
二、年度手当の増額(半年毎に月俸の一ヵ月分支給)
三、雇入期間中の病気下船者に対しては、本人の入院中および治療後内地帰着日までの給料の支給。以上房員全般に適用のこと
四、司厨見習いの最低給料を70円とすることと給仕最低給料を30円とし、料理人及びベーカーの最低給料を40円とすること
五、洗濯人及び司厨長の乗組せざる船舶の首級を乙種階級に改むること
六、貨物船乗組一等料理人を二等料理人として使用せざること
七、給仕の最高給料額を撤廃し級別による給料差額を廃止すること
八、公休日の制定、勤続一ヵ年に対して年10日以上。

(スト突入)
 3月18日、郵船本社が労働者側の要求を全面的に拒絶してきたため、郵司同友会はストライキを決議した。その夜から3月26日にかけて神戸港、横浜港、門司港、長崎港、大阪港に停泊していた船の料理人など厨房労働者が一斉に下船してストライキを決行した。下船の数は最高時で55隻、下船した料理人らは最終的には1,600人にものぼった。34隻の出帆を阻止した。その後、何隻かはスト破りで雇った中国料理人などを乗せて出帆した。23日には丸の内の本社ビル食堂の15名もストに合流している。

(下船名と下船人数)
3月18日夜下船
 香取丸(神戸港) 86人
 伊予丸(神戸港) 25人
 丹波丸(横浜港) 35人
 銀洋丸(横浜港) 45人
 天洋丸(横浜港) 98人
 リマ丸(横浜港) 11人
 マラッカ丸(横浜港) 10人
 鳥羽丸(横浜港) 11人
 加茂丸(横浜港) 56人
 鳥取丸(横浜港) 11人
 横浜豫備(横浜港) 50人
 神戸豫備(神戸港) 33人

3月19日夜下船
 豊国丸(横浜港) 10人
 セイロン丸(横浜港) 7人

3月20日夜下船
 加賀丸(神戸港) 28人
 榛名丸(門司) 83人

3月21日下船
 博多丸(門司港) 21人
 生駒丸(門司港) 13人
 春日丸(神戸港) 31人
 神奈川丸(横浜港) 25人
 筑波丸(横浜港) 9人

3月22日下船
 摩耶丸(神戸港) 15人
 長崎丸(神戸港) 70人
 上海丸(長崎港) 70人
 飛鳥丸(大阪港) 11人

3月23日下船
 山城丸(大阪港) 20人
 熊野丸(神戸港) 37人
 本社食堂(東京丸の内) 15人

3月24日下船
 八幡丸(横浜港) 27人
 安芸丸(神戸港) 52人

3月25日下船
 波南丸(神戸港) 9人
 タアバン丸(神戸港) 10人

3月26日下船
 蘭貢丸(神戸港) 10人
 近江丸      17人

(除名者72名)
 会社は即座に料理人など72名を除名(解雇)にしてきた。

(ろう城闘争)
 最終的には1,600人にものぼった、これだけの争議団員を、大阪の全日本農民組合同盟、兵庫県聯合会横浜会館、東京日労党本部等が受け入れ、分宿させてろう城闘争を多くの仲間がよってたかって支えた。

(中国人料理人を雇いスト破りをねらう会社)
 会社は料理人などを一般に広く募集し雇い入れ、とりわけ横浜・長崎などの中国人料理人に目をむけた。その結果5艘の船が出帆した。争議団は、その時来日していた中国南方政府の代表者戴 季陶(戴天仇)を通じて中国人雇用を阻止しようと努めた。戴 季陶(戴天仇)も争議団の要請に積極的に応えた。

(日本海員組合へ抗議決議)
 この闘いを日本全国の民衆や労働団体が応援したにもかかわらず、最も近い仲間である日本海員組合が中立を宣言して同情ストライキは勿論一切の支援をしなかった。4月10日の日本労働組合同盟第一回全国大会は、「日本海員組合の罷業妨害に対する抗議」を決議し(上の下の写真)、「我らの僚友たる郵船司厨部の諸君が頑迷なる資本家日本郵船会社を敵として目下苦難の争議を決行している。・・しかるに・・日本海員組合幹部はこの決死的闘争を応援せざるのみならず、・・・裏切って資本家の走狗となるがごとき・・・」と厳しく糾弾した。

(覚え書き)
 5月4日労資は望月逓相の斡旋により以下の覚え書きを調印し、48日間に及んだストライキが敗北した。
覚え書き
一、郵司同友会は嘆願書を撤回し同時に争議を中止すること
二、郵船会社は郵司同友会会員の乗船申し込みを受け付け、なるべく速やかに乗船、予備編入に努力すること
三、郵船会社は、除名者72名に対し相当の手当金(4万円)を支給すること。尚除名者は相当の時期をみて採否を決めること

(「本争議中の出来事」)
 日本労働年鑑第9集は「本争議中の出来事」として、〈未曾有の海上争議と言われる日本郵船株式会社司厨部ストライキは、ほとんどの労働団体・農民団体が応援した。自由法曹団も支援に尽力した。しかし、日本海員組合は「中立」を表明して最初から終わりまで袖手傍観し、また総同盟の鈴木代表が加賀丸のスト破り出帆に乗船したことは世間からも厳しく非難された。一方で中国人料理人のスト破りを阻止しようと、当時来日していた中国南方政府代表戴 季陶(たい きとう。号は戴天仇)*との国際連帯はおおいに注目された。〉と海員組合・総同盟の態度を批判・暴露し、一方で中国国民革命の連帯を評価している。
*戴 季陶(たい きとう。号は戴天仇)
 孫文の側近で中国国立中山大学校長の戴季陶(戴天仇)は、1927年2月から3月にかけて、門司、別府、神戸、東京、箱根、大阪、長崎などを訪ね、外務次官出淵勝次、外務省条約局長佐分利貞男、亜細亜局長木村鋭市、情報部次長小村欣一や犬養毅、渋沢栄一など日本の政官財の重鎮や実務者、頭山満、吉野作造などの孫文旧知の民間人と会談し、日本国民の中国国民革命への理解と、中日関係の再構築を求めた。

(感想)
 要求の内容にみる船内厨房における料理人ら労働者の切実さや厨房内の理不尽な差別への憤激が伝わってきます。船の上でいったん病気した者は外国であっても下船させられ、その間の入院中および治療後内地帰着日までの給料の支給がなかったこと、またまともな公休日すらなかったことも分かります。これら会社郵船の非道な仕打ちへの料理人ら労働者の怒りがいかにすさまじかったかは、全国の港で48日間に及ぶストライキに参加した料理人ら1600人という爆発的な数が示しています。またスト中の宿泊、食事等への全国からの支援、郵司同友会の組織性に想いがいきます。戦前先輩労働者の未曾有の海上ストライキに敬服しています。時はまさに中国国民革命まっさい中、戴天仇を巡る日中労働者の国際連帯のエピソードも素敵です。

以上



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