朝起きて、ラジオ英会話のテキストを見て、着替えて新聞を取りに行って、顔を洗って、緑内障と白内障予防の目薬をさして、花粉ガードのクリームを鼻に塗ってから、近所のスーパーの駐車場で開かれている日曜市の賑わいを横目に見ながら道路に出て、スロージョギング(普通に歩く速度より遅い)で川の周辺を橋から橋へと行き、途中で腕立て伏せを40回ほどしてから帰宅。それから録画してあってビデオを見て、再び英会話のフレーズの録音を聞き流すことを暫くしてから、再度テレビを見て、朝昼兼用の昼食を取り、少し昼寝をした後で買い物に行き、テレビを見ながら夕食を取って、風呂に入ってから寝る。そんな毎日の繰り返しをしていると、日が経つのが速いもので、この前、日曜日だったと思っていたら早くも今日も日曜日になってしまっている。かといって、今から思えば、勤めていた時も、何か知らないうちに月日が経過していたようにも思う。
唐代の詩人、李白が、『天地は万物の逆旅にして、光陰は百代の過客なり(天地はあらゆるものを泊める宿屋であり、時の流れは永遠の旅人である) 』と述べているそうだが、当にそんな感じがする。
少子高齢化で、日本は衰退に向かって加速度的に進んでいるといっても、人間の一生からすると何のことはない。そんなことを心配していても、どうにもならないし、ダメな政治家と、自らの利益に熱心で、慣習や法制度には頑なで柔軟な行動の出来ない役人とが政治を動かしている、この国は、そう簡単には変わりそうもない。第一、マスクを外すという行動も、お上からの指示や周囲の眼を気にしなければ出来ないというバカな国民は、この国を変えようなどとは、ほとんど思ってもいないだろう。もうすぐ、統一地方選挙が行われるが、今のような選挙制度では、まともな政治家は出てこないと思う。野党は、綺麗ごとを並べて与党の揚げ足取りに終始しているし、地方行政を動かすことの出来る責任ある政治家を選ぶことなど出来はしない。
そもそも、消費者物価が高騰していて年金暮らしでは買えない物が増えてきたと言っても、私が生まれた昭和20年代や成長期に過ごした昭和30年代のことを思えば、随分贅沢になったものだとも思える。例えば、私は、朝食を食べる時間を遅くしただけなのに、何も、朝食を食べなければならないということは無くても良いのだと気づかされた。(朝食はしっかり食べて、夜食を控えめにした方が良いという説の人もいるが、)ことほど左様に、その人の捉え方によって物の見方・捉え方は変わるものだと思う。
私も、もう少し若ければ、日本を捨てて、海外生活を経験してみることも試みたかもしれないが、今となっては遅すぎる。こうなれば、転落してゆく日本の姿を、皮相に見て、せめて目に焼けつけておこうと思っている。