上・ポスター
「労働者の血を吸い肉を喰う骨までシャブらんとする
山本政登を町内から叩きだし地獄へ追い込め!」
山本硝子工場争議団・関西化学労働組合
(1931年)
「労働者の血を吸い肉を喰う骨までシャブらんとするガラス工場」労働争議 1927年の労働争議(読書メモ)
参照「日本労働年鑑第1集~第21集」大原社研編
「日本労働運動史年表第一巻明治・大正編」青木虹二
私たちの大久保製壜闘争も多くの身体障害者と知的障害者の闘いであり、同時に灼熱地獄の硝子(ガラス)工場労働者としての闘いでもありました。障害者が多い検査課も健常者だけの製壜課も24時間操業3交替制勤務でした。
同じガラス(製壜)工場である労働争議の大久保製壜闘争の当該として、また26年間製壜工だった私にとって、戦前の先輩ガラス労働者のこれほどの怒り、「労働者の血を吸い肉を喰う 骨までシャブらんとする 山本政登を町内から叩きだし 地獄へ追い込め!」(山本硝子工場争議団・関西化学労働組合1931年)を知ること、その時々の闘いとその苦労や勝利や敗北の先輩たちに触れること、少しでも思いを寄せることが大事ではないかとまとめてみました。
戦前のガラス工場では、江戸時代以前から続いていた「吹子」と言われた個人のガラス職人の時代から、明治に入るとガラス工場自体の近代化、機械化、大型化に伴い数百名単位のガラス工場が多くなります。しかし、ガラスを溶かす灼熱地獄の過酷な労働現場で、かつどこでも窯(カマ)の火は止められないからと、24時間操業の窯に人間が従属させられ(窯の都合に人間を合わせ)、24時間操業12時間労働2交替制が、時には15時間16時間も働かされる、夜2週間、昼2週間毎の交代、これがまるで宿命であるかのような労働現場であることには変わりませんでした。また窯自体は一年中365日焚いていますから、公休もとにかく少なくなります。月1日とかせいぜい2日とかです。児童も朝鮮人も多く働いていました。
1、ガラス工場労働争議
ガラス工場の主な労働争議数は、1901年3工場、1903年1工場、1907年1工場、1908年2工場、1915年1工場、1917年3工場、1919年1地域と3工場、1920年3工場、1921年無し?、1922年1工場、1923年2工場、1924年9工場、1925年には12工場、1926年は21工場、1927年は12工場、1928年は8工場、1929年は16工場、1930年16工場、1931年30工場、1932年12工場、1933年14工場、1934年4工場、1935年5工場、1936年2工場、1937年1工場です。1931年がピークで1938年以降敗戦まではみつかりません。
地域別では、大阪の先輩たちの闘いが一番多いですが、福岡の旭ガラス牧山工場の労働者も何回も果敢に立ち上がっています。
1926年頃の東京のガラス工場は本所区の60工場、深川区の80工場を中心に合計約200工場であり、労働者総数約1万5千人でした(東京硝子労働組合結成大会方針)。
なんと、僕らの地元の墨田の本所地方で1919年、地域の2千名のガラス労働者が結束して「労働時間を12時間から10時間に短縮せよ!」と立ち上がっています。詳しく知りたいのですが、いまのところみつかりません。ストライキには至らななかったようですが、それにしても2千名とは驚きです。
2、ガラス工場の労働条件(大阪島田硝子工場の例)
労働時間 昼夜12時間2交代勤務で昼勤2週間、夜勤2週間ごとに交代
出勤 (朝・夜)7時15分
公休日 月2回(他に年末年始 12月31日から1月3日など)
休憩時間 午前15分、昼食休憩20分、午後15分
社内貯金(毎月の給料から積立金を40銭から2円が引かれる。しかも本人が引き出せるのは以下の場合だけ)
①病気で15日以上休業、②帰郷一ヵ月以上、③本人の結婚、④父母妻子の死亡、⑤本人死亡または解雇の時
ガラス産業の劣悪な労働条件は、他の重工業と比べることもできないほどひどく、それはゴム、セルロイド等の化学産業と共通している(1926年東京硝子労働組合結成運動方針)。
3、東京地方のガラス工場(1926年東京硝子労働組合結成運動方針より)
東京地方にあるガラス工場の数は本所区の60工場、深川区の80工場を中心に合計約200工場であり、労働者総数約1万5千人で、その内朝鮮人労働者が800人働いている。
4、1927年迄の主なガラス工場労働争議の会社名と参加労働者数
1901年(明治34年)
・東京ガラス製造所(東京芝)150人 5月 上司の横暴からスト計画
・伊丹ガラス工場(東京本所)130人 11月 賃金遅配で暴動・暴行
・東京ガラス製造所(東京芝)150人 7月 再発スト
1903年(明治36年)
・高井ガラス製造所(宮城) 8月 スト
1907年(明治40年)
・東京硝子会社(品川)170人 5月 賃上要求
1908年(明治41年)
・横浜硝子製造会社(横浜) 5月 賃上げ要求(妥結)
・天野ガラス工場(東京本所) 7月 700余名の解雇、賃金不払いで争議
1915年(大正4年)
・尼崎硝子会社(兵庫)750人 3月 労働強化、賃下げ反対
1917年(大正6年)
・旭ガラス牧山工場(福岡)100人 7月 8時間労働制、賃上要求
・大里ガラス会社(福岡)26人 8月 スト
・日本ガラス工業会社(神奈川) 10月 スト
1919年(大正8年)1地域と3工場
・東京本所地方のガラス職工約2千名結束し要求提出
8月6日、東京本所地域のガラス労働者約2千名は、「労働時間を10時間に!、1週間に1度の公休を!、工場設備の改善!」を要求として決議し地域全雇用主に提出した。ガラス職工は17歳、18歳でわずか20銭、30歳前後でようやく50銭、60銭の低賃金、その上大抵11時間以上の労働時間。ガラスが解ける灼熱の火の中での労働は事故も多発する。吹子のごときは一週間労働すればくたびれて2日間は休みを取らないと到底やっていけない程だ。
・丸福製壜所(大阪)70名 賃上げ要求
・旭ガラス工場(尼ヶ崎) 7月 賃上要求 全員に10銭値上(妥結)
・大阪製壜所(大阪)200名 9月 賃金3割値上要求、全員辞職届を提出。1割5分昇給(妥結)
⁂9月30日 京浜ガラス職工組合結成
1920年3工場
・帝国硝子会社(東京)200名 6月 隔日勤務に反対
・大里硝子製造所(小倉)500名 8月 賃金未払い支給要求・訴訟
・日米ガラス株式会社(福岡県)260名 賃上要求(妥協)
1921年
無し?
1922年1工場
・極東硝子会社(300名中100名解雇)
1923年2工場
・大阪製壜所(大阪)440人 賃下げ、解雇(朝鮮人労働者も含む)解雇手当と帰国旅費の支給要求。朝鮮労働同盟、総同盟・大阪合同労働組合
・旭ガラス牧山工場(福岡)200人 10名解雇の復職要求。総同盟・九州鉄工組合
1924年9工場
・三栄社ガラス工場(大阪)13人 4月14日~16日 工場閉鎖で全員解雇、解雇手当要求(妥結)
・大井ガラス製造所(大阪) 6月8日~11日 労働時間の短縮要求(妥結) 総同盟・大阪合同労働組合
・三好ガラス会社(大阪) 6月16日~19日 解雇手当要求(妥結)
・森田ガラス工場(大阪)32人 8月17日~21日 賃金支払い要求勝利
・伊藤ガラス壜製造工場(愛知) 9月16日 解雇手当要求
・兵庫製壜工場(兵庫) 10月15日~17日 解雇手当要求(妥結)
等
1925年12工場
・坪内ガラス工場(深川)
・橘ガラス工場(東京)
・島田ガラス工場(大阪)465人 4月21日~5月5日 解雇者2人の復職、メーデーの休日要求(勝利) 総同盟・大阪合同労働組合
・山為ガラス工場(大阪)11人 6月10日~20日 解雇され解雇手当増額要求 総同盟・大阪合同労働組合
・安田ガラス工場(大阪)51人 7月25日~28日 解雇反対(敗北)
・西本ガラス工場(大阪)7人 8月6日~7日 最低限度の月給制要求(妥結) 大阪機械技工組合
・白山製壜所(大阪)22人 10月4日~5日 賞与廃止反対(妥結)
・松野ガラス工場(大阪)40 10月20日~28日 臨時休業反対(敗北)
・中村ガラス工場(大阪)5人 11月4日~6日 解雇反対(妥結)
・和白ガラス工場(福岡)
・桐垂ガラス工場(大阪)65人 11月26日~27日 工場閉鎖反対(妥結)
・神谷ガラス工場(兵庫) 12月2日~4日
1926年(大正15・昭和元年)21工場
・和白硝子工場(福岡)200人 3月31日~ 給料未払い、全労働者200余名の解雇反対(妥結) 九州聯合会・和白硝子工組合・水平社九州連合会松本治一郎斡旋
・山村製壜所(兵庫)262人 4月8日~20日 総聯合・神戸聯合会
・田島ガラス(群馬)12人 4月24日~5月18日 10時間半を8時間制に、食事、寝具、衛生の改善、2割賃下げ反対 総同盟・高崎合同労組
・橋場屋ガラス工場(東京南千住) 6月2日~3日
・森川ガラス製造所(大阪)62人 6月25日~30日 工場閉鎖反対(妥結)
・山為硝子工場(大阪)400人 6月28日~30日 休業手当要求スト(妥結)。8月、10月、12月にも解雇問題で争議再発(妥結) 総同盟大阪合同労組
・宮鈴号ガラス工場(大阪)4人 7月2日~3日 臨時休業反対(妥結)
・前田ガラス工場(大阪)19人 8月4日~12日 臨時休業反対(妥結)
・許斐硝子工場(福岡)300人 水平社
・中島硝子工場(大阪)100人 6月9日~16日 休業補償要求(妥結) 総同盟・大阪連合会
・旭ガラス牧山工場(福岡)150人 8月7日~13日 監督排斥闘争スト。11月争議再発268人スト、30人解雇(敗北) 総同盟・九州連合会
・広井ガラス工場(大阪)50人 9月25日~30日 工場閉鎖で退職手当や帰郷旅費など要求しスト(涙金だけ支給され敗北)
・池永ガラス工場(大阪)1人 9月下旬 作業服の支給要求
・三好ガラス工場(大阪)90人 10月19日~23日 賃金1割値下反対(勝利) 評議会・大阪一般労働組合
・森兄弟ガラス工場(大阪)51人 10月22日~11月1日 賃下反対(妥結) 朝鮮労働総同盟
・亀井ガラス工場(大阪)42人 11月7日~20日 臨時休業、解雇反対(妥結) 評議会・大阪一般労働組合
・山巴製壜所(兵庫)190人
・長上ガラス工場(兵庫)100人 11月18日~12月8日 大量解雇で争議(妥結) 総同盟・大阪連合会
・森ガラス製造工場(大阪)38人 12月1日~28日 退職手当等要求(妥結)
・塚本ガラス工場(宮城)35人 12月9日~11日 健康保険料全額負担、賃上要求(妥結) 評議会・仙台一般労働組合
・秋田ガラス工場(大阪)37人 12月12日~20日 工場閉鎖反対(妥結)
・山村製壜所(大阪)1人 4月8日~ 個人争議、解雇されて解雇手当要求(妥結) 日本労働組合聯合会関西聯合会
4月8日、会社は、勤続6年の労働者山本佐次助を解雇、餞別として金20円を与えた。日本労働組合聯合会関西聯合会は、解雇手当を要求した。会社は労働組合が介在するなら絶対に応じられないといいつつ、一方で山本個人本人が、下宿生活や今後の就職口などで困窮していて本人が哀願するなら同情金として50円を支給すると回答してきた。その後交渉の結果更に15円が上積され妥結した。
⁂11月 東京ガラス工組合発会式
朝鮮人労働者との団結の方針決議
1927年12工場
1月
・三田硝子工場(大阪)100人 総同盟
・島田硝子工場(大阪)250人 解雇反対 総同盟・大阪合同労組
3月
・長上硝子工場(兵庫)130人 総同盟
・酒井ガラス工場(大阪)35人 評議会
・冨田硝子工場(大阪)60人 評議会
・帝国硝子会社(東京)160人 組合同盟関東合同労組
・塚本硝子工場(宮城)20人
・大日本麦酒製瓶工場(北海道)120人
5月
⁂江東ガラス工場懇談会が16ガラス工場労働者が参加して開かれた。江東化学工場懇談会にはガラス工場など40工場の労働者が参加した。
6月
・S・Kガラス工場(東京)70人 総同盟
9月
・平田硝子工場(東京)40人 関東化学
12月
・東明製壜会社(兵庫)40人
?月
・二宮ガラス工場(東京本所)33人 解雇反対(妥結) 評議会・東京ガラス工組合
以上