先輩たちのたたかい

東部労組大久保製壜支部出身
https://www.youtube.com/watch?v=0us2dlzJ5jw

1926年の労働争議の統計(読書メモ)

2023年02月01日 07時00分00秒 | 1926年の労働運動

京成電車争議官憲の弾圧(1926.4)

1926年の労働争議の統計(読書メモ)
参照「日本労働年鑑第8集/1927年版」 大原社研編

1926年の労働争議の統計
1、日本労働年鑑第8集/1927年版の「概説」より
「資本の攻勢は本年度に入ってようやく意識下し、労働階級は全く守勢的地位に追い詰められてしまった。従って労働戦の大勢もこれに応じて資本攻勢労働守勢の形をとった。重要なる労働及小作争議は純粋なる経済闘争の域を超えて暴力的及政治的色彩を濃くし、しばしば熱烈なる全国的援助の下に行われたが、その結果は大体において労働、小作側の惨敗に終わった。・・・労働界には左翼、右翼、中間の確然たる分野が形成されるに至った。これ等の分裂にもかかわらず、組織労働者の数量的増大、・・意識分子の無産階級への接近、婦人労働者の階級的意識の浸透、解放思想の驚くべき普及等は時代の趨向(すうこう)を物語るものとして看過することは出来ぬ。あらゆる資本の攻勢と内部的抗争にもかかわらず、無産階級の力と自覚は目覚ましき進展を遂げたと言わねばならぬ。」。

この「概説」は興味深い。〈(重要なる)労働争議は大体において労働者、小作側の惨敗に終わった〉、しかし、〈にもかかわらず、無産階級の力と自覚は目覚ましき進展を遂げたと言わねばならぬ〉と総括している。1926年の労働運動の学習、楽しみだ。

2、争議件数
1926年の被解雇者は84万2204人。この年の労働争議は争議件数1,260件、参加者数は127,267人で、スト495件、スト参加者は過去最高の67,234人にのぼった(内務省社会局)。この年の小作争議2751件、参加者15万1061人(戦前参加人数のピーク)、小作組合員34万6693、戦前のピーク。

3、1926年の争議の原因
資本家の挑発から勃発 220件(49.9%)
労働者の要求から   239件(52.1%)

解雇反対 65件
賃下反対 47件
組合攻撃、組合員解雇 35件
工場閉鎖 22件
賃金不払い 18件

健康保険争議
1926年度の争議の原因で注目されるのは「健康保険」ストライキ。健康保険法実施に伴い労働者に課せられる強制的保険料に対する不満による争議である。特に日本労働組合評議会は健康保険法は欺瞞政策の典型だとして、資本家が保険料を全額負担すべしなどの要求をし、評議会に属する組合において健康保険ストライキが以下のように続いた。日本紙業株式会社(東京)、東京銅鉄家具製作所(東京)、浅野セメント株式会社(東京)、日本鑄造株式会社(東京)、旭紡績仙台工場、旭硝子牧山工場(福岡)。

3、争議の戦術
戦術は、ストライキ、サボタージュ闘争、示威運動の三大戦術が一番多く。ストライキが64.7%。サボタージュ闘争15.0%、示威運動17.2%であった。

4、資本の争議への対抗手段
・工場閉鎖5.4%、解雇21.4%、解雇閉鎖2.2%
・官憲の検挙による弾圧、ならずもの暴力団を使い暴力襲撃、スト破り(スキャッブ)の募集・雇用、組合切り崩し(脅し・買収で組合を裏切らせる)、解雇、ロックアウト、兵糧攻め、田舎の親などを呼び出し組合脱退を働きかける等々。

5、争議の結果
「1926年は、うち続く不景気と資本家の争議戦術の熟練と官憲の苛烈峻烈なる争議弾圧により労働者側の敗戦に終わったものが著しく多くなっている。」と労働年鑑第8集は総括しているが、統計では「労働者有利解決」「妥協(一部改善)」を合わせると半数以上となっている。争議の半分以上では労働者側が一定の勝利や改善を実現していたのではないか。ただ一方で大きな争議(共同印刷や日本楽器)の全面大敗北があるので、1926年が労働者側の惨敗を強烈に印象付けてはいる。
資本家に有利解決 46.1%
労働者に有利解決 25.1%
妥協       28.8%



最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。