新型インフルエンザ対策

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危機管理ラボ:災害時、どう判断? 首長ら議論--中央区 /兵庫

2010年02月10日 | このごろの新型インフルエンザ関連情報
危機管理ラボ:災害時、どう判断? 首長ら議論--中央区 /兵庫
2月10日15時0分配信 毎日新聞

 県内市町の首長や防災担当者ら約180人が集まり、危機管理の知識や技術向上を目的とした「県市町長防災危機管理ラボ」が9日、ANAクラウンプラザホテル神戸(神戸市中央区)であった。
 危機管理事案発生時の首長の意志決定がテーマ。岩尾総一郎・前WHO神戸センター所長と河田え恵昭・人と防災未来センター長をコメンテーターに、新型インフルエンザや昨年8月の豪雨災害などを例に危機管理のあり方などを議論した。

詳細は
毎日新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100210-00000195-mailo-l28

避難場所がほんとうに真剣に検討した上で決められているのならいいのですが・・・。
あなたの地域では、避難場所がどこか知っていますか?
豪雨のとき避難場所まで安全にいけますか?
意外にも、避難場所までの経路が豪雨のため危険であることがあるのです。つまり避難することの方が危ないこともあることを知っておかないといけません。

インドネシアでH5N1が人に感染しています。重い症状の人も出ています。


ミステリー幻の暗殺者(その5)

「兄貴の方も、同じことだったんかな?」
「あの人も、私を人にやりたくないと言っていた。やっぱり二人とも離れることができなかったのね!」
「妙な夫婦だんたんだね! 兄さんがいなくなって、ショックだった?」
「当たり前よ、私の一生は一応終わりになったんだもの・・、でも慶子がいるから、これからも清潔に生きてきます。」
 42歳にしてはずい分若く見える姉は体格がよく、人並み以上の顔立ちだ。
「そんな生き方を誰も望んじゃいませんよ、ちっとは遊ばなくっちゃ、ほんとに一生が終わってしまいますよ、」
「何言ってんの? 慶子はもう年頃よ、今の私がふらふらしてたらどうなると思うの? それよりあんたこそ、もう身を固めてよ、」
「僕はその身を固めるというのが嫌なんだ。やわらかいままでいたい、」
「ばか!」
 姉は私の軽口で安心したらしく、階段を降りていった。
 私の心境はその後必ずしもよくなかった。頭の重いのはよくなかったが、恵美がしばらく現れなくなっていた。電話をかけると、「心配しないでー、そのうち必ず行きます、」といった。
 ある夜、私は昔のことについて、母に聞きたいと思った、夕食後、母に「一寸話したいことがあるんで、私の部屋まで来てくれませんか?」と頼んでみた。母は「ここじゃいけんのか?」と訊いた。「昔のことについて、ちっとばかり聞いておきたいことがあるんで、それがあの娘と関係があるようにも思えてー」と言うと、「そうか?そうか? 私もぼけんうちに、お前に話しておきたいことがある。」と言いながら、三階への階段を「やっこらさ」と声を出しながら登っていった。
 近頃急にふとった母は、三階まで登ると、ふーふー息をはずませている。そんな母を私は長いソファに座らせ、落ち着くのを待った。自分もその隣に座って、ぼつぼつ話しかけた。
「母さん、妙なことを訊きますが、お父さんとは恋愛結婚だったんですか?」
「恋愛というほどのものじゃなかったけど、お父さんがとても熱心で、子供を二人も抱えた戦争未亡人の私を強く望んだの、もともと死んだ前の主人とあなたのお父さんとは、幼いころからの友達で、前々から私が好きだったと言っておいでだった。
私はああいう時代だから、二人の子供を守って独りで生き抜くつもりじゃった。昭和17年に前の主人はスマトラで戦死したんじゃから・・。もっとも前の主人は軍属の技師で軍人じゃなかった。パレンバンという石油の出るところへ派遣されるらしいと書いたはがきが最後になった。もっともその土地の名ははがきでは消されていて、戦後、戦死の公報が届いた昭和21年になって、パレンバンで死んだとわかったんだけれど、はがきは乗せられていた軍艦の上で書いたもので、上陸してからのことはわからない。
 終戦でおおぜい帰って来たが、あの人はとうとう帰らなんだ。昭和22年に、お前のお父さんが訪ねて来て、一緒に生きていこう言い出した。お父さんも奥さんを岡山の空襲で死なせて、男の子一人抱えておった。奥さんの里が岡山で、そこへ帰っていたとき、空襲に遭うて死んだということじゃった。今の時代子供たちを一人前にするのが将来の日本の為だと言っていた。お父さんは戦争前は学校の先生だったんで、徴兵をのがれたんです。二人が一緒になって、古本屋でもやって子供を養うことにしたんですよ、もっとも私が古本屋をやって、お父さんは先生を続けていました。子供たちは仲良く暮らしていたんだけれど、今もふしぎでしようがない。」
    (つづく)

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