天照大御神様の御子神は天之忍穂耳神様という。私の住むところから車で40分くらいのところに天忍穂別神社がある。
癒されるような田園の中にあり、駐車場があるか分からなかったので、少し離れたところに車を停め歩いてお詣りに行った。
急な階段があり息を切らして山頂の神社まで上がると、社殿の裏には大きな磐座もあり、古い歴史を感じさせる神社だった。
地元の方はお詣りに行ってるのだろうけど、賑わっている感じの神社ではなく、ひっそりとある素朴な神社だった。こちらの神社は延喜式神名帳にも記載されており、歴史ある由緒正しい神社のようだ。
天之忍穂耳神様は天孫降臨の瓊瓊杵命のお父様にあたる神様といわれている。その神社には看板があり饒速日尊がこの地に降りたった時に父神に会いたくてこの地に来たと書いてある。
饒速日命(ニギハヤヒノミコト)という神様が、石舟に乗り大空を天かり給い、山川のスミガサコの山の峰にお着きになりました。
饒速日命は、まず、河内の国のある山にお降りになり、それから大和の国の桃尾山の麓におとどまりになって、やがて父神の天忍穂耳尊(アマノオシホミミノミコト)を慕って、土佐の国へお着きになりました。
土佐へ初めてお降りになったのは、物部川下流の上岡山(野市)で、それから富家村に入られ西川村・長谷の小村・峠の船戸・末延の水船・山川の舟谷を経て、今のスミガサコのお社にお着きになったといいます。
舞川の地石は、この神様がお休みになった時舞楽をなされた跡で、長谷の小村には烏帽子(えぼし)をかけられたという烏帽子岩があり、今のお社の南の谷はお冠を取られた所でカットリといいます。北の谷は杖谷といい、命(ミコト)がホコを置かれた所。その側の首珠が佐古は、お首飾を置かれた所といわれます。
饒速日命がお乗りになった石舟は、境内の裏手にあり、巨大な自然石の舟型をしております。又付近には、船乗り達が献納した小さな石舟がどっさり置かれています。この小さな多くさんの石舟たちが物語る様に、航海の安全を守る舟神様であると共に疱瘡(ほうそう)様の神様としても知られております。以上Wikipediaより
こちらの神社の看板には饒速日命が土佐の色々な地に寄ったことも書かれてあったが、その中にある峠の船戸は力石お山のすぐ近くにある地名。龍神様がいらっしゃる稲葉洞のあるところのことであり、お山の神様と関係はあるのかなぁ?と空想に浸る。
饒速日命が天降りする際に、死者をも生き返らせるという十種神宝(とくさのかんだから)を天神御祖(あまつかみみおや)から授けられたとするという記述もあったりして、十種神宝は気になって、昔色々調べたのだけどよくわからないままになっている。神様の事はわからないことが多い。調べても調べてもわからないことばかりなのだけれど、だからこそ知りたいと思う。
日本には歴史の中で隠された神様がいらっしゃる。隠されてはいるものの暗号のように地名に残されていたり、童謡として唄われ、子供の頃から知らず知らずに覚えていたり。
天之忍穂別神社のすぐ近くには物部川が流れている。物部川の流域は、飛鳥時代に物部氏の勢力範囲だったからという説もあったりして、もしかして高知は物部氏と縁が深いのかもしれない。
隠されてきた神々。日本を陰から護り続けてくださっている神々を別の呼び名に変えたり、祟り神とか荒ぶる神とか勝手な空想で判別せず、縄文時代の人々がきっとそうしていたように心を通わし、ただありがとうございますと私は手を合わせ心を込めて色々な神様をお祀りしていきたいと思う。