おやじのつぶやき2

「おやじのつぶやき」続編。街道歩きや川歩き、散歩がてらの写真付きでお届けします。

最近の銭湯事情。『1010』。

2023-07-13 18:34:24 | 銭湯

『1010』。

久々に近所の銭湯に。

小冊子が置いてありました。その記事を(勝手に)紹介します。

       「湯上がりドリンク、最高の一杯を探せ!」

フレッシュジュース、深海ゼリー、クリームソーダなどローカルドリンクが登場しているようです。

牛乳、スポーツドリンク、缶ビールなどの定番から、クラフトビールの飲み比べセットなど、お風呂屋さんで、さまざまなビールが流行っているようです。

             

「江戸で最初に銭湯を作った人物とは?」

江戸最初の銭湯の記録が文書で残されています。天正19(1591)年、銭瓶橋のほとりに伊勢与市がせんとう風呂を建てたことが三浦浄心の『慶長見聞集』に記されています。「・・・風呂銭は永楽一銭なり。皆、めづらしき物かなと入り給ひぬ。・・・」

江戸最初の銭湯は伊勢式の蒸し風呂だった可能性が高いと思われます。・・・慶長見聞集が書かれた慶長19年(1614)頃には「町ごとに風呂あり」というほどに急激に銭湯が増えました。

※「一銭」。まさに「銭湯」だったわけです。

        「土用、丑の日は『ももの薬湯』へ」。

土用丑の日(7月30日)に「ももの薬湯」を実施します。「土用丑の日のウナギ」は日本人の生活に浸透していますが、江戸時代から土用丑の日には、無病息災を願って「ももの葉」を浮かべた「丑湯」につかる習慣が広く親しまれていました。「ももの葉」には、肌の炎症を抑える消炎作用や解熱作用、肌をひきしめる収れん作用があるタンニンという成分が含まれており、日焼けやあせも、湿疹などの効果が期待できます。暑い時期に多い肌のトラブル対策に、ぜひ7月30日(日)は銭湯へ足を運び、広い湯船で「ももの葉湯」をお楽しみください。・・・

※左のページにある銭湯川柳も面白い。

・神田川優しい人は待たせない ・女湯へ明日から移る孫娘 ・お揃いのセーター畳む脱衣かご

んなのゆっポくんをさがせ!」

よく連れて行った孫たちも、だんだん銭湯から遠ざかることが増えてきました。

じいさん一人で楽しむ今日この頃です。

葛飾区内に20軒以上あった銭湯も徐々に減ってきました。区内の銭湯巡りも、あと二箇所回れば完遂です。

附:江戸時代の銭湯

『女湯』 大判錦絵2枚続 鳥居清長画 天明後期 ボストン美術館蔵。

銭湯を詳細に描いた浮世絵としては、最も早い時期の作品。画面右、衣服棚がある畳敷のところが脱衣所。画面中央の板敷の間が洗い場、その間に竹を並べて水はけを良くしている。中央上、下半身のみの女性が見えるところが石榴口で、湯が冷めないよう出入口が低くなっていた。左上の小窓から見える男は三助。(「Wikipedia」より)

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江の島めぐり。その5。江の島の浮世絵。夕景。岩場に打ち寄せる波。「青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない」。

2023-07-12 18:38:37 | 境川

来た道を戻ります。釣り人や岩場を散策する人が。

江の島の浮世絵。切り立った崖。左端に富士山。

        江の島は夕景が素晴らしいらしい。「本日(7月7日)の日没時間、18:50 頃」。

「稚児が淵」の岩場に下りてみます。「岩屋」への回廊を見上げる。

冬の晴れた日の様子の写真を拝借します。

               

岩場に打ち寄せる波。

                              

急な石段を登りきると、さっきまでの霧もすっかり晴れてきました。

江の島を振り返る。

境川の河口。

 

「藤沢市観光センター」にアニメのポスターが。

当方、この世界にはまったく門外漢なのですが。

劇場アニメ「青春ブタ野郎はおでかけシスターの夢を見ない」

高校二年生の三学期を迎えた梓川咲太。
三年生の先輩であり恋人の桜島麻衣と、峰ヶ原高校で一緒に過ごせる学生生活も残り僅かとなった。
そんななか、長年おうち大好きだった妹の花楓は、誰にも明かしたことのない胸の内を咲太に打ち明ける。
「お兄ちゃんが行ってる高校に行きたい」
それは花楓にとって大きな決意。
極めて難しい選択と知りながらも、咲太は優しく花楓の背中を押すことを決める。
『かえで』から『花楓』へ託された想い。二人で踏み出す未来への物語。

・・・

「青春ブタ野郎」シリーズは累計部数250万部を超える電撃文庫刊行の人気小説を原作として2018年にアニメ化し、2019年に公開された「青春ブタ野郎はゆめみる少女の夢を見ない」に続き、劇場アニメの2作目が公開となります。小田急沿線の藤沢エリアを中心に物語が展開しており、本企画ではさまざまなシーンで登場する藤沢駅の周辺や市街地、観光スポットの江の島や鎌倉など作品の舞台となった場所を実際に訪れていただくことで劇中の世界の聖地巡礼をお楽しみいただけます。

イベント初日の6月4日(日)には、ヒロイン「桜島麻衣」役の声優・瀬戸麻沙美さんが片瀬江ノ島駅の一日駅長を務め、就任式やホームアナウンスを実施します。    

また期間中、藤沢駅・片瀬江ノ島駅では「桜島麻衣」による劇場アニメ公開記念の特別アナウンスが構内に流れるほか、過去作に登場した「市民図書館」最寄り駅の湘南台駅を加えた3駅でオリジナルうちわを数量限定で配布します。さらに沿線の各駅ではオリジナルコラボポスターを掲出するなど鉄道事業者ならではの企画で作品の公開を盛り上げます。

当社では、さまざまな外部パートナーとの連携を通じ、魅力的なコンテンツと小田急線での移動を組み合わせた「楽しい時間」の提供に取り組んでいます。今後も、連携機会の拡大などにより、多くの方に楽しいお出かけの機会を創出していくとともに、これを通じた地域活性化に寄与してまいります。

オリジナルうちわ(イメージ)オリジナルうちわ(イメージ)

(この項、「小田急電鉄」HPより)

 

 

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江の島めぐり。その4。江の島第一・第二岩屋。与謝野晶子歌碑。七夕飾り。亀石。龍神。

2023-07-11 18:40:21 | 境川

江の島岩屋。 

江の島岩屋は波によって削られて形成された洞窟で、弁財天侵攻及び江島神社発祥の地とされています。弘法大師や日蓮聖人、源頼朝など多くの高僧や武将が岩屋を訪れて、祈願のため、岩屋に籠もったといわれています。・・現在の岩屋は奥行き152mの第一岩屋と56mの第二岩屋に分かれており、第一岩屋は富士山の氷穴につながっていると伝わるなど、数々の伝説が存在する洞窟です。

ロウソクの炎に照らし出された石像や岩壁が神秘の世界に誘ってくれます。

入口でろうそくの火を渡され、片手にろうそくを持って歩いて行きます。ひんやりとしています。途中、頭上が低いところや足もとには水が。

光の加減で、うまく写真を撮ることが出来ませんでした。

与謝野晶子歌碑。

沖つ風 吹けば またたく蝋の灯に 志づく散るなり 江の島の洞

・・・歌集『青海波』(明治45年1月刊行)にあるこの歌は、明治44年7月に詠まれました。それから90年余り、蝋の火は今なお灯され、岩屋を訪れる人の足許を照らしております。

               

この洞窟は、昔から富士山の麓にある鳴沢氷穴に続いているといわれています。

日蓮聖人の寝姿石。

最奥。

左の道を進むと、

海が正面に。

               晴れていれば、遠くに富士山が見える?

7月7日、訪れたときのようす。

七夕飾りに短冊がいっぱい。

いったん外に。第二岩屋に向かいます。

ここから目下の水面を見ると、亀の姿を下石を見ることができます。波に洗われている姿に大きな亀が竜宮城へと帰って行くかのように見えます。この「亀石」は、対岸の片瀬地区にある中村石材の先代、中村亀太郎氏がノミをふるったものであると云われています。※満潮の時は、水面下に沈んでしまい見えないことがあります。

       

第二岩屋。

手元はろうそくで暗いし、足許は濡れているし、奇妙な音がしてくるし、独特の雰囲気。龍神が祀られているようですが。・・・

臆病者の小生。写真も撮らずに退散しました。せめて龍神の写真を拝借。

               (「」より)

こうして第二岩屋を出ます。

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江の島めぐり。その3。稚児ヶ淵。芭蕉句碑。

2023-07-10 18:43:51 | 境川

目の前が開けてきます。

稚児ヶ淵。

稚児ヶ淵は海水によって削られて比較的平坦になった岩盤が隆起したことによって生まれました。その昔、白菊という名前の稚児がここから身を投げたという話が「稚児ヶ淵」の名前の由来となっています。稚児ヶ淵からは、広がる海と空、富士山の向こうに沈む夕日を一望することができ、その絶景から「かながわの景勝50選」にも選ばれています。また、釣りの名所としても知られており、休日は釣り人でにぎわっています。

残念ながら、海は霞んでいて対岸も見えません。

右手に芭蕉の句碑などいくつか集められています。

           

解説板。

芭蕉の句碑(右から2番目)は、握り飯の半面を押しつぶしたような素朴な碑型の河原石で、「潮墳」の碑と称されて観光客に親しまれています。青緑の色濃い自然石を程よく活用して「疑ふな 潮の花も 浦の春 はせを」と彫りこまれたこの句は二見ヶ丘(三重県)での作ですが、ここの自然環境に溶けあっています。
 佐羽淡齊の詩碑(右から3番目)は野火で碑面が剥落していたものを4代目の子孫が再建したものです。淡齊は上州桐生の人で、大窪詩佛門下の詩人です。全国の名所旧跡を遍歴して百詩碑建立を図り、江の島の碑はその第1号として建てられました。
 服部南郭(右から4番目)の詩碑は、島内では一番古い詩碑で、高さ95cm、幅35cm表に七言詩、背面に文化2年(1805年)これをこれを建立したと識語してあります。南郭は、京都に生まれ、江戸に出て、儒学者荻生徂徠の門に学び、柳沢吉保に仕え、詩文をもって知られた人です。江の島には幾度も来遊し、そのたびごとに、江の島にちなんだ詩をのこしましたが、この詩は南郭の快心の作といわれています。

疑ふ那 潮能花も 浦乃春 はせを

二見浦の夫婦岩を描いた絵の画讃。岩に砕ける潮の花の絵柄はそのまま二見が浦の爛漫の春の景色だということを疑ってはならないというのだが...

※元禄2年(1689)春の作。

※「二見浦の夫婦岩」。(「観光三重」HPより)

下りて来た石段を振り返る。

                  

急な石段を下ります。

              

江の島岩屋に向かいます。「あなたの知らない江の島がここにあります。」

       

左手は切り立った崖。

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江ノ島めぐり。その2。霞む江ノ島。下道。御岩屋道通り。頼朝寄進の鳥居。

2023-07-09 13:45:46 | 旅行

江ノ島は、霞んでいます。

「べんてん丸」に乗船して、岩屋まで行こうと思いましたが、「本日休航」。残念!

    バトルボードの練習中。 

岩場の突端に釣り人。

神社の下にある「下道」を歩きます。なだらかな上り坂。

「江の島市民の家」。

        昭和36年(1961)に廃校となった藤沢市立片瀬小学校江ノ島分校の施設を利用。

眼下に海が見えてきます。

                              片瀬漁港。

バトルボードが数隻。

西方向。 

10分ほどで御岩屋道通りへ。 

木喰上人行場窟。

「江の島シーキャンドル」方向。

少し早めの昼食。

「遊覧亭」から。

霞んでいて眺望が開けず。

江の島シーキャンドル。

御岩屋道通り。

頼朝寄進の鳥居。

1182年に源頼朝が奉納したと伝わっています。『吾妻鏡』には、源頼朝が当時奥州一帯で非常に大きな力を持っていた藤原秀衡の追討祈願の為、御窟(今の岩屋洞窟)に弁財天を祀り、鳥居を奉納した事が記されています。後の1189年に源頼朝は奥州に攻め入り、藤原氏を滅ぼしました。現在の鳥居は2004年の台風で破損し、一部心材で補修されたものになります。

力石。

江戸時代に日本一の力持ちと言われた卯之助(岩槻藩)が当神社に奉納したもの。重さ80貫(320㌔)で石には「奉納岩槻卯之助持之八拾貫」と刻まれている。弁財天の祭礼に詣でた人の前で力競技を行った時のものです。

        

            

夏富士や晩籟神を鎮ましむ

※晩籟=夕方の風の音の意味。 

この先、海に向かって急な階段を下っていきます。

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