父と母の結婚50周年のその日に母は山の神様に謝りに行った。あれから一年。そんな母が祠建立には一番熱心になっていた。
母が30代の頃、田舎に色々あって心配して霊能者に相談に行った事があったようだ。その時、怒りが鎮まらない山の神がいると聞いたという。そうはいっても、結婚もしていたしその地に住んでいないからどうする事もできず、田舎に行った時、何も無くなった山に手を合わしたりしていたらしい。私の耳に残っていたのも母が時々言ってたからだと思う。そしてそれから30年以上の月日が経ち私が同じ事を山さんから聴かされた。
そんな流れがあったので自分が生きている間にどうしてもきちんとしたいと母は思ったのだろう。山さんと謝りに行った日から一年以内に祠をあげたいと言い続けた。道もなく草も生え放題状態だったから、そんなに急かされてもと思われたけど、自分の中でタイムスケジュールが決まり母が言い続けた一年以内というそのたった一日前に祠をあげることができた。
土台が120キロ、祠が20キロくらい、拝み石や玉砂利160キロ合わせて300キロを原始的な方法で、つまり徒歩で担いで自分達で作った階段を上がって持っていった。全て汗を流して手作業で建立した。業者に頼むわけでもなく、全て自分たちだけでやり遂げた。
祠が光っていた。美しい。神様がいらっしゃると思った。
お祀りを山頂で執り行った。海のもの、山のもの、果物、野菜、お餅、お米、お神酒などをお供えした。神主さんがいるわけでなかったから祝詞は母が奏上した。自家製のお祀りだけど暖かさに溢れていた。
その日の夜は従兄弟の家でご馳走になった。小さな神祭だ。鯛を焼いて、祠建立を祝った。
やっとここまで来た。でも私の思いは一歩を踏み出したところにいる。あったはずの鳥居もない。掃除はしたけどまだまだだ。この美しい神域を桃源郷にしよう、そんなことを考えていた。